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幕末から明治にかけて、通訳・教師として活躍した「ジョン万次郎」の生誕の地、足摺半島の「中浜」に立ち寄り、宿泊のために足摺岬に戻る際に利用した路線バスは、細くてくねくねの道を疾走する強烈な印象を残すものでした。

足摺岬からは複数ルートの選択

足摺岬の38番札所「金剛福寺」に参拝してから、39番札所「延光寺」までのルートは、複数(大別で4ルート)ありますが、多くの歩き遍路さんが選択するのは「真念庵打ち戻り山道ルート」「月山神社・大月海岸ルート」のどちらかです。

「真念庵打ち戻り山道ルート」は、もっとも距離が短く(といっても50km以上ありますが)、山道のアップダウンはありながら舗装路中心の歩きやすい道のりで、江戸時代に真念さんが使っていたルートということもあり、これを選択する歩き遍路さんが一番多いと思います。
※「真念」「真念庵」に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

四国遍路の父「真念」ゆかりの「真念庵」と「ドライブイン水車」は足摺岬への中継基地【四万十市→土佐清水市】

一方で、足摺岬から「真念庵」までの約30kmほどは、歩いてきた道を同じ道を打ち戻りますので、変化に乏しく、私は精神的な疲労感が増すような気がして、しかも途中で何度かお会いする機会のあった先達さんが「月山神社・大月海岸ルート」を強くすすめてくださったので、距離は20kmほど余分に歩くことになるのですが、こちらを選択しました。
※「月山神社・大月海岸ルート」に関しては、別の記事でご紹介します。

この区間は、多くの分岐点が存在し、足摺岬から足摺半島を土佐清水市街方面に戻るルートだけでも3ルート(東岸窪津津呂ルート、足摺スカイライン山中ルート、西岸中浜ルート)あるのですが、私は月山神社方面に近い西海岸を進みました。

西海岸から足摺岬方面を眺めると、東海岸以上に起伏にとんだ海岸線の景色を楽しむことができます。

西海岸から足摺岬方面を眺めると、東海岸以上に起伏にとんだ海岸線の景色を楽しむことができます。

道の途中には放し飼い状態のチャボ?がいました。「みんなのアイドル コッコ」と書かれた看板がかかっていましたが、これまでに遭遇した野生動物の中でも、猿に匹敵するぐらい襲われる危険を感じました。こんなにビビっているのは私だけ?

道の途中には放し飼い状態のチャボ?がいました。「みんなのアイドル コッコ」と書かれた看板がかかっていましたが、これまでに遭遇した野生動物の中でも、猿に匹敵するぐらい襲われる危険を感じました。こんなにビビっているのは私だけ?

 

「ジョン万次郎」生誕の地「中浜(なかのはま)」

足摺半島西海岸ルートには、幕末から明治にかけて活躍した「ジョン万次郎」が生まれた「中浜(なかのはま)」があります。

「ジョン万次郎(本名:中濱萬次郎)」という名前ぐらいは聞いたことがあるけど、何をした人なのかよくわからないという方のために、簡単にご紹介をします。

1827年の幕末の時代に、ここ土佐国中濱村の半農半漁の家の次男として生まれ、幼いころから家業を手伝い、14歳のときに漁に出た際に嵐で遭難し、漂流や無人島での生活を経て、アメリカの捕鯨船に救出され、そのままアメリカで学業に励む。
英語や測量、造船など幅広い知識を身につけ、24歳のときに日本に帰国してからは、土佐藩の士分に取り上げあれ、その後、「日米和親条約」や「日米修好通商条約」の締結に尽力したり、英語教師としても活躍し、明治に入ってからは開成学校(現在の東京大学)の教授もつとめた。

という偉人が生まれたのが、足摺半島の小さな村で、いくつか史跡が残っていました。

復元された生家。早くに父親が亡くなり、貧しい家だったとのことなので、こんなに立派できれいな家ではなかったのではないかと想像しました。

復元された「ジョン万次郎」の生家。早くに父親が亡くなり、貧しい家だったとのことなので、こんなに立派できれいな家ではなかったのではないかと想像しました。

海岸の堤防には「ジョン万次郎」を大々的にアピールする看板が設置されていました。写真は撮りませんでしたが、この看板の横に万次郎の一生と功績を漫画風に説明する看板がずらっと並んでいます。

海岸の堤防には「ジョン万次郎」を大々的にアピールする看板が設置されていました。写真は撮りませんでしたが、この看板の横に万次郎の一生と功績を漫画風に説明する看板がずらっと並んでいます。

中浜の漁村を見渡すことができる高台にたつ「中濱萬次郎」の勲等記念碑。

中浜の漁村を見渡すことができる高台にたつ「中濱萬次郎」の勲等記念碑。

遭難で命の危機にあいながら、意図せず偶然にアメリカに渡り、足摺岬から世界に羽ばたいていったかと思うと、足摺の自然の厳しさとともに、雄大さや神秘性も感じました。
私は「ジョン万次郎」の生い立ちや史跡に興味津々で、まちを歩き回ってけっこうな時間滞在していたのですが、ほんとに小さな漁村で、観光地という雰囲気ではないので、特に興味がない方は一瞬にして通り過ぎてしまうと思いますが、足摺の歴史を感じるよい場所なので、立ち寄りをおすすめします。

「中浜」周辺には、起伏の大きい崖地形を登りおりする、自然豊かな遍路道が残っていて、風情があります。

中浜」周辺には、起伏の大きい崖地形を登りおりする、自然豊かな遍路道が残っていて、風情があります。

 

細くてくねくねの道を疾走する路線バス

私はこの日の朝、以布利「ジンベエ広場」を出発し、午前中には足摺岬に到着して、「足摺椿まつり」を含む足摺岬観光を楽しんだり、38番札所「金剛福寺」に参拝したりして、「中浜」まで歩きました。
宿泊が足摺岬の絶景リゾートホテル「足摺テルメ」だったので、歩いてきた道を戻るのに、路線バスを使いました。
歩き遍路なので、このような機会でないと歩き以外の交通手段を使うことはないですし、このバスがなかなか印象深いものだったので、おまけでご紹介です。

まずは、足摺半島の起伏の激しい細道を見事なドライビングテクニックですり抜けていく様子に、遊園地のアトラクションかと思うほどでした。
バス一台が通るのがやっとの細い生活道路をすり抜けるように進み、対向車がきたときはどうするんだろうと心配しながらも、バスの運転手さんや地元の方はちゃんとすれ違いポイントを知っていらっしゃるので、立ち往生なんてことは発生しません。

バスの中から道沿いの民家が手の届くところまで迫っています。

バスの中から道沿いの民家が手の届くところまで迫っています。

翌朝も足摺岬から中浜に向かう際に利用したのですが、地元の小学生がおそらく毎日同じ席に座るであろう慣れた様子で、通学バスとして乗っているのが、地元の生活感があってこれも印象に残りました。

 

さらに、足摺岬のバス待合所がいい味を出していたのです。

観光の拠点でもある「足摺岬バスセンター」の何の変哲もないバス待合所ですが…

観光の拠点でもある「足摺岬バスセンター」の何の変哲もないバス待合所ですが…

待合所内には手書きの運賃表があり、レトロな雰囲気を感じました。私が支払った運賃と微妙に違ったので、昔のものをあえてそのまま保存しているのかもしれません。

待合所内には手書きの運賃表があり、レトロな雰囲気を感じました。私が支払った運賃と微妙に違ったので、昔のものをあえてそのまま保存しているのかもしれません。

ということで、基本的は歩き以外の交通手段は使わないのですが、公共交通機関を利用してみると、こんな体験もあるんだなと、四国の奥深さを感じる機会にもなりました。

 

足摺岬までたどり着けば、遍路旅は半分程度の距離を歩いたことになります。
ここまで来られたことに感謝し、今までの道程ではなかった長時間の滞在と観光を満喫してパワーを蓄えて、気持ちも新たに残り半分の四国遍路旅に再スタートをきりました。

※参考に「中浜(なかのはま)」の地図を掲載しておきます。

 

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ごんのすけ

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。