【城郭建築の基礎知識②】日本のお城の変遷(江戸時代-近代-現代)

現代の日本には歴史的建造物としてお城が保存されていたり復元されたりしています。お城とはどのような経緯や目的で建造されたのでしょうか。江戸時代からから近現代までの変遷をご紹介します。

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※日本のお城の始まりから安土桃山時代までの変遷に関しては、以下リンクの記事でご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【城郭建築の基礎知識①】日本のお城の変遷(原始-古代-中世-戦国時代-安土桃山時代)

 

 

江戸時代のお城 -大名の統制と築城技術の広がりー

安土桃山時代から江戸時代にかけて、織田信長に始まり豊臣秀吉が受け継ぎ、徳川家康・秀忠・家光によってさらに拡大していった城の手法が 「天下普請(てんかぶしん)」 です。主君が家臣及び勢力下の大名たちに対し、築城工事などの普請を割り振ったもので、割普請(わりぶしん)とも助役普請(じょやくぶしん)ともいわれる手法で、とくに大名たちに対し命じたものを天下普請といいます。
信長の安土城の築城では、天主台や本丸以下の曲輪の構築や城内の屋敷の造成は織田家臣たちによる助役普請でした。豊臣秀吉の大坂城、 聚楽第、肥前名護屋城、伏見城などの築城も大名たちへの助役普請でした。この助役普請を拡大して大名統制に利用したのが徳川家康です。

家康は、伏見城の再築城、二条城、丹波亀山城、篠山城、名古屋城、駿府城、江戸城などの築城に諸大名を動員しました。家康の後も、徳川政権は大坂城拡張普請、江戸城拡張工事に助役の動員を続けました。織豊系大名の財力削減とともに徳川政権への服従政策を兼ねたものでした。
天下普請へ諸大名が動員されたことにより、諸大名はその時々の最新の築城技法を学ぶこととなりました。全国の近世大名の居城の石垣などの形状・技法が共通するのは、助役普請により当時の最新の築城技法が等しく諸大名にもたらされたことによります。こうして日本中の諸大名の城が同一の手法により築かれ、日本のお城のイメージが生まれ定着していきました。

これより先の江戸時代には新しく城が建てられることはほぼなくなりました。徳川幕府によって城の建設は禁じられ、さらに既存の天守や石垣も原則破却する号令が出されました。江戸城の天守も火災により焼失しましたが、石垣のみ作りなおされただけで天守が再建されることはありませんでした。戦うための城から見せる城へ移行し、その見せる城さえ必要がなくなっていったことによります。江戸城つまり現在の皇居には当時の石垣のみが残されています。

二条城_大手門

京都府にある二条城の大手門。

 

 

近現代のお城 -史跡や観光資源としての保護・復元・活用ー

明治時代の廃城令以降、城は荒廃・破壊の歴史を歩みますが、昭和時代になって特別史跡や史跡、建物は国宝や重要文化財として、現存する城郭遺構の保存が図られています。
天守を例に挙げると、犬山城・彦根城・姫路城・松江城・松本城の5城が国宝、伊予松山城・宇和島城・高知城・備中松山城・弘前城・丸岡城・丸亀城の7城が国の重要文化財に指定されています。このほかの残存城郭建築は、遺構の状態によって県や市町村の文化財としての保存措置が講じられています。

観光資源としての活用は、明治時代から行われていました。 明治39年(1907年) 10月には、東京都新宿駅が起点の中央線が山梨県の塩尻駅まで延伸開通したことを記念して甲府城跡で行われた「一府九県連合共進会」で二層の天守が天守台に建てられました。史実とは異なるイベント用の1ヵ月限定のハリボテではありましたが、当時破却の一途であった城の新たな活用としては最先端といえます。恒久的な建物では、明治43年(1910年) に岐阜城天守(木造三層。1943年焼失)の復元がありました。
本格的な復興・復元の第1号は昭和6年(1931年)竣工の大坂城天守閣でした。鉄骨鉄筋コンクリート造りの天守としても第1号であり、現在は国の登録有形文化財にも指定されています。

ほかに戦前に、郡上八幡城・伊賀上野城などが木造で天守が建てられた例がありますが、 太平洋戦争により天守の建設はしばらくの間中断しました。
昭和29年(1954年)の岸和田城、富山城の天守建設を皮切りに、昭和30〜40年代に各地で天守や櫓の建設が相次ぎました。戦時中の空襲で焼失した天守なども、この時期の建設されたものが多いです。昭和時代の城の建設は、躯体は鉄骨や鉄筋でコンクリート造りとして、外観を復元した天守が大半でした。

平成時代に入ると、城の復元もより本格的な形、すなわち絵図や記録などの文献史料や発掘の調査を実施し、木造の伝統工法による史実に近づけた復元を目指した建築となっていきました。しかも、復元する建物も天守に限らず、櫓や門、土塀あるいは御殿などに及びました。大がかりで記憶に新しいところでは名古屋城の御殿があります。また時代も近世に限らず、中世城館の復元も行われています。

このように昭和時代から平成時代にかけて、多くの城で建物が建設されてきました。その中には、城のないところに天守風の建物を建設したり、史実を考慮しない建築が多いことも(良いか悪いかは別として)事実です。
バリアフリーや障害者対応の設備の必要性も訴えられています。史実に沿って復元再建するケースでは、いうまでもなくバリアフリーや障害者対応の設備は設けることはできませんが、観光目的あるいは時代の流れによって各自治体が判断することになります。

大阪城_天守閣

復元され多くの観光客が訪れる大阪城の天守閣。

 

 

お城というと立派な天守があり戦争のための拠点というイメージがありますが、各時代によって思想、目的、特徴などが異なります。現存のお城は主に戦国時代以降をベースに、保存されていたり、復元されていたりしています。
各地域のお城の歴史や建築様式から、時代背景や地域文化を紐解いていくのも、旅の楽しみのひとつになると思います。

※城郭建築の種類や築城技法に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【城郭建築の基礎知識③】築城の計画・選地と城郭の設計(用語解説)

【城郭建築の基礎知識④】城郭の普請と建造物の施工(用語解説)

 

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この記事を書いた人

建築・不動産・旅のテーマが得意なライター。社寺系ゼネコンに勤務経験があり、四国八十八ヶ所霊場の札所建築物の改修工事に携わったことがあります。仏教に興味があり、2022年には四国のお遍路巡礼もしました。ライターとは別名義で作家として小説も書いています。