愛媛県松山市にある道後温泉のシンボル「道後温泉本館」の建物は、公衆浴場としては日本で初めて国の重要文化財に指定された、長い歴史がある貴重なものです。温泉入浴だけではなく、その複雑で特徴的な造りも観察してみてください。
「道後温泉」とは
愛媛県松山市にある「道後温泉(どうごおんせん)」は、日本最古の温泉ともいわれ、日本三古湯(他は、兵庫県・有馬温泉、和歌山県・白浜温泉)にあげられています。はっきりしていませんが3000年もの歴史があるとされ、「伊予国風土記(いよこくふどき)」の逸文に、本彦名命が道後温泉の湯で病を癒したという話や、来湯した聖徳太子が賞賛して伊予道後温泉碑文を建てたという記述もあるほどです。
松山市中心部から北東に約3kmほどの場所に位置し、路面電車の伊予鉄松山市駅線「道後温泉駅」も設置されていることから、アクセスは良好で、愛媛県を訪れた多くの観光客が訪れる観光名所にもなっています。温泉に入浴可能な旅館やホテルが立ち並び、誰でも入浴可能な複数の公衆浴場、飲食店やお土産もの屋が集積している商店街など、大規模な温泉街が形成されています。
増改築を繰り返し発展してきた「道後温泉本館」
道後温泉の中でも、中心的な存在であるのが「道後温泉本館」です。
公営浴場として現代に続く道後温泉本館の歴史は、江戸時代が起源とされ、松山藩主松平氏が温泉の保護と設備拡充を行い、当時は明王院という寺院が管理していたといいます。 明治時代の廃藩置県後、道後村の世話人6人による原泉社の経営となり、道後湯之町が誕生すると明治24年(1891年)に公営となりました。初代道後湯之町町長・伊佐庭如矢(いさにわゆきや)によって老巧化した施設の改築が進められ、明治27年(1894年)に神の湯本館が竣工し、続いて又新殿・霊の湯棟、大正13年(1924年)には南棟、 玄関棟が完成しました。
神の湯本館は木造3階建で、桟瓦及び銅板葺きの、1階に浴場、2階・3階を休憩室とし、入母屋造の大屋根に振鷺閣(しんろかく)と呼ばれる宝形造の塔屋(とうや)が立ち、塔屋の頂部に白鷺像をのせています。
また、新殿・霊の湯棟は皇室用に建てられ、銅板葺き及び檜皮葺きの木造3階建で、正面に御成門(おなりもん)があります。建物内部は金箔や襖絵で装飾されて優美な造りとなっています。
南棟は神の湯本館と同じく、桟瓦及び銅板葺きで1階の浴室は修理前、神の湯女子として使用していました。
玄関棟は神の湯、霊の湯、養生湯の各浴室に入浴できるようにするための出札口として建設されました。昭和10年(1935年)、神の湯を曳家(ひきや)した時に玄関棟としての役割に変わりました。
※日本の古い建築物の屋根の種類や特徴に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。
曳家とは、大型の建築物を移動したり改修したりするときに採用される工法のひとつです。家やビル、お城などの重い建築物を解体せずそのままの状態で移動する工法で、別の場所に移動するために曳くケースと、工事が終わったら元に戻すケースがあります。
道後温泉本館の場合は工事後に戻すケースです。工事内容の詳細ははっきりした記録が残っていないのでわかりませんが、一般的には建物が傾いたりした際に、一度建物を取り除いて基礎を補強したり地面に杭を打ち込んだり改良したりして地盤を強くしたうえで建物を戻すことが多いので、道後温泉本館でもこのような工事が行われたものと推察します。
120年以上にわたる歴史の中で、増改築を繰り返した道後温泉本館全体は和風の大規模な複合建築で、複雑な屋根構成は特異な外観を見せています。
公衆浴場として日本で初めての国指定重要文化財
この道後温泉本館の建物は、平成6年(1994年)に公衆浴場としては日本で初めて国の重要文化財に指定されました。
2019年からは段階的な修理改修工事が進められており、現在も工事を進めながら営業を続けています。
主な改修部分は屋根の葺き替えですが、なかでも瓦の屋根を銅板へ葺き替えているところが多いようです。瓦の屋根は重く、銅板と比べると5倍から10倍の重量があります。道後温泉本館の屋根は複数の棟が組み合わさっていますが、ざっと見たところ全体で100tから150tくらいの屋根の重さはありそうです。
古い建物が沈下したり傾いたりする原因には、地盤の弱さの他に建物の重さによるものが多いので、瓦屋根を銅板やチタンといった軽い金属屋根に変えるだけでもかなり効果があります。
道後温泉は四国八十八ヶ所霊場の51番札所石手寺から近く、多くのお遍路さんが入浴や宿泊、観光で立ち寄ると思います。その際には、道後温泉本館を建築物視点でも眺めてみていただけると新しい発見があると思います。
【「道後温泉本館」 地図】