【遍路道「丸型ポスト」まとめ・須崎市〜高岡郡編】海の街の観光スポット案内役を務める「丸型ポスト」

37番札所岩本寺に向かう道すがら、道の駅や市場といった観光客でにぎわう場所で案内役を務める「丸型ポスト」がいました。いでたちが一風変わった奴もいる須崎市から高岡郡の遍路道の「丸型ポスト」まとめです。

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「丸型ポスト」=「郵便差出箱1号(丸型)」とは

ここで「丸型ポスト」とよんでいるポストですが、正式名称は「郵便差出箱1号(丸型)」です。
まずは、少しおかたいですが、基礎知識から。

日本で郵便制度が始まったのは明治4年(1871年)年で、このときに日本で最初のポストも誕生しました。
当初は木製の簡易なものでしたが、明治34年(1901年)に火事に強い鉄製の赤色丸型ポストができました。
こポストを「赤色」に塗ったのはポストの位置をわかりやすくするため、かどを丸くしたのは通行のじゃまにならないようにという理由からでした。
昭和の戦時体制下では物資不足のため、コンクリートや陶器など、代用の資材を用いたポストが出現しましたが、昭和20年(1945年)に終戦をむかえ、再び鉄製ポストが製造され始め、全国的に普及したのが「郵便差出箱1号(丸型)」です。

その後、ポスト内に収集袋を吊り下げることにより効率よく回収できる「角型ポスト」が開発されたことにより、昭和45年(1970年)に丸型ポストの製造・設置が終了し、現存する丸型ポストは全国で5000~6000基といわれていて、昭和初期の歴史を感じられるある意味「文化財」となっているのです。

今ではマニアともよべるような「丸型ポストファン」がいるようですが、私は遍路を始めるまで興味があったわけではなく、たまたま丸型ポストが好きな知人がいたことと、遍路出発地点のJR板東駅に丸型ポストがあったことがきっかけで、遍路道沿いの丸型ポストに着目するようになりました。
※遍路スタートのJR板東駅の様子は、以下記事もぜひご覧ください。

【JR高徳線板東駅→1番札所霊山寺】遍路初心者立ち寄り必須の店

 

板東駅舎 丸形ポスト

遍路道の原点JR板東駅の丸型ポストです。私の「丸型ポスト遍路」の原点でもあります。

 

「かわうそ」と「鍋焼きラーメン」の須崎市

36番札所「青龍寺」から37番札所「岩本寺」までは、土佐市から須崎市に入り、高岡郡の中土佐町から四万十町までの60km弱の道のりです。
岩本寺から先の足摺岬への長距離歩行に目を奪われて意外と見逃しがちですが、ここまでの遍路道の札所間距離でいうと、23番札所「薬王寺」から24番札所「最御崎寺」の室戸岬へ向かう果てしない歩行に次いで2番目の長さなのです。
1日ではたどり着くことができない距離なので、適度に寄り道もしつつ、途中で宿泊も入れて、ぼちぼち進んでいきたいものです。

ということで、まず通過する「須崎市(すさきし)」は、今は絶滅したのではないかといわれている「ニホンカワウソ」が最後に目撃された地域で、街をあげてアピールしているご当地B級グルメ「鍋焼きラーメン」も有名になってきています。

コンパクトに須崎市を感じられるスポットとしてオススメなのが「道の駅 かわうその里すさき」です。
私はここで鍋焼きラーメンも食べましたので、そのときの様子は以下リンクの記事もぜひご覧ください。

【道の駅かわうその里すさき】須崎名物「鍋焼きラーメン」は「雑炊」まで食べて完成

そして、ここで「安芸市」以来の丸型ポストとの出会いがありました。

【道の駅の裏入口でひっそりと観光案内役を務める丸型ポスト@道の駅 かわうその里すさき】
駐車場に面している多くの人が行き交うの入口から見ると、建物裏のサブ入口でひっそりと観光案内役を務める丸型ポストは、危うく見逃していくところでした。

道の駅かわうその里すさき 丸型ポスト

ちゃんと裏口を見つけた人にしか案内しないぞとニヒルな感じがたまりませんでした。裏口であまり人が来ないからといってすねないように。

 

カツオの一本釣りの港町「土佐久礼」

須崎市から中土佐町に入り、しばらく進むとそこはカツオの一本釣りで有名な港町「久礼(くれ)」の集落です。
初鰹の春の季節、毎年5月の第3日曜日には「かつお祭」が開催されていて、水揚げされたばかりの新鮮なカツオを藁焼きにした「カツオのタタキ」など、カツオ料理が堪能できるイベントです。

遍路道からは少し外れますが、「久礼港」に立ち寄ってみると、ザ・港町という風情で、町全体が漁業を中心にまわっているであろう生活感をダイレクトに感じられました。
平成23年2月には漁師町として初めて文化的景観に選定されています。
写真を撮り忘れましたが、カツオをたくさん獲りすぎたからか、カツオの慰霊碑までありました。

久礼港

このときはひっそりとしていましたが、カツオがどんどん水揚げされるときにはものすごい活気なのだと思います。

【市場の入口で威勢よく呼び込みをかける丸型ポスト@久礼大正町市場】
すぐ近くの港で揚がった新鮮な魚や、地元の農産物、おばあちゃん手作りのお総菜などが並ぶ「久礼大正町市場」の入口で、威勢よく呼び込みをかける丸型ポストがいました。
この市場は、明治時代の闇市が起源といわれている古い歴史を持ち、大正時代に大火事にあった際に、ときの天皇(大正天皇)から復興費が届けられたそうで、それに感激した住民が元の地名「地蔵町」から「大正町」に改名したというエピソードがあります。
地元の台所として長く愛され、平成15年2月に今の木造アーケードに改装してからは、多くの観光客も訪れる観光スポットとしてにぎわっているとのことです。

久礼大正町市場 丸型ポスト

地元の古い歴史と、改装後のにぎわいを象徴する存在として、入口に堂々と鎮座する姿は「凛々しい」の一言。

 

大坂遍路道から七子峠を目指す

土佐久礼からの遍路道は、山手を進む「そえみみず遍路道」と、大坂谷川沿いを進む「大坂遍路道」の2ルートがあります。

「そえみみず」は、漢字では「添蚯蚓」と書き、みみずがはった跡のように曲がりくねっているという意味だそうです。
江戸時代の重要な往還(現在の国道の意味)で、遍路石や遍路墓、石畳などの史跡も残る古道なので、歩き遍路さんには人気の道です。

久礼港に立ち寄ると、海沿いの南の方を通りますので、もうひとつのルート「大坂遍路道」を進むとよいと思います。
私もこの道を進みましたが、大坂谷川沿いの気持ちの良いルートで、春には辛夷(こぶし)や八重桜が咲く美しい景色も楽しめるそうです。
久礼港から4kmほどは舗装路をゆるやかに登り、トイレがある休憩所も2カ所あるので、快適だったのですが、七子峠に登る最後の1kmがかなりの急勾配悪路で、一気に汗が吹き出しました。
道の写真を撮る余裕もなく、なんとか登りきり、七子峠の上から通ってきた大阪谷川方面を眺めると以下の写真の感じです。

七子峠 大坂谷川

海岸の久礼から、一気に山の中に進み、急坂を登ってきたことがよくわかります。七子峠の標高は287mです。

 

「お雪椿」を経由して四万十町中心街へ向かう途中に一風変わった丸型ポスト

七子峠からは谷合をゆるやかに下り、5kmほど進むと、「お雪椿」の休憩所があります。

お雪椿 遍路休憩所

急な登りのあとの下りは怪我リスクが高いので、しっかり休憩をとってから進んでいきます。

この「お雪椿」は、江戸時代の寛永年間に、この地(影野新田)の開拓者で地頭頭だった池内嘉左衛門の屋敷跡で、嘉左衛門には「お雪」という娘がおり、影野西本寺の僧「順安」と恋仲になったことを知った嘉左衛門は順安を還俗させてお雪と夫婦にし、地頭職を譲って嘉左衛門の名を継がせたそうです。
二人は仲睦まじく里人たちも愛しましたが、二人には子供がいなかったため、二人の死後、里人たちはお雪が好んだ椿を植えて供養を行ってきたとのこと。それが現在も残る「お雪椿」で、樹齢は350年ともいわれ、今も花を咲かしているとのことです。

お雪椿

2月のこの時期では花の咲く様子は見られませんでしたが、歴史を感じる古木です。

そんな「お雪椿」で休憩をとって、しばらく進んだ「仁井田(にいだ)」のあたりで、いでたちが一風変わった丸型ポストに出会いました。

仁井田 手づくり丸型ポスト

黄色に体に帽子をかぶっている「丸型ポスト」はファンキーな空気をはなっていました。

この丸型ポストはおまけネタですが、こういう住民オリジナルの丸型ポストは四国内にもけっこう存在していて、丸型ポストが多くの人に愛されていることを感じさせます。

 

ということで、久礼の港町から七子峠越えの遍路道は、なかなかネタが豊富で、変化に富んだ道のりでした。仁井田(にいだ)まで進んでくると、37番札所岩本寺がある四万十町中心街はもう目の前です。

 

※「丸型ポスト」に関しては、以下タグリンクの記事もぜひご覧ください。

四国遍路「丸型ポスト」 タグ

 

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この記事を書いた人

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。