【知多四国霊場】知多半島の人気観光スポットにもなっている源氏ゆかりの「野間の5ヶ寺」

知多四国霊場の札所で、近接で5つの札所がかたまっている札所群が3ヶ所のうち、美浜町の「野間の5ヶ寺」をご紹介します。源氏ゆかりの知多四国霊場50番札所大御堂寺と51番札所野間大坊を中心にした札所群です。

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知多半島の中央部・美浜町にある「野間の5ヶ寺」

愛知県美浜町は、知多半島の中央部に位置し、町名の通り、西は伊勢湾、東は三河湾に面していて、特に西海岸にある「野間埼灯台(のまざきとうだい)」は、大正10年(1921年)に設置された愛知県最古の灯台で、この灯台と西に沈む夕日の景色がシンボルになっています。
美浜町の野間(のま)エリアに、知多四国霊場の札所が近接して5ヶ寺かたまっており、通称「野間の5ヶ寺」と呼ばれています。
※知多四国霊場の「5ヶ寺」に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【知多四国霊場】札所が近接でかたまっている大井・野間・佐布里の「5ヶ寺」

 

知多半島の人気観光スポットになっている源氏ゆかりの50番札所大御堂寺・51番札所野間大坊

野間の5ヶ寺の中心となっているのが知多四国霊場50番札所大御堂寺(おおみどうじ)と51番札所野間大坊(のまだいぼう)です。

50番札所大御堂寺は、第40代天武天皇の時代(673〜686年)に開創し、第45代聖武天皇(724〜749年)の頃に阿弥陀寺として行基によって再興されたと伝わります。その後、弘法大師空海が立ち寄り、護摩行を行った言い伝えも残っています。
承暦年間(1077〜1081年)に、白河天皇の皇室繁栄を祈願するお寺として、寺名を現在の「大御堂寺」と改めたとのこと。

隆盛期には大坊、北の坊、南の坊、西の坊、中の坊、執行坊、蓮花坊、淨藏坊、宝乗坊、常楽坊、持蓮坊、円通坊、法山寺、文教坊の十四坊をもつ大寺院だったそうです。時代の変遷で衰退はまぬがれず、豊臣秀吉の時代にすでに七坊に減っていたようです。さらに現代にのこっているのは四坊をルーツとした寺院で、時代の変遷により統廃合などがありましたが、坊をルーツとする寺院が知多四国霊場の札所になっていることから、近接して札所がかたまっているのです。

知多四国霊場50番札所大御堂寺

知多四国霊場50番札所大御堂寺

51番札所野間大坊は、昔は大御堂寺の僧坊でした。豊臣秀吉や徳川家康も参拝した記録が有り、野間大坊のお堂は、豊臣秀吉晩年の居城・伏見城の一部を寛永年間(1624〜43年)に移築したもので、歴史的価値が非常に高いものです。

知多四国霊場51番札所野間大坊

知多四国霊場51番札所野間大坊

大御堂寺・野間大坊は源氏ゆかりのお寺として、人気の観光スポットにもなっています。

鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の父・源義朝(みなもとのよしとも)が、都での戦に敗れ、家臣を頼ってこの地にたどり着きましたが、その家臣の裏切りにより、この地で命を落としました。
源義朝の首を洗ったといわれる池が大御堂寺の前に現存していたり、のちに源頼朝が父の敵をとり、裏切った家臣を張り付けた松(現在は切株だけがのこっています)があったりすることから、歴史好きが訪れる名所になっているのです。

野間大坊の御本尊は、源頼朝が父を弔うために奉納した「開運延命地蔵菩薩」だそうです。

野間の5ヶ寺には含まれませんが、野間の5ヶ寺から1.5kmほど東にある55番札所法山寺(ほうさんじ)には、入浴中の源義朝が家臣に襲われ絶命したという湯殿跡がのこっています。弘法大師空海も滞在し、法山寺の東に湧き出る泉を利用する人のために、密厳秘修を行ったと伝わっています。
境内の立派なイチョウの木も有名です。

知多四国霊場第55番札所法山寺

知多四国霊場第55番札所法山寺

法山寺の湯殿跡にある『源義朝』の像です。

知多四国霊場55番札所法山寺の湯殿跡に、昭和初期に源義朝の像が建立されました。

 

 

3つの坊がそれぞれ知多四国霊場の札所に

●知多四国霊場52番札所密蔵院

大御堂寺一山十四坊のうちの「宝乗坊」として創建され、江戸時代の宝暦年間(1751年頃)に密蔵院(みつぞういん)と改称しています。別堂には如意輪観音がまつられ、この観音様の信者が海で遭難した際に観音様のご加護を信じて救命艇をこぎ漂着して助かったことから、別名「かじとり観音」といわれています。かつては昼夜を問わず参拝者があまりにも多く、入口の門は今まで一度も閉じられたことが無いといわれています。

知多四国霊場52番札所密蔵院

知多四国霊場52番札所密蔵院

 

●知多四国霊場53番札所安養院

大御堂寺一山十四坊のうち「南ノ坊」が、江戸時代に安養院(あんよういん)と改称されました。明治時代初期の廃仏毀釈により、十四坊のうち「龍松院」「慈雲院」「円明院」が合併しました。源頼朝が父の源義朝を弔うために堂宇を再建したと伝わっています。龍松院と慈雲院は現在の大御堂寺・野間大坊と安養院の間にあったとされ、円明院は大御堂寺の北側にあったといわれています。

知多四国霊場53番札所安養院

知多四国霊場53番札所安養院

 

●知多四国霊場54番札所海潮院

野間の5ヶ寺のうち、これまでにご紹介した50番札所大御堂寺、51番札所野間大坊、52番札所密厳院、53番札所安養院からは北東方向に約30kmと遠く離れた半田市亀崎にあるのが海潮院(かいちょういん)です。
なぜ54番札所だけが大きく離れているかというと、大御堂寺一山十四坊のうち「龍松院」が元々は54番札所でしたが、明治維新の廃仏毀釈により廃寺となり安養院と合併したのですが、その後の様々な事情により、まつられていた弘法大師像が明治34年(1901年)に海潮院に移され、54番札所になったとのことです。

知多四国霊場54番札所海潮院

知多四国霊場54番札所海潮院

 

 

野間大坊住職の奥様の手打ち蕎麦が食べられる「おやすみ処 まどか」

大御堂寺・野間大坊の境内にあり、土曜・日曜限定で営業している「おやすみ処 まどか」は、野間大坊直営店で、なんと野間大坊の住職の奥様が手打ちする蕎麦が食べられる人気店です。お店の建物はオープンテラスのような造りなので、広々とした境内にあるお堂や木々を眺めながら食事をすることができて、特別感があります。
蕎麦の他にもぜんざいやあんみつといったメニューもあるので、巡拝途中のお茶休憩にもぴったりだと思います。
ここだけの話、住職いらして食べている光景を見たことがあります。お寺ならではの体験ができるおすすめのお店です。

大御堂寺・野間大坊_おやすみ処まどか

「おやすみ処 まどか」では大御堂寺・野間大坊の境内の景色を楽しみながら食事ができます。

大御堂寺・野間大坊_おやすみ処まどか_かけそば

丁寧に手打ちされたシンプルなかけそば。

 

 

野間エリアの6ヶ寺の巡り方

野間の5ヶ寺をご紹介してきましたが、54番札所海潮院は距離が離れており、実際の巡拝ルートを考慮すると、野間の5ヶ寺のうち4ヶ寺と、前述の55番札所法山寺に、56番札所瑞境寺(ずいきょうじ)を加えた6ヶ寺が野間エリアに密集していることになります。

巡拝の順番は
50番札所大御堂寺 → 51番札所野間大坊 → 56番札所瑞境寺 → 52番札所密蔵院 → 53番札所安養院 → 55番札所法山寺
と巡って、次の57番札所報恩寺(ほうおんじ)に向かうのが、札所の順番とは異なりますが、私がもっとも効率が良いと思うおすすめルートです。

知多四国霊場56番札所瑞境寺

知多四国霊場56番札所瑞境寺

 

 

知多半島の中央部の美浜町にある「野間の5ヶ寺」の中心的存在である大御堂寺・野間大坊は、源氏ゆかりの有名な寺院で、観光スポットとしても人気があります。巨大な駐車場や、きれいに整備されたトイレ、境内のおやすみ処 まどかなど、参拝者や観光客の受け入れ体制協会にも注力されているので、野間エリアの他の札所も含めて、歴史散策をじっくりとお楽しみください。

※知多四国霊場の他の5ヶ寺について、以下リングの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【知多四国霊場】風光明媚な港町・南知多町にある札所群「大井の5ヶ寺」

【知多四国霊場】のどかな田園地帯の雨乞いの聖地「佐布里の5ヶ寺」

 

【「野間の5ヶ寺」 地図】

 

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この記事を書いた人

知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)も楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。