【知多四国霊場69番札所慈光寺】大野城主・一色満範の菩提寺として大切にされた寺院

知多四国霊場69番札所慈光寺は、かつてこの地を治めていた大野城主・一色満範の菩提寺として建立され、大切にされた歴史があります。弘法堂には、聖観音菩薩と子安観音菩薩の2体の観音様が祀られている珍しい寺院です。

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大野城主・一色満範の菩提寺として建立された69番札所慈光寺

知多四国霊場で、常滑市北部と知多市南西部の比較的に近い場所にかたまっている札所群があります。
66番札所中之坊寺(なかのぼうじ)、67番札所三光院(さんこういん)、68番札所宝蔵寺(ほうぞうじ)、69番札所慈光寺(じこうじ)、70番札所地蔵寺(じぞうじ)、71番札所大智院(だいちいん)、72番札所慈雲寺(じうんじ)の7ヶ寺です。札所間の距離が近く、歩いても巡りやすいので、歩き遍路初心者さんがお試ししてみるのにもおすすめのエリアです。

この7つの札所は、かつてこのエリアにあった金蓮寺(こんれんじ)という巨大寺院群と、現在の常滑市の史跡になっている大野城(宮山城)と関係がありました。
※7つの札所の概要と、金蓮寺・大野城との関係に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【知多四国霊場】金蓮寺と大野城に関連している常滑市・知多市の札所群

札所群のうち、知多市の大草地区にあるのが69番札所慈光寺です。
知多市は知多半島の北西部に位置していて、大草地区は知多市の最南部で常滑市と接しています。

慈光寺は、室町時代の応永元年(1395年)に、当時この地を治めていた大野城主・一色満範(いっしきみつのり)が、鎌倉円覚寺ゆかりの清源和尚を招いて開山したと伝わっています。臨済宗妙心寺派の寺院で、知多四国霊場では珍しい宗派です。

一色満範が知多を離れ、丹後(現在の京都府)に移った際に、丹後でも「慈光寺」という同じ名前の寺院を建立して庇護したエピソードもあり、一色氏にとても大切にされ、居城であった大野城とも深く関わっていたことがわかります。

知多四国霊場69番札所慈光寺_椎の木。

境内にある椎の木は、一色満範と 清源和尚の手植えの木と伝わり、樹齢600年以上とされています。

 

2体の観音様から慈愛の心をいただく

御本尊の聖観世音菩薩は、かつて巨大寺院群・金蓮寺が存在した平安時代に仏師・春日定朝に祈願し、42才の厄年だった定朝が一刀三礼入魂して作った像とされ、厄除観音として信仰をあつめ、秘仏とされています。弘法堂に、右から子安観音・聖観世音菩薩・弘法大師像の順に祀られ、2体の観音様が並ぶのは珍しいことです。弘法堂は大正7年(1918年)に改築され、昭和16年(1941年)には大修理が施され、現在に至ります。 

弘法堂に祀られている子安観音は、知多四国霊場では珍しい仏様で、母が子に向けるようなとても深く大きな慈愛の心を持った観音様とされています。子育て・安産・子宝・愛情・優しさのご利益があるといわれ、真言の「オン アロリキヤ ソワカ」と唱えてお参りします。 真言は3回や7回唱えるのが一般的な回数の目安ですが、21回・108回・1080回と数が多くなるにつれて功徳が大きいともいわれます。寺院で気を鎮め声を出すことは、前向きな気持ちになったりリラックスする効果も期待できますので、子安観音の真言を唱えて、観音様に声を届け、ご利益をいただいてください。

慈光寺の弘法堂は、右から子安観音・聖観音菩薩・弘法大師像の順にお祀りされています。

2体の観音様が祀られている慈光寺の弘法堂。                           

 

住職手書きの御朱印と弘法大師生誕1250年記念宝印

慈光寺の御朱印は、御本尊の聖観世音菩薩を住職自ら手書きしていただけます。文字に柔らかみのある丁寧な書体が特徴で、たいへんありがたみがあります。
2023年は弘法大師生誕1250年の記念の年にあたり、知多四国霊場では御朱印に弘法大師御生誕記念宝印が期間限定(2023年1月1日~2024年6月30日)で追加で押されます。札所ごとにデザインが異なり、慈光寺の記念宝印は、弘法大師空海の幼少期の真魚(まお)をイメージした、住職考案の可愛らしいデザインです。知多四国霊場専用納経帳にももちろん押印していただけますし、記念宝印のみの押印も可能です。

知多四国霊場69番札所慈光寺_御朱印

慈光寺の住職に書き入れていただいた御朱印の左上に記念宝印が押されています。

住職が御朱印を書き入れてくださることからもわかるように、お参りしやすい環境作りに配慮が行き届いた寺院だと思います。寺院のことについて尋ねると、御本尊の説明をしてくださったり、お遍路に役立つ情報を教えてくださったり、とても親切にしていただきました。

 

織田有楽斎ゆかりの大草城と御城印

慈光寺のすぐ近くには、知多市の観光名所・大草城跡があります。伊勢湾に面した標高10mほどの高台にあり、織田信長の弟・織田長益(おだながます。織田有楽斎とも)によって築城に着手しましたが、完成できずに放棄された幻の城とされています。
天正10年(1582年)、織田信長が本能寺の変により没すると、尾張一国は織田信雄に与えられ、織田長益は当時居城としていた大野城が治水が悪かったため、川を挟んで向かい側の土地に大草城を築こうとしましたが、城が完成する前に秀吉の御伽衆として仕えることになったため、摂津国島下郡味舌(現在の大阪府摂津市三島)に領地替えされ、大草城は未完となりました。
ただ、それ以降も歴代藩主達に守られながら使われ、お掘や土塁は当時のまま完全な形で現存している貴重な史跡になっており、現在は白く美しい城型の展望台が設置され、公園として管理・整備されているので、市民の憩いの場にもなっています。

大草城跡

大草城跡は歴史観光スポットや市民の憩いの場になっています。

慈光寺の納経所で大草城の「御城印」が頒布されています。種類が豊富で、四季折々の季節にちなんだ季節限定御城印や、地域で開催されるイベントにちなんだ特別御城印などが登場します。
慈光寺を訪れた際には大草城にも立ち寄って、記念に御城印を手に入れてください。

大草城_御城印

様々な限定御城印が発行される大草城はお城愛好家や御朱印巡り好きにも人気があります。

慈光寺さんで買える御城印は種類豊富です。

大草城ゆかりの織田有楽斎はご当地キャラクターにもなっていて、周辺地域のゆるキャラとコラボした御城印も発行されたことがあります。

 

知多四国霊場69番札所慈光寺は、室町時代にこの地を治めていた大野城主・一色満範が建立し庇護した寺院です。地域の武将とのつながりの歴史を思い浮かべながら、子安観音と聖観世音菩薩の2体の観音様から慈愛の心をいただいてください。すぐ近くの大草城にもぜひお立ち寄りを。

 

【「知多四国霊場69番札所慈光寺」 地図】

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この記事を書いた人

知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)も楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。