【知多四国霊場67番札所三光院】徳川三代将軍・徳川家光の母「お江」ゆかりの寺院

知多四国霊場67番札所三光院は、徳川三代将軍・徳川家光の母である「お江」に関係する史跡を有する寺院です。戦乱に巻き込まれた歴史があり、現在は親寺である蓮台寺の境内に移転し、かつてのエピソードを伝えています。

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徳川三代将軍・徳川家光の母として知られる「お江」ゆかりの大野城と67番札所三光院

知多四国霊場で、常滑市北部と知多市南西部の比較的に近い場所にかたまっている札所群があります。
66番札所中之坊寺(なかのぼうじ)、67番札所三光院(さんこういん)、68番札所宝蔵寺(ほうぞうじ)、69番札所慈光寺(じこうじ)、70番札所地蔵寺(じぞうじ)、71番札所大智院(だいちいん)、72番札所慈雲寺(じうんじ)の7ヶ寺です。札所間の距離が近く、歩いても巡りやすいので、歩き遍路初心者さんがお試ししてみるのにもおすすめのエリアです。

この7つの札所は、かつてこのエリアにあった金蓮寺(こんれんじ)という巨大寺院群と、現在の常滑市の史跡になっている大野城(宮山城)と関係がありました。
※7つの札所の概要と、金蓮寺・大野城との関係に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【知多四国霊場】金蓮寺と大野城に関連している常滑市・知多市の札所群

札所群のうち、常滑市の北部の小倉地区にあるのが67番札所三光院です。
伊勢湾にそそぐ矢田川(やたがわ)と分岐する前山川(まえやまがわ)に囲まれた地域で、寺院周辺は細い路地が入り組んでおり、住宅が多いです。海側には港町として栄えた大野町があり、現在では名鉄常滑線が南北に走り、交通の便も良好です。

小倉地区は、2011年のNHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」のヒロイン・お江(おごう)にゆかりの地として観光地になっており、三光院にもゆかりがあります。
お江は、戦国時代の武将・浅井長政と市(織田信長の妹)の三女で、生まれ故郷の近江から一字をとって名付けられました。わずか10歳で現在の常滑市にある大野城主・佐治一成(さじかずなり)に嫁ぎましたが、佐治氏が当時の権力者・羽柴秀吉と敵対したため3年で離縁され、3度目の結婚でのちに徳川二代将軍となる徳川秀忠の正室となり、三代将軍となる徳川家光を産みます。お江の子孫の家系は、現在の皇室まで繋がっています。

NHK大河ドラマが放映されるのをきっかけに、お江ゆかりの地を巡る散策コースが設定され、立ち寄りポイントには歴史案内の看板が建てられたことにより、人気の観光エリアになりました。

お江ゆかりの地散策路_看板

小倉地区にはお江ゆかりの地を巡る案内看板が設置されています。

 

大野城の鬼門除けとして開基され戦乱に巻き込まれた歴史

三光院は、鎌倉時代の正和3年(1314年)に、大野城の鬼門除けとして、当時この地にあった大寺院・蓮台寺の一坊として即伝和尚によって開基されました。御本尊に、阿弥陀如来・聖観世音菩薩・不動明王を安置したことから三光院と称したと伝わっています。
室町時代の応仁・文明の乱(1467〜1477年)の後、知多半島を治めていた佐治氏から寺領を寄進され、隆盛を極めましたが、戦国時代に入って慶長5年(1600年)に九鬼水軍の侵攻により大野城や蓮台寺の寺院群は焼かれてしまいました。三光院も多くの堂宇を焼失しましたが、本堂は免れ、その後再建や修復を繰り返しますが、建物の老朽化が進み再建が困難となり、平成24年(2012年)に親寺の蓮台寺内に移転されました。跡地には現在は建物はありませんが、山門と塀はのこっています。移転先の蓮台寺から南西の方角にありますので、巡拝の際はぜひ足を運んでみてください。

知多四国霊場67番札所三光院跡_山門

三光院跡地にある山門は当時のまま現存しています。

知多四国霊場67番札所三光院_移転案内看板

三光院跡の山門には移転先の蓮台寺の説明が書かれている看板が掲示されています。

 

お江ゆかりの「開かずの門」と「衣かけの松」

現在の三光院は蓮台寺と共用の境内になっています。

知多四国霊場67番札所三光院_山門_蓮台寺共用

現在の三光院の山門は蓮台寺と共用です。

本堂には、阿弥陀如来、聖観世音菩薩、弘法大師が祀られており、御本尊は聖観世音菩薩です。蓮台寺の御本尊は阿弥陀如来です。
三光院と蓮台寺は時宗の寺院で、知多四国霊場の札所の中では三光院だけと、この地域では珍しい宗派です。時宗は一遍上人が開祖の鎌倉仏教の一つで、浄土宗や浄土真宗と同じ浄土系・念仏系です。阿弥陀如来を信仰しますが、阿弥陀如来を信じていなくても往生できるという教えが特徴で、「踊り念仏」と呼ばれる、踊りながら念仏を唱える作法でも知られています。
時宗がおこった際に、信者には文化や芸能に優れた人物が多く集まりました。彼らは「同朋衆(どうほうしゅう)」と呼ばれ、時代の権力者のそばに仕える人も多くいました。能で有名な世阿弥(ぜあみ)や、銀閣寺の作庭をおこなった善阿弥(ぜんあみ)が代表的な人物です。

知多四国霊場67番札所三光院_本堂

三光院の本堂は山門をくぐって左前方にあります。

三光院・蓮台寺には「開かずの門」と言い伝えのある門が存在します。
大野城落城の際に、蓮台寺に逃げてきたお江を助けるために、山門の横にある小さな門から境内に入れかくまいました。以来この門は開けられることはありませんでした。
現在でも開けられることはありませんが、山門の左にその門がありますので、参拝の際にはぜひご覧になってみてください。

また、境内には「衣かけの松」と呼ばれている松の木があります。
お江がおちのびるための作戦として、井戸に身投げしたふりをしようと考え、着いていた衣を松の枝にかけて難を逃れたと伝わっています。現在でもこの松が三光院の本堂の隣にあります。

このように、三光院・蓮台寺には、お江ゆかりの史跡が残っていることから、戦国時代や江戸時代の歴史好きが訪れるスポットにもなっています。

 

三光院の御朱印と弘法大師生誕1250年記念宝印

三光院の御朱印は聖観世音菩薩です。蓮台寺の御朱印もいただくことができ、こちらは阿弥陀如来です。聖観世音菩薩は、阿弥陀如来の変化したお姿とされ、どちらも全ての者を救済してくださるありがたい仏様なので、功徳の証としてぜひ2体の御朱印をいただいてみてください。
三光院は、知多四国霊場の他に、知多西国三十三観音霊場の札所でもありますので、御朱印は3種類あります。

三光院の御朱印は、ご本尊の聖観音です。

三光院の聖観世音菩薩の御朱印です。

2023年は弘法大師生誕1250年の記念の年にあたり、知多四国霊場では御朱印に弘法大師御生誕記念宝印が期間限定(2023年1月1日~2024年6月30日)で追加で押されています。札所ごとにデザインが異なり、納経帳や御朱印にも押していただけます。三光院のデザインは、三光院のマークをあしらった可愛らしい宝印で、記念宝印だけの押印も可能ですので、納経所にてお尋ねください。

三光院のマークが入った弘法大師御生誕1250年記念宝印。

「三」をかたどった寺紋がデザインされた参考院の記念宝印です。

 

知多四国霊場67番札所三光院は、近くにある史跡・大野城とゆかりがあり、戦乱に巻き込まれたことにより、昔の面影は現存する山門と壁だけになっていますが、お江と関連する史跡ものこる歴史スポットです。歴史上の人物やエピソードのことを知った上で訪れると、参拝がより楽しくなると思います。

 

【「知多四国霊場67番札所三光院」 地図】

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この記事を書いた人

知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)も楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。