【知多四国霊場】金蓮寺と大野城に関連している常滑市・知多市の札所群

知多四国霊場で、常滑市北部と知多市南西部の比較的近い場所に66番札所から72番札所の7ヶ寺があります。かつてこのエリアにあった金蓮寺という古代寺院と、現在は史跡にもなっている大野城に関連する札所群です。

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金蓮寺と大野城に関連している札所群

知多四国霊場で、常滑市北部と知多市南西部の比較的に近い場所にかたまっている札所群があります。
66番札所中之坊寺(なかのぼうじ)、67番札所三光院(さんこういん)、68番札所宝蔵寺(ほうぞうじ)、69番札所慈光寺(じこうじ)、70番札所地蔵寺(じぞうじ)、71番札所大智院(だいちいん)、72番札所慈雲寺(じうんじ)の7ヶ寺です。札所間の距離が近く、歩いても巡りやすいので、歩き遍路初心者さんがお試ししてみるのにもおすすめのエリアです。

この7つの札所は、かつてこのエリアにあった金蓮寺(こんれんじ)という巨大寺院群と、現在の常滑市の史跡になっている大野城(宮山城)と関係がありました。

金蓮寺は、奈良時代初期の弘仁年間(810〜824年)に弘法大師空海が創建したなど諸説ありますが、開基の正確な記録はなく定かではありません。のちの兵火で歴史を記した書物は全て焼失しています。現在の宮山エリアの広範囲に伽藍・御堂が存在し、言い伝えによると一山十二坊の巨大寺院群であったとのことです。当時は宮山寺という名前であったともいわれています。当時のこのエリアの村名が、宮山村で、北に石瀬村と呼ばれていた村があり、寺の敷地は二つの村にまたがっていたともされています。

大野城は、昔の名前は宮山城と呼ばれ、南北朝時代の1350年頃に知多半島に勢力を伸ばした一色(いっしき)氏によって築かれた城です。当時、広大な地域を有していた金蓮寺の敷地内に建てられたと伝わっています。
室町時代に一色氏の勢力が衰退した時に、土岐(とき)氏に城を奪われ、その家臣の佐治(さじ)氏が宮山城に入城しました。戦国時代に入り、4代目佐治一成(さじかずなり)の時に、羽柴秀吉と敵対し城から追放されます。後の城主に、織田信長の弟・織田長益(おだながます)が入りますが、城の水利の悪さから、大野城の北に新たに大草城を築き、大野城は廃城になります。城主がいなくなり廃城になった影響で、金蓮寺も衰退して廃寺になりました。
戦国時代の天正年間(1573年~1592年)に、九鬼水軍によって破壊・火を放たれ、大野城と金蓮寺は焼失してしまいます。

大野城跡の展望台は、伊勢湾を一望できる絶景スポットです。

大野城跡には昭和55年に設けられた城型の展望台があり、伊勢湾を一望できます。

金蓮寺のわずかに焼け残った坊が独立したり、ほかの場所に移転したのが、66番札所中之坊寺、68番札所宝蔵寺、71番札所大智院です。
大野城主であった一色氏と佐治氏と関係が深いのが、67番札所三光院、69番札所慈光寺、72番札所慈雲寺です。
大野城の移転先である大草城と関係しているのが70番札所地蔵寺です。

 

7つの札所の概要

常滑市北部エリアと知多市南西エリア一帯の金蓮寺・大野城に関係する7つの札所の概要をご紹介します。

 

●66番札所中之坊寺(なかのぼうじ) 常滑市

かつての金蓮寺一山十二坊の一つの坊が、現在の中之坊寺になったとされています。元々は、宮山城下にあったそうですが、兵火にあい天正19年(1591年)に六世法印が場所を移転して中興しています。現在は無人の寺院になっており、86番札所観音寺が管理しています。
御本尊は十一面観音菩薩像です。

知多四国霊場66番札所中之坊寺_本堂

知多四国霊場66番札所中之坊寺の本堂。

※66番札所中之坊寺について、以下リンクの記事で詳しく紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【知多四国霊場66番札所中之坊寺】伝説の巨大寺院群・金蓮寺と大野城ゆかりの寺院

 

●67番札所三光院(さんこういん) 常滑市

大野城主の一色道秀(いっしきどうしゅう)が、正和3年(1314年)に蓮台寺(れんだいじ)の十七坊の中の一院として鬼門除けに建立しました。御本尊に阿弥陀如来・聖観音・不動明王を安置したことで三光院と称しました。
現在の三光院は親寺の蓮台寺境内に移転されていて、三光院跡地には山門と壁が残っています。

知多四国霊場67番札所三光院_山門

蓮台寺と共用の知多四国霊場67番札所三光院の山門。

※67番札所三光院について、以下リンクの記事で詳しく紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【知多四国霊場67番札所三光院】徳川三大将軍・徳川家光の母「お江」ゆかりの寺院

 

●68番札所宝蔵寺(ほうぞうじ) 常滑市

金蓮寺一山十二坊のひとつで、天正12年(1584年)に宮山城が落城の際に、現在地に移築され再興されました。金蓮寺との関係の記録がもっとも多く残っている寺院です。
御本尊は千手観音菩薩像で、火防や雷除けのご利益で知られています。

知多四国霊場68番札所宝蔵寺_入口

民家を抜けた先にある知多四国霊場68番札所宝蔵寺の入口。

※宝蔵寺について、以下リンクの記事で詳しく紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【知多四国霊場68番札所宝蔵寺】伝説の巨大寺院群・金蓮寺の御本尊を現代に伝える寺院

 

●69番札所慈光寺(じこうじ) 知多市

宮山城主の一色満範(いっしきみつのり)が菩提寺の建立を発願し、鎌倉の円覚寺ゆかりの清源和尚を招いて開創したと伝わっています。
御本尊は聖観世音菩薩で、一色満範と清源和尚の手植えとされる椎の木が境内にのこっていて、樹齢600年以上の古木をされています。

知多四国霊場69番札所慈光寺_山門

知多四国霊場69番札所慈光寺の山門。

※慈光寺について、以下リンクの記事で詳しく紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【知多四国霊場69番札所慈光寺】大野城主・一色満範の菩提寺として大切にされた寺院

 

●70番札所地蔵寺(じぞうじ) 知多市

奈良時代の天平年間(729〜749年)に行基和尚が開基したといわれていますが、詳細は不明です。一説には鎌倉時代に大日如来像を安置して創建されたとも。
御本尊は地蔵菩薩で、知多半島では数少ない水子供養の寺として知られています。

知多四国霊場70番札所地蔵寺_弘法堂

知多四国霊場70番札所地蔵寺の弘法堂。

※地蔵寺について、以下リンクの記事で詳しく紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【知多四国霊場70番札所地蔵寺】美しい大日如来像と伝説の延命地蔵

 

⚫71番札所大智院(だいちいん) 知多市

室町時代の明応7年(1497年)に、宮山城主の佐治氏の祈願所となった寺院です。全国でも珍しい、めがねをかけた弘法大師像があり、別名「めがね弘法」と呼ばれ、目の健康にご利益があるとされています。
御本尊は、聖観世音菩薩で、八百比丘尼(やおびくに)の伝説ものこっています。

知多四国霊場71番札所大智院_山門

知多四国霊場71番札所大智院の山門。

※大智院について、以下リンクの記事で詳しく紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【知多四国霊場71番札所大智院】唯一無二の黒いめがねをかけた弘法大師像

 

●72番札所慈雲寺(じうんじ) 知多市

観応元年(1350年)に宮山城主・一色範光(いっしきのりみつ)が開基し、宮山城の中に寺院があったといわれています。
御本尊は千手千眼観世音菩薩で、江戸時代から知多木綿生産地として栄え、レトロな雰囲気が残る町にあり、知多市の観光スポットになっています。

知多四国霊場72番札所慈雲寺_山門

知多四国霊場72番札所慈雲寺の山門。

※慈雲寺について、以下リンクの記事で詳しく紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【知多四国霊場72番札所慈雲寺】岡田地区で最古の建造物の観音堂と伝説の雨乞いの壺

 

常滑市北部と知多市南部の知多四国霊場66番札所から72番札所の7ヶ寺は、札所間の距離が近く、田園風景の中をゆっくり歩くことができたり、観光も楽しめる散策エリアもあるので、特に歩き遍路におすすめです。
かつてあった金蓮寺や大野城・宮山城とのつながりを意識しながら札所を巡ってみると、より地域の歴史を理解することができ、新しい発見もあると思いますので、ぜひこの記事を参考にしていただければと思います。

 

【「金蓮寺と大野城に関連している常滑市・知多市の札所群」 地図】

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この記事を書いた人

知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)も楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。