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新川を南に遡上していくと、豊玉姫命伝説との関連をうかがわせる龍伝説が残る「池戸八幡神社」があります。
神社が建立された地は古墳群でもあり、古代海人族との関連をも感じる興味深い聖地です。

池戸八幡神社

屋島の浦生から新川を南へと遡っていくと、高松市内の久米山の麓で東へと向きを変えます。
※新川の起点、屋島・浦生に関しては以下リンクの記事をご覧ください。

豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―【「屋島寺」「浦生」編】

さらに芳野山の麓にある金崎神社の正面を横切り、三木町内へ入ります。
金崎神社の南東には「池戸(いけのべ)八幡神社」があります。

池戸八幡神社は、元慶八年(1544)に僧聖寳が創建したと伝えられ(元慶六年あるいは同四年の説もあります)、寛平年中には菅原道真が社殿を修補、延喜十四年に社僧が霊夢に感じて石清水八幡宮を勧請したとされます。
寺号は應神山妙福寺。亀田八幡宮、生延大宮とも称されます。

さらに『讃州府志』には、以下のように続きます。

天暦五年、萬壽元年、寛治七年、承元弐年、文永三年、乾元元年、元長九年に改築の記録がある。
さらに永正三年池戸中城主山地志摩守が社殿を修補。
天正十一年五月長宗我部元親の兵火に罹り烏有に帰すが、社僧神禮を奉じて逃れ富坂の松寿の下にこれを隠す。

慶長七年に至り河内國壺井より干ばつを避けて来住した松原萬助義成の妻に神託が降りて富坂の松寿の下から神禮を出し、領主生駒井一正に具申して社殿を現今の地に造営する。
寛永五年境内拡張に際し生駒家より家臣川北市左衛門をして奉幣。
同十五年大覚寺の令旨を以て社僧應神山妙福寺を智光山神宮寺恵徳院と改め、爾来當社を生延八幡宮と称する。明治初年村社に列せられ、明治四十年十月二十四日神饌幣帛料共新神社に指定される。

また、神社の由緒には、以下のように記されています。

当神社は、古くは生延大宮八幡神社と称され「生き延びろ」即ち、家内繁栄・息災延命の氏神として氏子、崇敬者の尊崇を集めてきました。
昭和六十三年(辰年)の師走、本殿屋根改修の折、本殿内にて、はからずも箱蓋に生延大宮八幡神社とある龍の軸物が発見されました。
幅三尺七寸、長さ六尺の紙幅一杯に幾星霜を経て古色蒼然たる龍がうず巻いている様はあたかも神霊が宿っているようであります。
これに恐れ畏みて平成元年(巳年)の睦月吉日箱を慎重錦布に包んで納め奉りました。
想うに神社の東に位置する所に男井間池・女井間池があり昔は大なる男沼・小なる女沼と呼ばれる沼でありました。
何時の頃か築造されることになり、工事にかかった人たちが竜神の怒りを静めまつり工事の安全を祈願せんが為、龍を軸物にして奉め御神体と共に安置し現在に至ったものであります。

社殿正面には古の巧みが精魂込めて作った精巧な龍の彫物があり、龍の縁起に深く関わっていることが忍ばれます。
雲は龍に従い風は虎に従うという諺もあり、誠に勢いのある龍が奉られている生延大宮八幡神社の御神徳は諸諸の病気、災難を取り除き幸せと長寿(生延)の心願成就に霊験あらたかであります。

由緒に記される龍の軸物と龍の彫物は、豊玉姫命との関連でみるととても興味深い記述です。
というのも、豊玉姫命の真の姿は、日本書紀において鰐(一般的にはサメの古名と言われています)と記されている部分と「龍」と記されている部分があるからです。

龍は水神を表しますが、陸の民にとっては、海から川を自由に航行する海人族は水神に率いられている人間たちに見えたでしょう。
そして、一族を率いる豊玉姫命こそ水神に見えたのではないでしょうか。

池戸八幡神社は丘の上にあって、南北に長い参道が伸びていますが、これに並行して前方後円墳と円墳が並んでいます。
前方後円墳の後円部の直径は22m、円墳の直径は10mで、池戸八幡神社の境内全体が池戸古墳群を形成しています。
参道も並行する古墳も社殿も85番札所「八栗寺」がある「五剣山(ごけんざん)」を背にしています。
このことから、由緒にある創建年代よりも1000年あまり前から、ここが当時の豪族の墓所であったことがわかります。
多分、彼らは海人族であり、水神である龍を崇めていて、その記憶が遥か後まで受け継がれてきたのでしょう。

そして、彼らの足跡が新川を通じて、さらに南へと続いていっているのでしょう。

南へ長く伸びる参道。方位角は194°でやや西偏している。

社殿は、讃岐の聖山である「五剣山」を背にしている。

池戸八幡神社は古墳群に建てられた神社で、参道・社殿は古墳群が向く方角に並行している。

 

※「豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―」は以下リンクの記事に続きます。

豊玉姫の聖地とレイライン―屋島から新川を辿る―【「天野神社」編】

 

【「池戸八幡神社」 地図】

 

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内田一成

聖地と呼ばれる場所に秘められた意味と意図を探求する聖地研究家。アウトドア、モータースポーツのライターでもあり、ディープなフィールドワークとデジタル機器を活用した調査を真骨頂とする。自治体の観光資源として聖地を活用する 「聖地観光研究所--レイラインプロジェクト(http://www.ley-line.net/)」を主催する。