知多四国霊場70番札所地蔵寺は、かつての御本尊である美しい大日如来像が祀られ、伝説の井戸と延命地蔵が今なおのこる歴史ある寺院です。お遍路さんにやさしい設備が充実しています。
美しい大日如来が祀られている70番札所地蔵寺
知多四国霊場で、常滑市北部と知多市南西部の比較的に近い場所にかたまっている札所群があります。
66番札所中之坊寺(なかのぼうじ)、67番札所三光院(さんこういん)、68番札所宝蔵寺(ほうぞうじ)、69番札所慈光寺(じこうじ)、70番札所地蔵寺(じぞうじ)、71番札所大智院(だいちいん)、72番札所慈雲寺(じうんじ)の7ヶ寺です。札所間の距離が近く、歩いても巡りやすいので、歩き遍路初心者さんがお試ししてみるのにもおすすめのエリアです。
この7つの札所は、かつてこのエリアにあった金蓮寺(こんれんじ)という巨大寺院群と、現在の常滑市の史跡になっている大野城(宮山城)と関係がありました。
※7つの札所の概要と、金蓮寺・大野城との関係に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】金蓮寺と大野城に関連している常滑市・知多市の札所群
札所群のうち、知多市の南部の大草地区にあるのが70番札所地蔵寺です。
知多半島の中西部に位置しる知多市は、市域の大半が丘陵地で、海側には海水浴場があり、夏のシーズンになると大勢の人でにぎわいます。
地蔵寺は、奈良時代の天平年間(729〜749年)に行基が開基したといわれていますが、詳細は不明です。鎌倉時代に大日如来像を安置し、文永年間(1264~1274年)に同じ愛知県内の蓮華寺の良敏上人が訪れた時、大日如来の美しさに感動し、寺院を再興したとされています。その後、無住が続き荒廃が進んでしまい、荒れ放題の寺院の光景を見た村人が、辺り一帯を「大草(おおくさ)」と呼ぶようになったのが地名のルーツだそうです。
その後、京都府の岩蔵山親勝寺(現在は廃寺)の大図上人から授かった弘法大師作とされる地蔵菩薩像を本堂に安置し、寺号も地蔵寺とあらためたと伝わっています。
昭和34年(1959年)に東海地方に猛威を奮った伊勢湾台風で、地蔵寺にも被害がありました。大日堂が崩壊し、大日如来も鼻の先が欠けたり、腰から下が分離するなどの爪痕をのこしましたが、その後修復が施されて現在に至ります。
伝説の井戸と延命地蔵
地蔵寺の本堂前の井戸には伝承がのこっています。
江戸時代の享保年間(1716〜1736年)に、近くに住む盲目の女性の夢にお地蔵様が現れ、井戸を探し地蔵を探し出して祈れば治ると言いました。彼女が探した井戸とされるのが本堂前の井戸で、探し出した地蔵は「延命地蔵」の名称で本堂裏に現在もお祀りされています。お地蔵様に水をかけて、自分の身体で痛い所を触ると治るとされ、ご利益を求める多くの人がお参りされています。
本堂横には水子を供養するための石像がたくさんあります。知多半島では数少ない水子供養の寺院としても知られています。
お遍路さんにやさしい設備
地蔵寺には、お守りや御朱印の自動販売機が設置されています。知多四国霊場の札所は、無住や寺院の職員さんの人数が少ないお寺も多いので、お遍路さんなどの参拝者への対応を充実させるための方策のようです。
御朱印も納経帳・御朱印帳への書き入れは行っておらず、書き置きの御朱印が自動販売機に入っています。書き置きといっても、住職手書きのものなので、あたたかみがあります。
お遍路さんなどの参拝者のために大きな休憩場所が用意されているのも地蔵寺の特徴で、知多四国霊場の札所の中では唯一だと思います。机やイス、飲料の自動販売機などを設置してくださっているので、ゆっくり休憩することができ、長時間巡礼するお遍路さんにとってはたいへんありがたい施設です。トイレも男女別の安心して利用できるもので、参拝者への気遣いを感じる寺院です。
知多四国霊場70番札所地蔵寺は、美しい大日如来や伝説がのこる延命地蔵が祀られている寺院です。お遍路さんや参拝者にやさしく、境内は四季折々の姿を見せてくれますので、ゆっくり時間をとってお参りください。
【「知多四国霊場70番札所地蔵寺」 地図】