開創1200年で盛り上がる高野山に四国遍路のお礼参りに行った際に見つけた「丸型ポスト」をまとめてみました。真言密教の聖地にはやっぱりノスタルジックな「丸型」でしょ。
「丸型ポスト」=「郵便差出箱1号(丸型)」とは
ここで「丸型ポスト」とよんでいるポストですが、正式名称は「郵便差出箱1号(丸型)」です。
まずは、少しおかたいですが、基礎知識から。
日本で郵便制度が始まったのは明治4年(1871年)年で、このときに日本で最初のポストも誕生しました。
当初は木製の簡易なものでしたが、明治34年(1901年)に火事に強い鉄製の赤色丸型ポストができました。
こポストを「赤色」に塗ったのはポストの位置をわかりやすくするため、かどを丸くしたのは通行のじゃまにならないようにという理由からでした。
昭和の戦時体制下では物資不足のため、コンクリートや陶器など、代用の資材を用いたポストが出現しましたが、昭和20年(1945年)に終戦をむかえ、再び鉄製ポストが製造され始め、全国的に普及したのが「郵便差出箱1号(丸型)」です。
その後、ポスト内に収集袋を吊り下げることにより効率よく回収できる「角型ポスト」が開発されたことにより、昭和45年(1970年)に丸型ポストの製造・設置が終了し、現存する「丸型ポスト」は全国で5000~6000基といわれていて、昭和初期の歴史を感じられるある意味「文化財」となっているのです。
今ではマニアともよべるような「丸型ポストファン」もいるほどのようですが、私は遍路を始めるまで興味があったわけではなく、たまたま丸型ポストが好きな知人がいたことと、遍路出発地点のJR板東駅に丸型ポストがあったことがきっかけで、遍路道沿いの「丸型ポスト」に着目するようになりました。
※遍路スタートのJR板東駅の様子は、以下記事もぜひご覧ください。
【JR高徳線板東駅→1番札所霊山寺】遍路初心者立ち寄り必須の店
真言密教の聖地には丸型ポストがよく似合う
真言密教の聖地「高野山」は、空海が密教修養道場を開創してから2015年で1200周年を迎え、たいへんな盛り上がりをみせています。
私は開創記念大法会期間中(2015年4月2日~5月21日)に、四国遍路結願のお礼参りに参拝し、2日間の滞在でいろいろなところを回りました。
そのときの様子は当ページの他の記事をご覧いただくとして、高野山にも丸型ポストがいたのです。
1200年の時を刻み、多くの人々の信仰の対象となってきた高野山には、長く郵便事業に携わり、歴史を刻んできた丸型ポストがよく似合います。
ということで、高野山内で発見した丸型ポストをご紹介します。
【大混雑の高野山で黙々と仕事をこなす丸型ポスト@高野郵便局】
開創1200年の記念行事もありたいへんな人手の山内で、その喧噪とはまったく無縁で黙々と仕事をこなす姿が少し寂しさを感じてしまいました。
普段から多くの寺院の郵便を一手に担っていることでしょう。
高野山から下界の方々への手紙をこの丸型ポストに託してみるのもよいかもしれません。
【「浪切不動」と正対し斜面でバランスを保つ丸型ポスト@高野山「南院」前】
荒波を切り拓き、多くの国難を救ってきたとされる「浪切不動」の「南院」と向かい合って、少し斜めになったアスファルトの上で微妙なバランスを保っていました。
この丸型ポストがいる「不動坂」は、高野山のメイン通りからは裏側になりますが、ぜひ立ち寄ってもらいたいエリアです。
「南院」のほか、「徳川家霊台」や「女人堂」など見どころはたくさんあります。
ポスト自体の色や様子に個体差がありますし、設置されている場所によっても雰囲気が違い、着目してみるとおもしろいものです。
遍路中に他のエリアでも丸型ポストを記録していますので、随時ご紹介していきたいと思います。
※本情報サイト内の「丸型ポスト」に関する記事は、以下タグリンクにまとめられています。ぜひご覧ください。