【天野神社】屋島から新川を遡る豊玉姫の聖地とレイライン

新川を南に遡上し、香川県三木町の中心部に差しかかるあたりに「天野八幡神社」があります。この神社の伝統行事「大獅子・獅子舞」は豊玉姫命との関連をうかがわせ、さらに弘法大師信仰や海人族との関係の痕跡を残す聖地です。

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天野八幡神社

池戸八幡神社からさらに新川を上流に遡ると、「天野(あまの)八幡神社」があります。
井上村・平木村・鹿伏村(井上郷)を氏子地域としたため、井上八幡宮とも呼ばれました。
※新川の起点から池戸八幡神社までに関しては、以下リンクの記事をご覧ください。

【屋島〜新川上流】豊玉姫の聖地とレイライン-屋島寺・浦生編

【屋島〜新川上流】豊玉姫の聖地とレイライン-池戸八幡神社編

祭神は丹生都比売命(ニュウツヒメノミコト)と誉田別命(ホムタワケノミコト=応神天皇=八幡神)。
丹生都比売命は、元々高野山の氏神であることから、高野八幡と呼ばれたこともありました。
現在の地名にも「高野(たかや)」が残っており、高野山・弘法大師信仰の痕跡もうかがわせます。

誉田別命は相殿に祀られ、社家の三好家記録には、平安時代の陽成天皇の元慶年間(877年-885年)に筑前筥崎宮を勧請したものとされています。
また、『全讃史』には、井上村の松原五郎信義が戦国時代の元亀・天正年間(1570年-1591年)に河内壺井八幡神を迎えたと記されています。
三好家記録にある筑前筥崎宮は、主祭神が豊玉姫命の妹である玉依比売命ですから、ここにも関連性が見えます。

天野八幡神社は、池戸八幡神社と同様、背後に五剣山を背負い、前方にはこの地域の代表的な聖山の一つである嶽山を見ています。
つまり、五剣山と嶽山という二つの聖山を結ぶレイラインの重要なポイントの一つであるわけです。

天野八幡神社 鳥居

目視することはできないが、天野八幡神社は社殿が五剣山を背負う形になっている。

天野八幡神社 正面方向 嶽山

正面には嶽山を捉えていることがわかる。

天野八幡神社 五剣山と嶽山レイライン

北に五剣山、南に嶽山が位置する。このことから、五剣山と嶽山を結ぶレイライン上に位置していることがわかる。

 

天野八幡神社の由緒書きには以下のように記述があります。

昭和3年(1928年)、昭和天皇即位御大典の祝賀記念行事として、地元有志が製作し、奉納した大獅子があった。
戦中になり、当社に埋もれていた獅子は、昭和62年(1987年)になって保存会が発足し、二代目、三代目の大獅子の制作も行われた。
三代目においては、長さが28メートルにもなり、町の指定文化財である鰐河神社の大獅子をゆうに上回る規模となった。
三木町は獅子舞いの町として知られ、他に氷上八幡神社の大獅子も有名。現在は、毎年10月第4土曜日に、秋祭り「獅子たちの里 三木まんで願」に三頭の大獅子と、地元の小獅子が一同に会し、舞を披露する。

境内社として、諏訪免より移転して建御名方神を祀る諏訪神社、平成4年(1993年)に北野天満宮を勧請して菅原道真を祀る天満宮、三宝荒神社、仁徳天皇を祀る若宮神社がある。
また、境外末社として、讃岐国三木郡の式内社「和爾賀波神社/和尓賀波神社」の論社である引宮神社がある。
式内社「和爾賀波神社」の論社は他に、町内井戸の和爾賀波神社、町内下高岡の鰐河神社、白山神社がある。

この由緒を見ると、三木町を代表する伝統行事である獅子舞が鰐河神社をはじめ、氷上八幡神社と当社にも伝わっていることがわかります。
獅子舞は一般的には五穀豊穣と雨乞いを祈念するものですから、水神=龍に関係します。
また、境外末社の引宮神社が式内社「和爾賀波神社」の論社であるということからも、天野八幡神社自体が、和爾賀波神社の祭神である豊玉姫命と関係が深いことをうかがわせます。

さらに、天野八幡神社が建つ場所は、池戸八幡神社と同様古墳が存在していた場所で、神社建立前の古墳時代から豪族が新川沿いの特定の場所を聖地としていたことがわかります。

新川沿いの聖地に関して、さらに遡上しながら考察していきます。
※「豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―」は以下リンクの記事に続きます。

【屋島〜新川上流】豊玉姫の聖地とレイライン-白山・白山神社編

 

【「天野八幡神社」 地図】

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この記事を書いた人

聖地と呼ばれる場所に秘められた意味と意図を探求する聖地研究家。アウトドア、モータースポーツのライターでもあり、ディープなフィールドワークとデジタル機器を活用した調査を真骨頂とする。自治体の観光資源として聖地を活用する 「聖地観光研究所--レイラインプロジェクト(http://www.ley-line.net/)」を主催する。