別格20番札所大瀧寺の隣にある「西照神社」は、明治時代の神仏分離までは、大瀧寺と神仏習合の聖地であり山岳道場であり、古くから重要な信仰の対象でした。大瀧寺参拝の際には、西照神社にもぜひ立ち寄りを。
大滝山の山頂は香川県と徳島県の県境
別格20番札所大瀧寺(おおたきじ)は、標高946mの「大滝山(おおたきさん)」の頂上付近に位置し、僕は88番札所大窪寺方面からの歩き遍路道の最短ルートである「夏子(なつご)ダム」経由の登山遍路道を歩いて、山頂付近までたどり着きました。
※「大瀧寺」への遍路道の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【88番札所大窪寺→別格20番札所大瀧寺・前半】夏子ダムからのショートカット遍路道は通行不可
【88番札所大窪寺→別格20番札所大瀧寺・後半】別格霊場最高峰への道のりは分岐点に注意
歩き遍路道の林道を抜けてきた先は、「西照(にしてる)神社」の看板があり、裏参道入口になっていました。
実はこの地点は、香川県と徳島県の県境になっていて、大滝山の山頂を起点に山の尾根に沿って県境が制定されたようです。
大滝山は古くから聖地として信仰の対象であった歴史があり、その中でも山頂付近にまつられた「西照神社」は重要拠点であった歴史を持ち、大瀧寺とも由縁が深いので、本記事でご紹介したいと思います。
瀬戸内海を見守る航海の神
西照神社の起源は神話の時代にさかのぼり、月を象徴し夜の世界の神とされる「月読尊(つくよみのみこと)」が、近畿方面や瀬戸内海の監視役として「田寸津姫命(たぎつひめのかみ)」を大滝山に遣わしたのがはじまりといわれています。
田寸津姫命は宗像三女神の一柱であり、航海の神でもあったため、この地から瀬戸内海の海上安全を守護する役割もあったそうです。
古くから大滝山は神がおられる聖地であり、地域の重要拠点であったことから、若き空海が大滝山に籠って求聞持修法の修行を行ったとか、唐に渡る前に航海の安全を祈願したとか、空海にまつわる伝説も残っています。
大瀧寺は、奈良時代に行基菩薩が開創し、平安時代に空海が厄除け祈願を行った際に西照大権現をまつったとされ、西照神社と元々は神仏習合の祈願所だったそうで、明治時代の神仏分離で現在は神社と寺にわかれていますが、2社の由縁はとても深いです。
※大瀧寺に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【別格20番札所大瀧寺】別格霊場最高峰の山岳信仰の聖地は四国八十八ヶ所総奥之院
大瀧寺参拝の際には、ぜひ西照神社にも立ち寄っていただきたいものです。
狼を追い払った狛犬の話
西照神社の表参道の登りきった境内の入口には年季の入った狛犬がまつられています。
この狛犬は江戸時代の天保14年(1843年)に奉納されてものだそうで、ちょっとした伝説が残されています。
ある夏の夜、幼い子をかかえた母が大滝山の峠を越えようとこの地を訪れ、西照神社の祠で一夜を明かすことになったのですが、夜半に人の気配に気がついた狼が祠をとりかこんだとのこと。
もうダメかと思いながら西照大権現に祈ると、狛犬が動き出し、狼を追い払ったというお話です。
狛犬が動いたかどうかは別にして、冒頭にもご紹介したように、この大滝山は県境(昔は国境)を形成する交通の要衝でもあり、険しい山を苦労しながら越えていった昔の人々と、西照神社が交通拠点としても重要だったこと、道中の安全を祈願する祈願所でもあったことを物語るエピソードだと思います。
歩き遍路さんは、裏参道から西照神社に入り、境内を通って表参道の急階段を下って、大瀧寺に向かいます。
四国遍路の霊場には神仏習合の歴史を色濃く残す寺院も多く、その謂れを理解したり神社も合わせて参拝することで、より深く遍路の歴史を知ることができると思います。
【「西照神社」 地図】