【1番前札所(談議所)十輪寺】四国八十八ヶ所を談義したと伝わる遍路の始まりの前の札所

昔、関西方面から船で四国に向かうお遍路さんの多くが現在の徳島県鳴門市の撫養港で四国に上陸していました。1番札所霊山寺に向かう途中に立ち寄っていた「十輪寺」は「1番前札所」と呼ばれています。

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四国の船の玄関口「撫養港」

平安時代に空海が四国中を修行してまわったのち、多くの修行僧が空海と同じ道をたどりながら修行したのが四国遍路の原型だといわれていますが、現在のように大衆がお遍路をするようになったのは江戸時代のことだと伝わっています。

江戸時代に本州関西方面からお遍路をするために四国に渡る手段は当然のことながら船しかありませんでした。
大阪近辺より船出して淡路島を経由し、多くのお遍路さんが四国に上陸していたのが、現在の徳島県鳴門市の「撫養(むや)港」です。
撫養港は江戸時代初期に整備され、同時期にこの港を起点に吉野川北岸を阿波國内陸部に進んでいく撫養街道も整備され、お遍路スタートの1番札所を目指すお遍路さんはこの街道を進んでいきました。

旧撫養街道

現在も昔の田園街道の名残がある「旧撫養街道」です。幹線道路が整備された現在でも、道幅が狭いにも関わらずそれなりの交通量があります。

 

多くのお遍路さんが立ち寄った1番前札所十輪寺

撫養港から1番札所霊山寺を目指して撫養街道を10kmほど進んだお遍路さんが、霊山寺手前1kmほどの場所にある「十輪寺(じゅうりんじ)」によく立ち寄っていたといわれています。

この十輪寺は縁起によると、飛鳥時代の白雉2年(651年)に讃岐國三木郡出身の僧侶「智光律師」によって建立されたとされています。
智光は全国行脚の後、阿波国海部郡に草庵を結んでいて、ここで男児が「阿波北部の説法山に寺院を建て、そこで修行するように」と告げる夢を見たそうで、それをきっかけに訪れて修行を行ったのが現在の十輪寺の地で、地中より「地蔵菩薩」と書かれた木板を掘り当てたことから地蔵菩薩を彫りこれを本尊として十輪寺を建立したと伝えられています。
さらに智光が白雉3年(652年)に没すると地蔵菩薩も消えたという伝説もあるそうです。

空海が平安時代に四国を修行してまわるかなり前から存在したであろう古刹で、空海が平安初期の大同年間にこの地を訪れた際に智光律師の伝説を聞き、自ら地蔵菩薩を彫り安置したとのこと。
その際に僧侶を集めて説法し、四国霊場の開創を談義したとのことから「談議所」と呼ばれるようになり、江戸時代には1番札所を目指すお遍路さんの多くが空海ゆかりのお寺として立ち寄るようになったことから「1番前札所」とも呼ばれるようになりました。

現在の四国八十八ヶ所霊場巡礼の形態が確立していったのは江戸時代といわれていますので、空海がこの地で四国霊場開創の談義をしたかどうか後の創作の要素が強いとは思いますが、空海以前からの古刹で空海も何かを感じてこの地を訪れたのでしょう。

前札所 十輪寺

旧撫養街道沿いにたたずむ「十輪寺」の入口。ばっちり「談議所」と表示されています。

前札所十輪寺 石碑

門前には大正時代に建立された縁起をしめす石碑があります。空海が説法し談義したことが書かれているらしい。

前札所十輪寺 本堂

本堂は昭和61年に落慶した比較的新しい建物になっています。

前札所十輪寺 納経

本堂横にはあらかじめ用意された納経があります。現在は参拝者が少なくなって無住のときがあるのかもしれません。

 

1番前札所から1番札所へ

1番前札所を出発してからは、旧撫養街道から現在の撫養街道(県道12号)に合流し、1番札所霊山寺を目指します。

旧撫養街道 道標

旧撫養街道から撫養街道合流前には1番札所の方向を示す道標がありました。

旧撫養街道と撫養街道の合流地点

旧撫養街道と撫養街道の合流地点。車遍路さんはそのまま撫養街道を進み、歩き遍路さんはJR板東駅方面の旧道へと入ります。

ここから1kmほど進むと1番札所霊山寺に到着し、いよいよお遍路のスタートです。

 

江戸時代に多くのお遍路さんが立ち寄った1番前札所(談議所)十輪寺。
昔のお遍路さんになった気分で、空海ゆかりの古刹を訪れてからお遍路を始めるのもよいと思います。

 

【1番前札所(談議所)】  説法山 宝珠院 十輪寺(せっぽうざん ほうじゅいん じゅうりんじ)
宗派: 高野山真言宗
本尊: 地蔵菩薩
真言: おん かかかび さんまえい そわか
開基: 智光律師
住所: 徳島県鳴門市大麻町萩原字アコメン15
電話: 088-689-0505

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この記事を書いた人

四国遍路情報サイト「四国遍路」を運営する株式会社四国遍路(https://shikokuhenro.co.jp/)の代表取締役。四国遍路の文化をより良い形で引き継いでいくために、四国遍路に新しい付加価値を生み出すべく日々奮闘中。