【別格5番札所大善寺】船舶の往来安全に寄与していた太平洋を望む「二ツ石大師」

四国別格二十霊場で高知県唯一の札所である別格5番札所大善寺。須崎市市街地丘陵に位置し、地元では 「高野山」と呼ばれ親しまれているお寺は、船舶の往来安全のご利益があるといわれ、それに関係する「二ツ石」の伝説があります。

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大善寺 遠景

四国別格二十霊場5番札所大善寺

—– こちらの記事に登場する主な単語の読み
大善寺(だいぜんじ)
吉祥塩(きっしょうじお)

----- こちらの記事に登場する主な登場人物
武田徳右衛門(たけだとくえもん / ?~1814) … 伊豫國越智郡朝倉村(現在の今治市)生まれ。寛政6年(1794)から文化4年(1807)にかけて四国各地に標石を建立した。

 

二ツ石大師の由来

大善寺 ぼけ封じ観音 弘法大師像

参道には大師と観音

高野山と呼ばれるだけあって小高い丘の上に位置。
ふもとから階段・坂を上がって境内を目指します。

大善寺 二つ石大師 弘法大師像

二ツ石大師

こちらの大師は "二ツ石大師" と呼ばれ、丘の上から須崎湾(太平洋)を見守るように立たれています。

大師がこの地を訪れた時代は、現在の大師堂の辺りが海岸線。
須崎湾は陸地が重なるように入り組んだ天然の良港だが、陸地に近いところには浅瀬があり、船舶が暗礁に乗り上げて遭難という事故が後を絶たなかった。

大師は海難事故死亡者の菩提を弔い、海上交通の安全を祈願すると共に、毎夜かがり火を焚いて光を発し煙を立て沖を航行する船にこの場所が陸地であることを知らせた。
現在その役は灯台が担っているが、それらは西洋式燈台であり、日本では明治以降の登場。
文明開化のずっと前から灯台の代わりとなるものの必要を感じ実践されてきたことが特筆すべき点である。

その火を焚いた場所に二つの大きな岩があったことから、後年 「二ツ石大師」 と呼ばれるようになった。
二ツ石は長年にわたる波の浸食を受け土砂が堆積、陸地となったところに、昭和になって堤防工事が行われ地中に埋まってしまい、現在は見ることが出来ない。

また、現在の寺号である大善寺は元々別の場所にあったが、宝永4年(1707)に発生した津波で堂宇が流され、現在の古城山に移転した。

 

四国唯一の吉祥塩

大善寺 鐘楼堂

海を望む鐘楼堂

近年再建された鐘楼堂。

大善寺 見下ろす街並み

境内から見下ろすことが出来る須崎の街

近隣は住宅地となっているため、騒音の問題から 鐘を突くことができないので注意。

大善寺 本堂 手水舎

大善寺本堂

階段を上がった丘の上、小ぢんまりとした境内に本堂あり。
本尊の阿弥陀如来や、ぼけ封じにご利益がある観音さまが祀られています。

大善寺 吉祥塩

清めの吉祥塩

四国霊場では唯一、大師秘伝・吉祥塩の授与を受けることができる。
清めに大変霊験あらたかで、遍路や参拝者から信仰を集めている。

 

五社と記された標石

大善寺 武田徳右衛門 標石

大師堂前にある標石

是より五社??七里

デザインを見るに、おそらく武田徳右衛門によるもの。

五社は現在の37番札所岩本寺に相当するもの。
須崎から先は "土佐の親不知" と呼ばれた 断崖絶壁の遍路ころがしが続く。
遍路は心して先を進んだことでしょう。

 

かつての海上交通の要所を小高い丘の上から見守る「大善寺」で遍路道中の交通安全を祈願して進まれてください。

 

【別格5番札所】  高野山 大善寺(こうやさん だいぜんじ)
宗派: 高野山真言宗
本尊: 弘法大師
真言: なむ だいし へんじょう こんごう
開基: 弘法大師
住所: 高知県須崎市西町1-2-1
電話: 0889-42-0800

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。