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79番札所「天皇寺」を知るうえで、「八十場の霊水」と「崇徳上皇」のエピソードを外すことはできません。
「怨霊」の伝説もありますが、現在はお遍路さんを守ってくれる神様になっているはずです。

兵士が息を吹き返した「八十場の霊水」

78番札所「郷照寺」を出発し、不思議な道標がいくつかある旧街道を歩いて坂出市街に入り、ほどなくして79番札所「天皇寺」がある「八十場(やそば)」地域に到着です。
※「郷照寺」から「天皇寺」の遍路道の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

不思議な道標頻出地帯に「丸型ポスト」の姿あり【遍路道「丸型ポスト」まとめ(香川県中讃地域編)】

ここ「八十場」には霊水の伝説があり、古代に南海の大魚を退治しに向かった讃留霊王ら88人の兵士が大魚に船を呑まれて倒れたとき、横潮明神が泉の水を持ってあらわれ、その水を兵士に飲ませたところ、全員が命を吹き返して助かったといいます。
それからこの泉は「弥蘇波(転じて「八十場」)の霊水」と呼ばれるようになり、現在もその泉から水が湧き出ています。

「八十場の霊水」を使った「ところてん」が名物です。私が訪れた2月下旬は冬季休業中でしたが…

「八十場の霊水」を使った「ところてん」が名物です。私が訪れた2月下旬は冬季休業中でしたが…

「天皇寺」の縁起によると、弘仁年間(810〜824年)に空海がこの霊泉を訪れた際に、ひとりの天童が現れて水を汲み、空海にしたがい給仕をし、この天童は実は泉がある「金山」を鎮守する「金山権現」であり、永くこの山の仏法を護るようにと誓って、持っていた宝珠を空海に預け、空海は宝珠を山嶺に埋め、弥蘇場の霊域にあった霊木で御本尊とする十一面観世音菩薩をはじめ、脇侍として阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を彫造し、「摩尼珠院 妙成就寺(まにしゅいん みょうじょうじゅじ)」を創建したのが、現在の「天皇寺」の起源といわれています。

 

「崇徳上皇」が配流になった地

その後、平安時代末期に、現在の「天皇寺」の寺名の由来にもなった重要な出来事がありました。
都で皇位継承問題に端を発した内乱「保元の乱」が起こり、それに敗れた天皇家の「崇徳上皇」が流罪になり送られたのが現在のこの「八十場」の地域だったのです。
天皇・上皇が配流になるのはたいへん珍しいことで、崇徳上皇は、皇位を剥奪され、都に戻ることも許されずに、ほどなくして非業の死を遂げることになります。
崇徳上皇の死後、都の天皇家では災いが相次いだことから、崇徳上皇が怨霊となって祟っているのではないかという噂が広がり、死地である「八十場」でもその魂を鎮めるために社が築かれ、それが現在の「天皇寺」の隣にある「白峯宮」の起源とのことで、 「妙成就寺」が別当を担うことになったそうです。

崇徳上皇が亡くなった際に、亡骸の処遇について京から返事の使者を待つあいだ、金棺を冷たい八十場霊泉に浸し、清水をかけ続けたところ、21日間すぎたのちも上皇の顔はまるで生きているごとくだったという伝説も残っています。

お寺の境内のすぐ隣にある「白峯宮」も合わせて参拝し、崇徳上皇に遍路旅の無事を祈っていきたいものです。

お寺の境内のすぐ隣にある「白峯宮」も合わせて参拝し、崇徳上皇に遍路旅の無事を祈っていきたいものです。

2月下旬の境内では、春の息吹も感じることができました。

2月下旬の境内では、春の息吹も感じることができました。

 

「崇徳上皇」は、「菅原道真」「平将門」と並んで日本三大怨霊とも呼ばれていますが、現在は守り神としてお遍路さんも見守ってくれているはずだと思います。
79番札所「天皇寺」では、「八十場の霊水」と「崇徳上皇」のエピソードを知った上で、隣の「白峯宮」と合わせて、遍路旅の無事を祈願してください。

 

【79番札所】  金華山 高照院 天皇寺(きんかざん こうしょういん てんのうじ)
宗派: 真言宗御室派
本尊: 十一面観世音菩薩
真言: おんまか きゃろにきゃ そわか
開基: 弘法大師
住所: 香川県坂出市西庄町天皇1713-2
電話: 0877-46-3508

 

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ごんのすけ

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。