四国別格二十霊場12番札所延命寺は、地元では "いざり松" の愛称で親しまれていますが、その由来となった松がありました。この松はお遍路さんのみならず「こんぴら詣で」の人達も見守っていました。
—– こちらの記事に登場する主な地名・単語
いざり松延命寺(いざりまつえんめいじ)
千枚通し(せんまいどおし)
北海道空知郡音江村(ほっかいどうそらちぐんおとえむら)
深川市(ふかがわし)
普請(ぶしん)
金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)
金毘羅五街道(こんぴらごかいどう)
土居のいざり松
結論から言って、愛称の由来となった "いざり松" は現存しません。昭和43年(1968)に枯死しました。
現在は在りし日を偲ばせる枯れた幹が横たわり、松の木の大きさを偲ばせるに留まっています。
その昔、足の不自由なご老人がこの大きな松の木の下で休憩している時にお大師さまが通り掛かり、自身の身体の事を打ち明けた。事情を知った大師は千枚通しの護符を創札、水に浮かべて加持祈祷を行いながらその者に飲ませたところ、足が治り元気になった。治癒に感激した老人は大師から得度を受け、法忍と名乗り、延命寺と千枚通しの護符の継承に努めた。
※ 行基開基説もあり
「いざり」とは 近年は用いなくなりましたが、足が立たない人の事。
足の不自由な老人が 一休みのため大きな松の木の下で休憩。そこでこのような奇跡が起きたことから、その大松は「いざり松 」と呼ばれるようになったそうです。
点在する石柱の秘密
枯れたいざり松の幹が横たわる周辺にいくつも立ち並ぶ石柱。真っ直ぐだったり、斜めに立っていたり。長いものもあれば短いものもある。
こちらはいざり松が在りし日、松の枝を支えていたつっかえ棒の名残。
幹の裏、旧街道に面した辺りにも石柱がいくつも立ち並ぶ。その範囲を見渡すと本当に大きな松だったことを知ることができますが、明治時代には東西30m、南北20mにも及んだという。
大きさもさることながら、樹齢も枯れた時点で700~800年(推定)。松は楠や杉などとは異なりそれほど長生きではなく、そこまで巨大にはならないので、いざり松は稀に見る化け物松だったことがわかる。
現在見ることができないのが本当に残念。
寄進者の住所 "北海道空知郡音江村" は、現在の北海道深川市南部。
音江村の歴史は、
明治42年(1909)音江村誕生 → 昭和38年(1963)近隣市町村合併により深川市
だったことから、こちらの石は1909年から1963年の間に寄進されたものと推察することができる。
この場所から北海道に移った開拓民か、いざり松の噂を聞き本当に遠いところから普請されたのか…
金毘羅街道沿いに位置する「いざり松延命寺」
立ち並ぶ石にはいざり松を支える用途の他、寺院北側に隣接する道路が旧街道のため里程石を見ることができる。
こんぴら大門へ十二里
古くから知られた存在で、多くの参詣者が訪れる金毘羅大権現(現 金刀比羅宮)へは、讃岐國内だけではなく國外(県外)からこんぴらさんへ至る道が、早い時期から整備された。中でも特に利用が多かった五つの街道は "金毘羅五街道" と呼ばれ、その沿道は特に賑わった。
高松街道
丸亀街道
多度津街道
阿波街道
伊予・土佐街道
※街道の名称は行く先を指す。つまり同じ道でも松山へ向かうなら伊予街道、金毘羅へ向かうなら金毘羅街道となる。
また海を挟んで向かい合う岡山県では、
旧山陽道から分岐 → 下津井港 ~ 丸亀港 ~ 金毘羅大権現
のルートが広く知られていた。
別格12番札所延命寺の在りし日のいざり松は、地域住民やお遍路さんだけでなく、こんぴらさんを目指す伊予の参詣者たちにも親しまれていたことでしょう。
【別格12番札所】 | 摩尼山 延命寺(まにざん えんめいじ) |
宗派: | 真言宗御室派 |
本尊: | 延命地蔵菩薩 |
真言: | おん かかかび さんまえい そわか |
開基: | 行基菩薩 |
住所: | 愛媛県四国中央市土居町土居895番地 |
電話: | 0896-74-2339 |