88番札所大窪寺から約4km進むと、香川県・徳島県の県境地点であり、遍路道の分岐点である「境目」集落があります。当集落には地域のシンボルツリーである大きな銀杏の木があり、晩秋の時期には鮮やかな黄色に紅葉します。
10番札所切幡寺(きりはたじ)と、番外與田寺(よだじ)を経て大坂峠を越えて3番札所金泉寺(こんせんじ)へ向かう分かれ道となるところが「境目」集落です。
県境の集落
「境目の大銀杏(さかいめのおおいちょう)」へは、88番札所大窪寺(おおくぼじ)から約4km、徒歩約1時間。そちらから進んで来た場合、この場所は小さな山を越えた先になる。歩き遍路は、八丁坂を越える山越えルートと国道377号バイパスの五名(ごみょう)トンネルを選択することになります。
左から下りてくる坂が八丁坂を下りてくるルート。五名トンネルを経由すると、右の道路からこの場所へやってきます。
八丁坂の坂下、香川県東かがわ市の標識下に残された標石は遍路の鉄人・中務茂兵衛によるもの。こちらの標石は279度四国遍路を回った彼の遍路キャリアの中で、最後となった279度目の四国遍路を紀念して建立されたもの。時代に合わせた情報が刻まれています。
※この標石に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介しています。
【阿波-讃岐の県境「境目」】中務茂兵衛、生きて四国遍路を回った証、最後の標石
紅葉した境目の大銀杏
標高約450mに位置する大窪寺の冬は早い。ふもとに秋が訪れる時期、この場所では木々がすっかり色づきます。銀杏は真っ黄色になるので、とても目立つ。
阿讃國境なので、いくつかの部分にそのことを見ることができます。
その一つが案内看板。
(この場所は徳島県)香川県が立てた看板の案内は、昔の信仰やこの場所で起こった歴史等がメイン。
讃岐守(さぬきのかみ)生駒家第3代藩主・生駒正俊(いこままさとし)の弟・正信(まさのぶ)。関ケ原の合戦の後、豊臣秀頼に仕えていたが、大坂の陣によって大坂城が落城。讃岐に逃れたが、徳川家による豊臣家臣の残党狩りにより発見され、この場所で切腹したと伝わる。
讃岐生駒家自体は所領を安堵され正俊の長男・第四代高俊(たかとし)に受け継がれたが、放漫な藩政を行ったことにより(いわゆる生駒騒動)改易となり、遠く出羽國由利郡(でわのくにゆりぐん)へ流罪となっている。
余談ながら、その後の生駒家はかの地で細々と存続。戊辰戦争後に高直しを受け再び大名に返り咲いている。
時は流れて現在、秋田県由利本荘市(旧矢島藩)出身の生駒さんといえば、人気アイドルグループ・乃木坂46の主要メンバーを務めた生駒里奈さんが活躍中。いこまちゃんは、もしかしたらその末裔かもしれません。
こちら徳島県教育委員会が設置した案内板。境目の大銀杏に関する諸元について書かれています。
県境ゆえお互い張り合う点があることは否めませんが、案内板の面では前述の物と比較して棲み分けができています。
銀杏の信仰
香川県側の案内板に記されていた「妊婦さんの信仰」のおはなし。
銀杏が妊婦さんから信仰を集めるのは、こちらのように幹から湧き出たように見える「気根(きこん)」が女性の乳房に見えることから、「乳出が良くなる」ためとされる。
阿讃國境接するこの場所では、いわゆる「讃岐男に阿波女」最前線の地。これら両者が結ばれると家がうまくいく、というこの地で謳われる黄金律ですが、この大銀杏がある場所が出会いの場所であり、祈る場所だったかもしれません。
境目へ通じる交通機関
境目の大銀杏へは、路線バスで来ることができます。
ターミナルとなるのは東かがわ市の玄関口・三本松駅。平日一日わずか三往復ですが、東讃地域(とうさんちいき、香川県東部)でバス会社によって運行される路線は、今や引田線とこちらの「五名・福栄線」のみ。他は三木町やさぬき市等、自治体が運営するコミュニティバスに移管されています。
以前は徳島県側からも阿波市市場町のコミュニティバスが運行されていましたが、平成31年3月31日をもって廃止。現在は公共交通機関利用で県を越えて行き来することはできなくなりました。
紅葉はこれから
今年は温暖だったため、紅葉が遅れている境目の大銀杏。陽当たりが良いのか、南側の葉は青々とした部分を見ることができます。まだ落葉もそれほど多くは無く、紅葉全盛期はこれから。強い風が吹かなければ、まだ数日は紅葉を楽しむことができそうです。
【「境目のイチョウ」 地図】