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「苦しいのは最初だけ」「峠まで20分」の立札と、急登で有名な歯長峠遍路道。こちらも通行止めが周知されてから長い年月が経っています。調査歩行に参加して峠上部の現状を把握することにします。

※当記事は歯長峠遍路道の安全保証や、歩行を推奨する内容の記事ではありません

「きついのは最初だけ」「峠まで20分」

【「歯長峠上部遍路道と県道31号の分岐点」 地図】

第42番仏木寺方面から歯長峠に上ってくる峠下部の遍路道の様子は、以下リンクの記事でご紹介しています。

通行止めが続く歯長峠遍路道の現況[峠下部の遍路道]【42番札所「仏木寺」→43番札所「明石寺」】

 

きついのは最初だけ

大きな通行止め看板

四国の道休憩所がある地点。通行止めと掲げられています。
公式発表されている代替ルートは県道31号を歩行。歯長トンネルを通ってトンネル出口(宇和側)から未舗装路を下って、歯長地蔵(はながじぞう、下山地点)へ向かうルートが提案されています。

今回は現状調査なので、ベンチ奥へ続く遍路道をたどります。

歯長峠のハイライトシーン

四国のみち休憩所を過ぎると、すぐに峠へ向かって杭と鎖が延びる急坂に差し掛かります。歯長峠のハイライトシーンであり最難所。この部分は県道31号開通以前は存在しなかった区間です。
遍路道でも登山でもですが、杭や鎖、虎ロープ等は視覚的に危険を知らせる情報媒体であって、登坂の補助とするものではないと個人的には考えています。

「きついのは最初だけ」…正解
「峠まで20分」…うーん、これはさすがにそこまで近くないような

金剛杖を頼りにゆっくりしっかり坂道を上がりました。

 

集中豪雨の爪痕

遍路道沿いに柵が設けられています

急坂を上がると旧来の遍路道と合流。そこから峠まで緩やかな上り坂が続きます。

少し進んだところでコンクリート柱の柵が現れました。こちらは以前は無かったものです。

平成30年の豪雨で崩れた箇所

柵が設けられた地点で下に目をやると、この部分だけ木が生えていません。集中豪雨等によって流されてしまったのでしょうか。平成30年西日本豪雨の際は歯長トンネル経由の県道31号もしばらくの間通行止めになりましたが、この地点が遍路道・県道共に大きな被害が出た地点だったのかもしれません。

眺める先は愛媛みかん発祥の地

大きな木が無くなったことで展望が良くなったのは皮肉な話。遠くに目をやると海が見えますが、宇和島市北部の吉田湾を眺めることができるようになりました。

吉田湾沿岸に広がる宇和島市吉田町は「愛媛みかん」発祥の地。明治10年頃から栽培が始まり次第に県内各地へ広がることで、みかん王国・愛媛の地位を不動のものとしました。
この場所もそうですが、平成30年西日本豪雨の際に特に大きな被害が出たのが吉田町。人的被害はもちろん、斜面に広がるみかん畑にも大きな爪痕を残しました。早期復旧の願いを込めて、吉田みかんを見かけたら購入することで被災地の支援を心がけたいと思います。

 

大きな落石

遍路道のど真ん中に大きな落石

峠へ向かって歩いていくと、遍路道のど真ん中に大きな落石がありました。右の斜面に目をやるとその予備軍がいくつも。

歯長峠の危険個所は崩落個所だけではありません。大雨はもちろん、強風、地震などあらゆる災害によって通行が困難になる危険性が潜んでいます。既に岩が落ちていたことには驚きを隠せませんが、今まさに落ちて来るよりかは良い。足早に通り過ぎました。

 

三間と宇和を分ける歯長峠

峠にある小さな庵(あん)

歯長峠に到着。小さな庵は「送迎庵見送り大師」第42番仏木寺(ぶつもくじ)の奥の院でもあります。

「歯長(はなが)」の名称の由来は、下野國足利荘(しもつけのくにあしかがのしょう、現栃木県足利市)を拠点とする東国武将・足利忠綱(あしかがただつな)に由来。

歯長又太郎の話

別名「歯長又太郎(はながのまたたろう)」
鎌倉時代初期に編纂された歴史書「吾妻鏡(あづまかがみ)」によると、足利忠綱は「末代無双の勇士なり。三事人に越えるなり。所謂一にその力百人に対すなり。二にその声十里に響くなり。三にその歯一寸なり」と記されている。
巨漢で百人力、声は十里先(=約40km)に届き、歯の長さは一寸(=約3cm)。特に歯の記述。一般的に人間の歯で見えている部分の長さは1cm程度。それが忠綱の場合は3cm。身体がとても大きかったようですが、歯も飛び抜けて長かったようです。

足利の名が示す通り元々は源氏方の武将。しかしながら訳あって平氏方で挙兵。源平合戦後半で平家が劣勢になるにつれ追われる身となる。身を隠す必要が生じるが、折からの大男。里暮らしではすぐに発見され捕らえられてしまう。そこで選んだのが山深いこちらの場所で庵を結び隠棲した。

栃木と愛媛は繋がりを見出そうにもなかなかイメージが湧いてきませんが、南予地方(なんよちほう、愛媛県南部)で見ることができる宇都宮(うつのみや)姓は、東国武将由来の名字。日本史史上初めての全国規模の戦いが源平合戦。有力武将の転戦が名字の起源になっている例はたくさんあるのではないかと想像します。

 

歯長峠遍路道は「歩けるのか」「歩いて良いのか」

三間と宇和を分ける峠

結果から言うと歩かない方が良いと思います。

前項の地元住民さんの想いや、通行止めとして認知されているのが現状。そう考えると公式見解「通行止め」に従った方が良いと思います。通行止めと書かれているのに進んで、後ろめたい想いをするのも旅中の心の在り方として適切ではありません。そもそも災害に巻き込まれる可能性が、他の場所よりも高いことは間違いありません。

ただ、個人的な見解としては「これだけ?」と感じるところがあったのも事実。下部遍路道にあるような迂回路は、第88番大窪寺(おおくぼじ)へ向かう女体山遍路道(にょたいざんへんろみち)にも同様の箇所が存在します(ただしそちらは迂回歩道が設置されていたり、法面が補強されています)。

*「この道行けますか?」
と地元住民に尋ねたところで、その方が詳細を事細かに回答できるほど遍路界に精通して最新情報を把握していることは、あまりないと思います。地元の方こそ移動には自家用車利用です。
また、下手に「行けますよ」と答えて何かあった場合、昨今は責任の在り処が追及される時代。そのためちょっとの事でも制止せざるを得ない、多岐に渡る注意書きの掲示、時には誓約書の提出等…
あらゆる施設やサービス等で、事前にそう問わざるを得なくなっているのがとても残念な事ですが、遍路道通行の可否も例外ではないと思います。

四国八十八ヶ所遍路道の多くは、有志やボランティアによって辛うじて保全されています。「管理」ではありません。
歯長峠に限らず通行困難だった遍路道を修繕すると、管理が行われているものと勘違いする方々がいます。修繕を行うにもその原資は県や市町村の税金。かと言って地元民が遍路道を利用することは殆ど無い。納税者に遍(あまね)く恩恵が行き届かなければならない税制度の原則を考慮すると、遍路道の保全ばかりを行うわけにはいきません。

住民の理解を得難い状況で工事を行って道を修繕したところで、かえって道の注文や最悪責任問題を追及されてしまう現代では、通行止めとして通れないことを周知するのが最善の方法というところでしょうか。歴史ある遍路道が、今そのような理由で閉鎖されつつあることがとても残念です。

※当記事は歯長峠遍路道の安全保証や、歩行を推奨する内容の記事ではありません。

 

【「歯長峠頂上部」 地図】

 

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野瀬 照山

八十八ヶ所案内人・先達であり、旅人をお迎えするゲストハウスそらうみを運営。 四国八十八ヶ所結願30回、うち歩き遍路12回。 四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「さぬき高松ゲストハウスそらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。