20番札所鶴林寺と21番札所太龍寺の間にある番外霊場「一宿寺」は、修行時代の空海や、太龍寺再興に尽力した僧侶が宿泊した場所と伝わっています。太龍寺までの旧遍路道「かも道」はここから始まります。
修行時代の空海が泊まったと伝わる番外霊場
一宿寺(いっしゅくじ)は、徳島県阿南市にある寺で、修行時代の空海が19歳の時に訪れたと伝わる番外霊場です。20番札所鶴林寺と21番札所太龍寺の間、「加茂谷エリア」と呼ばれる谷あいの集落にあり、嘉保年間(1094-1096)に京都東寺の僧侶「長範」が太龍寺を再興するために宿泊したことから「一宿寺」と名付けられたとされています。集落の中でも少し高台にあるため、境内からは加茂谷エリアが一望できます。
清潔感のある一宿寺の境内
一宿寺の本堂までは、駐車場からさらに坂を登ります。上がってすぐの場所に薬師如来を祀る本堂があり、そのとなりに鐘楼と休憩スペースが置かれたコンパクトな境内です。敷き詰められた砂利の様子からもわかるように、全体的に手が行き届いた清潔な印象がありました。
旧遍路道「かも道」の起点として
一宿寺の駐車場横には、21番札所太龍寺まで続く「かも道」と呼ばれる旧遍路道の入り口があります。かも道は南北朝時代(1362~1367年)より使われていた鶴林寺から太龍寺に向かうための遍路道の一区間で、当時の年号が刻まれた「丁石※」が残っています。他地域の遍路道の丁石は江戸期のものがほとんどなので、史跡として年代が確認できるものが存在する遍路道としては最古とされているそうです。
江戸時代に鶴林寺から太龍寺への近道が開拓されたことで、かも道は荒廃してしまったそうですが、近年、地元有志の手で整備・復元され、誰もが歩ける道になりました(平成27年には国の史跡に指定)。
史跡の説明書きには、丁石には北朝年号が刻まれていることから、この周辺は北朝勢力下にあったと解説されていました。当時の政治勢力の影響がわかるのも興味深いですね。
※丁石:お寺までの距離を示す道しるべとしての石柱。
太龍寺の舎心ヶ嶽は、室戸の御厨人窟と並び称される空海修行の聖地なので、その麓の一宿寺周辺も修行地への拠点として重要な場所だったと想像できます。一宿寺から太龍寺までかも道を歩くと、この地に泊まって修行に励んだ空海の気持ちが味わえるかもしれませんね。
【「一宿寺」 地図】