前回の記事で、讃岐に残る龍燈伝説についてご紹介しましたが、調査を進めていくと、四国霊場の複数の聖地でも龍燈にまつわる話が残っていることがわかりました。
神秘的な光が四国の信仰や文化と密接にかかわっているように感じます。

讃岐の龍燈伝説に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

讃岐の龍燈伝説【龍燈院・富田神社・白鳥神社】

 

大瀧寺・西照神社の灯明松

香川県と徳島県の県境を成す大滝山の山頂には、別格20番札所「大瀧寺」があります。その横には、かつての神仏習合時代には大瀧寺と一体だった西照神社があります。ここには、「灯明杉」と呼ばれる大杉が今でも健在で、具体的な伝説が伝えられています。その解説は以下のようなものです。

「阿讃県境の高峰大滝山の霊地に天を突くように生えている杉の大木は幹周4.5m、樹高約50mの老木で通称「西照神社の千年杉」と言われており其の名のように樹令は五百年、山頂の厳しい風雪によく耐えて根を張り枝を広げかくも雄々しく育ってきた神木である。古来数々の伝説を秘めてきた神木であるが其の神威に驚眼を開かせた左の出来事がある。日清戦争が布告された明治27年8月1日の夜、千年杉の穂先に突然点った灯りが毎晩のように煌々と輝いて四囲の村々を照らし続けたが、翌年4月17日の晩は其の灯りが不意に消えて翌朝は講和戦勝の報が入った。次に日露戦争の時にも同じ現象が起ったのである。村人は「国家の一大事のニュースよりも西照さんが先にしらせてくれる」と言って其の霊験の灼かさに驚眼を開き朝夕の信仰は以前より深まった。そして近年にも西照神社の灯明杉にまつわる伝説は残っていたのである。昭和六十年頃のとある夕暮れ時ふと西照神社の頂を見上げてみると薄暗い夕闇の中から一筋の青白い閃光が上がっていたのである。その青白い光はしばらく光を放って消えたのです。神宿る此の大木は神威恭々霊德滲々西照神社の御霊験と相まって今も生き生きと此の霊峰に威容を誨っているのである」

これを読むと、灯明杉は、世に異変があるときにいち早く知らせてくれるものだということがわかります。さらに昭和60年(1985)にも灯ったという記載もあり、伝説がまだ息づいているのが印象的です。昭和60年は、世間的には特別大きな異変はありませんでしたが。

この西照神社には、龍燈とは違うもう一つの不思議な火の伝説があります。それは狛犬にまつわるものです。参道の入り口に並ぶ二匹の狛犬は、なかなか凛々しい姿をしていますが、あるとき、山犬=狼の群れがこの神社にやって来た時、この二匹の狛犬の目に火が宿り、立ち上がって、狼たちを追い払ったというのです。

大滝山の山頂近くで、気象変化が激しいことを考えると、讃岐の龍燈伝説の記事で紹介した「セントエルモの火」が惹起されるような条件が揃いやすかったのかもしれません。逆にいえば、そんな現象が起こりやすい特殊な地形条件であるからこそ、この場所が聖地とされたのでしょう。

荘厳な雰囲気をたたえる西照神社。

西照神社の灯明杉。近年まで龍燈伝説が生々しく伝えられていたのが印象的だ。

【「西照神社」 地図】

 

ほかにもある四国の龍燈伝説

江戸時代初期に真念が著した「四国遍路道指南」は、四国八十八ヶ所巡礼の古典的ガイドともいえるものですが、その中にも「龍燈」に関する記述がありました。

「まず大穴(御厨人窟)、奥に入ること十七~十八間、高さ一丈あるいは三~四丈で、広さは二~三間あるいは五間から十間です。太守(藩主)が石を掘って五社を建立されました。愛染権現といいます。この岩屋に毒龍がいて人や動物に害をなしました。弘法大師がこれを退治し、その跡に権現を安置されました。東の穴にある大神宮の社を過ぎると、霊水が湧いており、この水を死者に供えます。次に、求聞持法の道場があり、庵もあります。この後ろに岩窟があり、入口が一間あまり奥行が六~七間で、本尊は如意輪観音の石仏です。座が二尺に石です。これらは竜宮より上がってきたといわれています。石でできた厨子壇があります。脇立は二尺六寸の仁王です。厨子の両扉には天人の浮き彫りが彫られています。すべてが石でできています。権化以外の誰がこういうことを成し遂げることができるでしょうか。その外に龍燈が時に上がり、どこまでも霊気のあふれる神秘的な景色です。東寺(最御崎寺)は女人禁制のために女性はここで納経します」

室戸の御厨人窟といえば、空海が虚空蔵求聞持法の行を行い、その満願のときに、輝く金星が落ちてきて空海の口に入り、それで悟りが開けたという逸話が有名ですが、ここにも龍燈の伝説があったわけです。

さらにいろいろと調べてみると、龍燈伝説が次々に出てきました。愛媛県今治市の58番札所「仙遊寺」には、龍女が竜宮からやって来て境内の桜の木に龍燈を掛けたという伝説があります。高知県安芸市の27番札所「神峯寺」では、境内にある巨岩が夜半になると青白く輝いて光を放っていたため、「燈明巖」と名付けられたと伝えられています。

徳島県羽ノ浦町の19番札所「立江寺」の奥の院である「取星寺」は、由来が次のように書かれています。
「弘法大師が大龍の嶽にて求聞持法の修行中に出現した妖星(種々の災いを起こす星)を秘法で降臨させた時、その星が当山山頂の松樹にかかったので、その星を拾い、妙見菩薩と虚空菩薩の二尊を彫刻して本尊とし、お寺を建立して取星寺と称したことによる」
これもまさに龍燈松のモチーフです。

そういえば、以前、崇徳上皇にまつわるレイラインの記事で紹介した白峯宮は、崇徳上皇の遺体を清水にひたしていた間、毎夜あのあたりで妖光が輝いていたことから「明ノ宮(あかりのみや)」とも呼ばれていました。

キリスト教では、神の顕現のことをエピファニーと呼びます。そして、エピファニーの多くは、まばゆい光がその予兆とされます。同じような神秘的な光を日本でも意識していたのでしょう。

それにしても、調べはじめると、四国にはエピファニーの予兆としての龍燈や、それに類似した光や灯火がまだまだたくさんありそうです。

これをテーマにした調査もぜひしてみたいと思います。

 

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内田一成

聖地と呼ばれる場所に秘められた意味と意図を探求する聖地研究家。アウトドア、モータースポーツのライターでもあり、ディープなフィールドワークとデジタル機器を活用した調査を真骨頂とする。自治体の観光資源として聖地を活用する 「聖地観光研究所--レイラインプロジェクト(http://www.ley-line.net/)」を主催する。