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古い建造物を多数目にすることができる第70番本山寺。最古参のものは鎌倉時代で、その後戦国の世があったことを考えると現存しているのは奇跡ともいえます。本山寺の歴史と同時期の日本を考察します。

本山寺 国宝本堂

鎌倉時代の建立と伝わる本堂は古堂の中でも最古参

 

室町時代由来の仁王門

本山寺 重文仁王門

重要文化財指定の仁王門は、参道奥に本堂、その左に五重塔が見える位置関係

歩き遍路や自家用車や団体バスでのお参り。いずれの手段で寺を訪れたとしても通ることになるのがこちらの仁王門です。
第70番本山寺(もとやまじ)といえば本堂が国宝指定。もっといえばそれよりも目がいくのが五重塔ですが、歴史的建造物でいえば寺を訪れてまず出会うこちらの仁王門も見逃すことができません。室町時代中期の建と伝わります。

一般的に室町中期と言えば西暦1444年から1491年頃を指す。この期間には国内最大規模の内戦といわれる応仁の乱が発生した「応仁(おうにん、1467-1469)」年間が含まれます。戦乱によって京がすっかり荒廃したことにより、足利氏による室町幕府体制が揺らぐことで地方に配置されていた守護たちの動きに目が届きにくくなり、守護たちは経済力をつけ「大名」と呼ばれる存在になった。有力な大名らは覇権を掌握するべく、他家・他國の支配を目論み戦(いくさ)に明け暮れるように…これが戦国時代突入への伏線です。

時代の移り変わりをみてきた貴重な存在に迎えられて、寺院境内へ入らせていただきます。

 

鎌倉時代由来の仁王門

本山寺 本堂

鎌倉時代由来の本堂には、長宗我部氏の兵火に遭わなかった逸話が残る

仁王門は室町時代中期(1444年から1491年頃)の建造として、本堂はそれより更に古く正安2年(1300)の建立。鎌倉時代後期にあたります。

文永の役(ぶんえいのえき、1274年)・弘安の役(こうあんのえき、1281年)
最盛期には地球上の陸地の約25%、当時の世界人口の約半数を統治した人類史上最大規模の元朝(モンゴル帝国)。13世紀に大軍をもってたびたび日本侵略を企てましたが、御家人らの活躍もありそれらを退けた。しかしながらそれは外国を相手にした防衛戦であったため獲得できたものがなく、戦の規模のわりに御家人らに与えられた恩賞が少なかった。そのため幕府と御家人との「御恩と奉公」の信頼関係を損ねることとなり、次第に人と心が離れていった鎌倉幕府は滅亡へと進みます(とはいえ鎌倉幕府の滅亡は1333年で元寇から50年以上経っているので、それだけが原因とも言い難いところです)。

こちらの本堂は元寇後の過渡期に建てられたもの。土佐以外の四国の寺院といえば、天正年間(1573-1593)に長宗我部氏の侵略の際に焼き払われた例が数多く存在します。それは本山寺周辺の寺院や四国八十八ヶ所の札所寺院も例外では無く、相当数の寺院が兵火により焼失したとされます。
しかしながら本山寺の本堂はその際に焼かれなかった。そのエピソードとして寺に伝わっているのが、本山寺にも他寺院と同様長宗我部氏の軍勢が押し寄せ境内諸堂に火を放った。主たる堂宇である本堂にも軍勢が迫り、それを阻止する住職を切りつけ本堂の扉を開け火を放とうとしたが、本堂内に祀られている阿弥陀如来の身体から血がしたたり落ちているのを目にする。そのことに驚いた長宗我部氏の軍勢は本堂を焼かずに撤退。仁王門と共に焼失を免れたそうです。
後にその阿弥陀如来は「太刀受けの弥陀(たちうけのみだ)」と呼ばれ、現在もこちらの本堂内に脇仏として祀られています(※秘仏)。

 

明治時代由来の五重塔

本山寺 本堂と五重塔

本堂(鎌倉)と五重塔(明治)の位置関係

本山寺で最も目立つ建造物が五重塔。周辺に高い建物がなくその姿は国道11号を走っていても、近くを走る列車に乗車していても目にすることができます。

本山寺 五重塔

香川県で行われた国家プロジェクトと同じ年の完成

しかしながらその歴史は仁王門や本堂と比べて浅く明治29年(1896)着工、明治43年(1910)完成。新しいといっても100年以上経っているので、ここでは相手が悪いという感じです。

この五重塔と同じ年に「宇野(岡山)-高松(香川)」間の本州と四国を連絡する「宇高連絡船(うこうれんらくせん)」が開業しています。それまでも民間の船会社による本四連絡航路は多数存在していましたが、本州岡山側の宇野線開通によって国鉄航路、つまり国による公式本四航路として誕生したのが宇高連絡船です。
こちらの五重塔はそれに合わせて建設されたのかなと思って調べてみましたが、本山寺付近に鉄道が延伸開業したのは大正2年(1913)。五重塔自体はそれより10年以上前から着工されていることもあり、連絡船開業と直接関係は無さそうです。

本山寺 五重塔改修工事

現在の姿は平成の大修理後のもの

その五重塔は、さる平成27年(2015)9月に解体修理が行われました。これは明治43年(1910)の完成から初めての大規模プロジェクトだったようです。

五重塔は本山寺のシンボルとして、これからの100年も変わらない姿でお遍路さんを迎えてくださることと思います。

 

大正時代由来の石門と中務茂兵衛標石

本山寺 大門

石門に面した道路は旧伊予街道で、遍路道でもあり、次の第71番弥谷寺ヘは左へ進む

境内東側、旧街道に面した位置に石造りの門があります。こちらは「冠木門(かぶきもん)」と呼ばれるもので、大正3年(1914)に岡山県牛窓の宝光寺から移設されたもので、牛窓にあった時代は寺の大門として親しまれていたようです。少々目立たない場所にあるので、自家用車等で何度も訪れていても見たことが無い、というお遍路さんも多いのではないでしょうか。

こちらの石門を出たところに、順路に関して裏技といえるような情報が記載された中務茂兵衛標石が残されています。
※本山寺石門前の標石に関しては、以下リンクの記事でご紹介しています。

大師誕生の地への近道が記された本山寺石門前の標石【70番札所「本山寺」石門前】

 

 

【70番札所】  七宝山 持宝院 本山寺(しっぽうざん じほういん もとやまじ)
宗派: 高野山真言宗
本尊: 馬頭観世音菩薩
真言: おん あみりとう どはんば うん ぱった そわかおん あろりきゃ そわか
開基: 弘法大師
住所: 香川県三豊市豊中町本山甲1445
電話: 0875-62-2007

 

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野瀬 照山

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。