愛媛県大洲市の中心部は、大洲城の城下町として発展し、古い街並みが残る「伊予の小京都」と呼ばれています。四国遍路においては通過エリアですが、街並みや川の風景を楽しんで進みたいものです。
大洲の文化の源流「肱川(ひじかわ)」
43番札所明石寺を出発し、宇和町を進み、宇和街道の難所「鳥坂峠」を越えると、大洲市(おおずし)に入ってきます。
国道56号を峠から下ってきて、「大洲ゴルフ倶楽部」の間を通り過ぎれば、視界に飛び込んでくる大きな川が「肱川(ひじかわ)」です。
川の中の中洲に道路が通り、橋には欄干がない「沈下橋」がかかっていて、遍路2日目に歩いた徳島県の吉野川を思い出しました。
※吉野川の「沈下橋」に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【10番札所切幡寺→11番札所藤井寺】吉野川の日本最大級川中島「善入寺島」を渡る
この肱川は、通過してきた「鳥坂峠」付近が源流で、一旦南の西予市方向に流れ、そこから山の中を蛇行するようにして大洲市の方向にUターンしてくる川です。
山の中を流れる間に474本もの支流が流れ込み、水量を蓄えた状態で「大洲」の盆地に流れ込んでくるので、流域を潤す水源であるとともに、昔から大きな水害を起こしたり、「肱川あらし」とよばれる朝霧の発生原因としても知られています。
そして、観光資源にもなっているのが肱川で行われる「鵜飼(うかい)」と「いもたき」です。
「鵜飼」とは、鳥の「鵜」に魚を飲み込ませて捕え、それを吐き出させる伝統的な漁法で、大洲の鵜飼は岐阜県長良川・大分県三隅川と並んで日本三大鵜飼に数えられ、現在は夏の風物詩として多くの見物客が訪れるイベントになっています。
「いもたき」は、秋に夏芋(さといも)を持ち寄り、肱川で獲れた鮎でとった出汁で炊いて食べる風習が観光行事になったもので、川に集まって芋を炊くということで、有名な山形の「芋煮会」とも共通点があります。
大洲市は、肱川の流域に発展してきた歴史を持ち、この地域の独自文化の源流にもなっています。
大洲城の城下町は「伊予の小京都」
肱川と並んで大洲市のシンボルなのが「大洲城」です。
大洲城は鎌倉時代末期に伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築かれたとされ、近世の城郭として整備されたのは文禄4年(1595年)に入城した藤堂高虎によるところといわれています。
大洲市は大洲城の城下町として栄え、今でも古い建物や街並みが多く残ることから「伊予の小京都」と呼ばれています。
遍路道沿いにも古い街並みを見ることができる場所があり、街並み見物を楽しみながら歩きたいエリアです。
NHK連続テレビ小説「おはなはん」の舞台で道案内する「丸型ポスト」
大洲城を眺めることができる肱川橋の少し手前には、江戸時代から明治時代にかけて建設された武家屋敷や商家が残っているエリアがあり、このエリアは昭和41年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」の舞台にもなったそうです。
ここまでの遍路道ではNHK連続テレビ小説といえば、徳島県日和佐の「ウェルかめ」がありましたが、年代はかなり違うものの四国にもテレビのロケ地になるような場所がけっこうあるものですね。
※徳島県日和佐の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【道の駅日和佐】「ウェルかめ」の舞台で「すだちソフトクリーム大(かめたろう)」を食らう
そして、この街並みで見つけたのが、南予では出現頻度が増えてきた「丸型ポスト」です。
※「丸型ポスト」に関しては、以下タグの記事をぜひご覧になってみてください。
この丸型ポストですが、1991年放映のかの有名なドラマ「東京ラブストーリー」で、赤名リカ(鈴木保奈美)が永尾完治(織田裕二)に別れの手紙を投函したポストなんだそうです。
有名ドラマに出演までしてしまう丸型ポストは偉大です。
主人公の永尾完治が愛媛県出身の設定なので、愛媛県内でロケ地になった場所が多くあるようです。
お遍路という意味では、大洲は通過エリアになりますが、見どころがたくさんある風情を感じる街ですので、時間に余裕があれば、観光を楽しんでみてください。
【大洲市中心街 遍路道「肱川橋」 地図】