新川の上流に、その露出した岩肌が遠方からも確認できる特徴的な聖山「嶽山」があります。山周辺の寺社仏閣との関係性をみていくと、山岳修験の聖地であったことがうかがえます。
嶽山
白山と対を成すように白山の南南西に聳えるのが「嶽山(だけやま)」です。
※新川の起点から、静薬師・空風呂までに関しては以下リンクの記事をご覧ください。
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【屋島〜新川上流】豊玉姫の聖地とレイライン-静薬師・空風呂編
優美な白山に対して、ゴツゴツした岩肌をむき出しにした嶽山は、「嶽」の文字が示すように、いかにも山岳修験の道場とされそうな山です。
たぶん、白山と対の修行場とされていたのでしょう。
【「嶽山 山頂」 地図】
山大寺
その嶽山の東麓には「山大寺(やまだいじ)」があります。
ここは紫雲山宝蔵院極楽寺初代住持正観法印の創建と伝えられています。
延宝八年に戦火で消失した後、昭和九年に87番札所「長尾寺」の俊嶽大僧正が天台寺院として再建しました。
この由来からすると、嶽山での修行の本拠である同時に、長尾寺と極楽寺両寺の奥の院的性格があったのかもしれません。
嶽山頂上が320°方向に望む位置にあって、それは夏至の入日方向に嶽山が重なります。
本堂と拝所は若干ズレた方向を向き、嶽山南麓の309°方向を背にしています。
これは、仰角を計算に入れて、夏至の入日が嶽山の背後に沈む方向に一致させているようです。
【「山大寺」 地図】
氷上八幡神社(丸岡八幡神社)
山大寺から嶽山を挟んで、ちょうど反対側には「氷上(ひかみ)八幡神社」があります。
『極楽寺記』によると、平安時代の承平六年(936)8月、宝蔵院明海法印が勧請したことに始まり。
同年9月には別当として千手寺を置いたとされます。
山大寺も宝蔵院正観法印の創建ですから、両者はかなり関係が深いと考えられます。
祭神は応神天皇で、天照大神と天児屋根命を配祀、後に大山祗命も合祀されました。
万寿元年(1024)から永亨十年(1439)の間に六度社殿が改築されたと伝えられていますから、土地の崇敬を長く集めていたことがうかがえます。
天正十一年(1583)、長宗我部元親により焼失。
寛文十一年(1671)4月に大庄屋の山地与三太夫ほか氷上郷の総氏子によって社殿が再建されました。
ここにも大獅子があり、獅子頭の重さ250kg、油単の長さ20mで、鰐河神社や天野神社の大獅子に匹敵します。
境内社に、粟島神社(粟島大明神。少名毘古那命)、天満宮、地神社があります。
地神社は、自然石を積み上げて造った「箱石」、平たい「雲石」、「台石」を下から順に重ね、その上に五柱の農業守護神の天照大神・大己貴命・少彦名命・埴安媛命・倉稲魂命の名を刻んだ五角柱の心石を祀っています。
境内は小高い古墳様の丘の頂上部分を占めています。
社殿は22°方向を背にしています(何を指すかは不明)。
また、御旅所は至近の獄山を背にしています。
社殿正面方向には、遠くに円錐形の山影が望めますが、これは何山なのか現状不明です。
境内下の道路沿いには八栗荒神社という小社があり、八栗山方向を背にしています。
先にも触れたように、嶽山周辺には寺社が多く、相互に関係しているものも多いことから、かつて嶽山を中心とした修験道場が存在し、各寺社はその宿坊などの役割を担っていたのではないかと想像できます。
【「氷上八幡神社」 地図】
新川上流の「嶽山」は山岳修行の聖地性をそなえた、興味深い聖山です。
周辺の寺社仏閣の数々がその歴史を現代に語り継いでいます。
※「豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―」は以下リンクの記事に続きます。