【19番札所奥の院取星寺】空海の悪星退治の伝承が残る神仏習合の霊場

弘法大師空海の「地上に厄災を及ぼす悪星退治」の伝承が残る取星寺。19番札所立江寺の奥の院でもあり、寺院と神社が混在する境内は神仏習合時代の姿を色濃く残しています。

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空海による悪星退治の伝承を残す霊場「取星寺」

空海が記した書物「三教指帰(さんごうしいき)」には、若き空海が修行した土地として高知県の室戸岬と阿国太龍嶽(21番札所太龍寺のあたりといわれる)の名が挙げられています。

阿国太龍嶽にのぼりよじ土州室戸崎に勤念す 谷響を惜しまず明星来影す(三教指帰)

この太龍嶽での修行時代に現れた「地上に厄災を及ぼす悪星」にまつわる霊場が、徳島県阿南市にある取星寺(しゅしょうじ)です。

取星寺門

山の中腹にある取星寺。

 お遍路さんのバイブルともいわれる「四国遍路ひとり歩き同行二人(解説編)」には

桓武天皇の延暦11年(792年)、龍山(阿南市)で修行中の弘法大師が、秘法を執して天空に現れた悪星を失墜させ、落下した星体を当地に納め、本尊(虚空蔵菩薩)と妙見大菩薩を刻んで堂宇を建立したと言われる。

と、空海が退治した悪星を納めて取星寺を創建したことが記されています。
その後、南北朝時代(1384年)に讃岐国出身の増吽(ぞううん)上人が鹿島大明神・香取大明神を勧進し、妙見宮を建立。寺院の再興に努めたそうです。また、19番札所立江寺の奥の院であるほか、阿波七福神霊場のうちの「福禄寿」を祀る場所でもあります。

取星寺地図

取星寺の境内案内(明現神社の位置が隠れていたので追加しています)。

 

空海作(伝)の虚空蔵菩薩を祀る取星寺

取星寺は山の中腹にあり、車は途中までしか入れないので、境内にたどり着くには階段を少し登る必要があります。私は途中の道路脇に車を停めて階段を進みましたが、岩脇公園展望台の駐車場に車を停めることも可能です。周辺は歴史散歩道になっているので、散策ルートが整備されています。

取星寺への階段

取星寺に続く階段を仰ぎ見ます。お寺はこの先の左手です。

取星寺には本堂と虚空蔵菩薩を祀るお堂がありました。

取星寺_虚空蔵

赤い柱の新しいお堂に、本尊の虚空蔵菩薩が祀られています。

取星寺では「19番奥之院」と「阿波七福神」の納経を受けられますが、住職が不在の場合は取星寺の本堂に設置された書き置きの納経をいただく形になっています。

 

神仏分離令によってわけられた取星寺と明現神社

かつてこの場所は、「妙見宮」という神仏習合の霊場でしたが、明治時代の神仏分離令により取星寺と明現(みょうけん)神社に分離されました。

明現神社

明治3年に妙見宮が分離して創られた「明現神社」。

神仏分離令でお寺と神社はわけられたものの、境内には鎌倉時代作の阿弥陀如来像や大師堂など、神社とお寺のお堂がモザイク状に配置されています。神仏習合時代の姿が感じられる意味で貴重な境内ですが、もともと一体であったものを区分けするのはかなり大変だったようで、境内に残された石碑からも、土地の確定に苦労を重ねてこられた経緯をうかがい知ることができます。

取星寺土地交換

お寺の土地と神社の土地の交換と、敷地境界の確定について書かれた石碑がありました。

 

鎌倉時代の阿弥陀如来と三宝荒神の神社

境内には阿弥陀堂と三宝荒神神社もあります。この阿弥陀堂には鎌倉時代に作られた木造阿弥陀如来坐像(徳島県指定文化財)が祀られているそうです。

取星寺_阿弥陀堂

阿弥陀堂の中は拝見できませんでした。

赤い鳥居が印象的な三宝荒神神社では、讃岐国生まれで弘法大師の再来と評された増吽上人が勧請した三宝荒神が祀られています。三宝荒神は飛鳥時代に活躍した宗教者「役小角」が感得した神仏で、密教、神道、陰陽道、山岳信仰などが習合した神様です。そのほかにも、同じ社に福禄寿と妙見大明神が祀られており、仏教とも神道とも割り切れない習合的な世界観が感じられました。

取星寺_三宝荒神

鳥居があり神社の形を取っていますが、仏教と神道にまたがる習合的な神仏を祀っています。

 

緑に囲まれた洞窟のような大師堂

この三宝荒神社の社の奥に進むと、大師堂が見えてきます。

取星寺_大師堂

もりもりと緑に囲まれたお堂が見えてきます。

取星寺_大師堂

背後の山?に埋まったようなかたちです。

大師堂は、写真のように背後の山に半ば埋められたような特徴的な形をしています。建物自体は新しいのですが、この姿になった理由が気になるところです。
同じ写真をInstagramにあげたところ、フォロワーさんからこの大師堂の上の山(岩塊)が、空海が退治した星そのものだと教えていただきました。お大師さまが退治した「星」の足元に大師堂が置かれている、という配置になっているようです。

 

山頂には「星」が引っかかった松の跡も

取材時には山頂まで行きませんでしたが、さらに山に登ると岩のなかに作られた古道があり、そこに三宝荒神の奥之院(「星」の本体でしょうか?)や、落とした星がひっかかったとされる「星がかりの松跡」、増吽上人が600巻もの経を納めた「経塚」があるとのことでした。
岩脇公園散歩道として整備されていて、山頂からの眺めも良いとのこと。次は是非、頂上までいってみようと思います。

岩脇公園散歩道

岩脇公園散歩道の案内図にも「星がかり松跡」「経塚」などの史跡が描かれていました。

 

密教の経典として唐より持ち帰った「宿曜経(占星術の経典)」など、空海は人の運命を司る「星」の知識や秘術に通じていました。取星寺の悪星退治の伝承も、天体の秘術を知る空海の姿が映し出されたもののように思えます。
取星寺では、日本における神仏習合の歴史と、天体に神の働きを見る古い信仰の両方を見ることができました。

 

【「19番札所奥の院取星寺」 地図】

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この記事を書いた人

札幌で生まれ育ち、東京にて都市計画コンサルタントに従事。結婚を機に香川に移住し、地方自治体勤務などを経て現在に至る。お遍路文化を通じた新しい四国の楽しみ方を模索しています。日本酒とワインが好き。