【73番札所出釈迦寺→74番札所甲山寺】3札所が一面に併記されている中務茂兵衛標石

73番札所出釈迦寺から見える三角形の甲山のふもと東側に74番札所甲山寺があります。山の姿がかなり近づいてきたところの県道脇に中務茂兵衛標石が残されています。近隣札所の情報や添句に加えて、遠方の寺院の情報も記載されています。

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73番→74番 標石

改修が行われた道路沿い。交通量が多く歩道が無いので、観察には注意が必要

 

中務茂兵衛義教<なかつかさもへえよしのり>

中務茂兵衛 肖像

中務茂兵衛義教<なかつかさもへえよしのり/弘化2年(1845)4月30日-大正11年(1922)2月14日>

周防國大嶋郡椋野村(すおうのくにおおしまぐんむくのむら、現山口県周防大島町)出身。 22歳の頃に周防大島を出奔。明治から大正にかけて一度も故郷に戻ることなく、四国八十八ヶ所を繰り返し巡拝する事279回と87ヶ所。バスや自家用車が普及している時代ではないので、殆どが徒歩。 巡拝回数は歩き遍路最多記録と名高く、また今後も上回ることはほぼ不可能な不滅の功績とも呼ばれる。
明治19年(1886)、茂兵衛42歳。88度目の巡拝の頃から標石の建立を始めた。標石は四国各地で確認されているだけで243基。札所の境内、遍路道沿いに多く残されている。

 

標石の正面に表記されている内容

73番→74番 標石 正面

同一方向に向かって三つの札所が記載されています

<正面>
左(指差し)
曼荼羅寺
出釈迦寺
弥谷寺
二百四十一●
周防國●
施主●

曼荼羅寺→72番札所曼荼羅寺(まんだらじ)
出釈迦寺→73番札所出釈迦寺(しゅっしゃかじ)
弥谷寺→71番札所弥谷寺(いやだにじ)

付近の標石と同じく、72・73番は順番通りというよりは利便性が高い順序で並べられているといえます。また、この場所から最も近い札所は74番札所甲山寺(こうやまじ)ですが、どの面にも表記がありません。

下部が埋没していて情報が不十分なのですが、これだけキーワードが揃えば茂兵衛さんの石と同定して良いと思います。
中務茂兵衛「241度目/279度中」の四国遍路は自身67歳の時のもの。

 

標石の右面に表記されている内容

73番→74番 標石 右面

いくつかの標石で見ることができる仙龍寺参籠の案内

<右面>
伊豫國三角寺金光山奥の院
毎夜本尊御直作厄除大師尊像のご開帳アリ霊場巡拝の信者ハ一夜の通夜ヲシテ御縁結ビ現當二世ノ利益ヲ受ケラルベシ 中務義教

こちらの文章は65番札所三角寺(さんかくじ)の前後に点在する標石を中心に、3番札所金泉寺(こんせんじ)先の標石など、四国中で見ることができる文言。番外霊場の仙龍寺(せんりゅうじ、別格13番)で行われている参籠(さんろう)のことを指しています。
「伊予国総奥の院(いよのくにそうおくのいん)」と呼ばれる同番外霊場。茂兵衛さん自身特に重要視していたことが窺い知れる霊場であり、四国遍路には受けてもらいたい体験。それをPRするために仙龍寺がいくつかの標石のスポンサー(施主)になった、と想像します。
※別格13番札所「仙龍寺」の案内が示されている標石は、他にも以下リンクの記事のものがあります。

【3番札所金泉寺近く】遠く離れた奥の院仙龍寺の情報が刻まれた標石

【17番札所井戸寺→18番札所恩山寺】施主の職業が記されている標石

 

標石の左面に表記されている内容

73番→74番 標石 左面

日本が列強国と肩を並べるようになった年

<左面>
明治44年10月吉辰建立

明治44年は西暦1911年。同年2月21日、日米通商航海条約が調印されました。
日露戦争の勝利(実際は引き分けに近い)によって国際的な地位が急上昇していた日本。先の大津事件での対応など、日本が法治国家であることが列強国に認められ、これをもって安政5年(1858)に五カ国(アメリカ・イギリス・オランダ・フランス・ロシア)との間で結ばれた不平等条約の改正を達成しました。日本が当時世界で列強と称された国々と対等な立場になった時期ともいえます。
※大津事件に関しては、以下リンクの記事でご紹介しています。

【72番札所曼荼羅寺門前】曼荼羅寺山門前にあるやや大きな中務茂兵衛標石

 

標石の裏面に表記されている内容

73番→74番 標石 裏面

添句があるけれど、下部の多くが埋没しているのが残念

<裏面>
まよふ身を教へて通寿法の道 義教
(まようみを おしえてとおす ほうのみち)

下部が埋没していますが、添句が記された標石となっています。
こちらの標石を立てた時の茂兵衛さんの巡拝回数は241度。キャリア後半であり巡拝先達としては有名な存在であったことを想像することができます。茂兵衛さん自身が弟子を取ったことは記録されていませんが、後発の巡礼者へ先達としてアドバイスを行う例は、多々有ったのではないでしょうか。

俳諧にはあまり詳しく無く、決して歌の真意を理解しているわけではありません。けれど石に記されている内容はキャリア後半のものの方が充実していると、標石を見ていて感じます。

 

【「74番札所甲山寺手前の中務茂兵衛標石」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。