別格7番札所金山出石寺は、空海が冬期に雪中修行をしたと伝わる山岳霊場です。空海秘仏密閉の護摩供の「護摩ヶ岩」や境内から見下ろす絶景など自然環境とお寺が一体化しているのが見どころです。
標高812mの出石山山頂付近にある山岳霊場
別格7番札所金山出石寺(きんざんしゅっせきじ)は、愛媛県大洲市と八幡浜市の境にある標高812mの出石山の山頂付近にある山岳霊場で、地元の方には「でいしさん」と呼ばれ親しまれています。
お寺にたどり着くには、大洲市街から約10kmの山登りになり、複雑な林道を進む遍路道は車遍路さんでも苦労しますし、歩き遍路さんは登って下りて1日がかりの参拝になります。
※金山出石寺への遍路道の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【別格7番札所金山出石寺への遍路道】複雑な林道を進む標高812mの出石山登山遍路道
空海も四国巡錫中の冬期にこの地に立ち寄り、雪が降り積もる中で修行を行ったと伝わる霊跡です。
空海が訪れる前までは開山当初から「雲峰山」という山号だったそうですが、この山に鉱山があったことから空海が「金山」と山号をあらため、現在にいたるとのこと。
実際に山の北側は硫化銅石の鉱山があり、三菱鉱業が明治43年(1910年)から昭和20年(1945年)頃まで採掘を行っていたそうです。空海が平安時代当時にすでに鉱脈を発見していたというのは、空海の社会事業家としての知識や技術を物語るエピソードです。
岩から姿を現した千手観世音菩薩と秘仏密閉の歴史
金山出石寺の縁起によると、奈良時代初期の養老2年(718年)6月18日に宇和島郷の猟師「作右衛門」が鹿を追いかけて、この山に分け入ったところ、鹿は消えて暗雲が垂れ込め山中に地鳴りが響き渡り、鹿が消えた場所の岩が割け、そこから金色に輝く千手観音が姿を現したそうです。
これがきっかけで作右衛門は殺生を生業とする猟師という職業を悔い改め仏門に帰依し、名を道教と改め、この地に堂宇を建立したのがお寺の創建だと伝わっています。
平安時代に空海がこの地を訪れた際に、「三国無双の金山」なりと賛嘆され、後世この仏像が粗末に扱われ罰があたってはならないと、石室に密閉して秘仏とされ、護摩供を修法されたそうです。
この御本尊秘仏には、江戸時代の伝説も残っており、ゆかりの「片目地蔵」も境内から約200mの遍路道沿いに残されていますので、ぜひ訪れてみてください。
※「片目地蔵」に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【別格7番札所金山出石寺への遍路道】ひとつだけ願いを叶えてくれる片目地蔵
ただし、この秘仏御本尊は50年に1度は御開帳されるそうで、その年にあたるのが平成29年とのことです。
貴重な御開帳時には、ぜひお姿を拝んでみたいものです。
山上からの景色がすばらしい自然と一体化した境内
金山出石寺は山上境内からのすばらしい景色も見どころのひとつです。
境内で一番高い位置にある本堂の横からは、伊予灘と宇和海を隔てる佐田岬半島まで一望できます。
また、お寺境内から西方向を見ると、山に囲まれた大洲市街を眺めることができ、海や半島の景色とは違った眺めも楽しむことができます。
四国霊場には山岳霊場は数多く存在しますが、境内からの見晴らしがこれほど良いお寺は珍しいです。
自然と一体化し景色を楽しめるだけではなく、周辺を見渡すことができ、鉱山もあることは、地域の拠点・聖地としての各時代で重要視されていた歴史も物語っていると思います。
別格7番札所金山出石寺は、お寺にたどり着くのに現代においても苦労する山岳霊場ですが、その分霊跡としての要素をたくさん残す特別なお寺でもあります。
お寺の歴史と合わせて、山上からのすばらしい景色も楽しんでください。
【別格7番札所】 | 金山 出石寺(きんざん しゅっせきじ) |
宗派: | 真言宗御室派 |
本尊: | 千手観世音菩薩 |
真言: | おん ばざら たらま きりく |
開基: | 道教法師 |
住所: | 愛媛県大洲市豊茂乙1 |
電話: | 0893-57-0011 |