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お大師さまの甥・智証大師が発展させ、本サイトでもたびたびご紹介している中務茂兵衛の師僧の寺院でもある第76番金倉寺。その存在が日本史を変えたかもしれない、そんな人物との関わりを想像できるエピソードをご紹介します。

金倉寺 本堂

第76番金倉寺金堂(本堂)

 

参道脇の松の木

金倉寺 本堂前 供養塔

参道を進むと本堂手前に階段があり、僅かながら上段の立地となっている

第76番金倉寺(こんぞうじ)の本堂は、山門から続く場所にある旧来の手水場(ちょうずば)から一・二段階段を上がった先にあります。その階段を上がってすぐ右側にある松の木に、日本近代史のターニングポイントが秘められています。
※山門前および寺院周辺の貴重な史跡に関して、以下リンクの記事でご紹介しています。

大先達「中務茂兵衛」が伝える四国遍路メッセージ【76番札所「金倉寺」門前の遍路石】

金倉寺山門で見ることができる規格外の中務茂兵衛石柱[左]【76番札所「金倉寺」門前】

金倉寺山門で見ることができる規格外の中務茂兵衛石柱[右]【76番札所「金倉寺」門前】

通常とは異なる配置の大師堂とその前に残されている中務茂兵衛標石【76番札所「金倉寺」祖師堂】

中務茂兵衛ゆかりの寺院にある小さな88度目の標石【76番札所「金倉寺」近く】

日土友好元年と同時期に建てられた中務茂兵衛標石【76番札所「金倉寺」近く】

金倉寺 乃木将軍妻返し松

入山大師像と並んで立つ松の木は、金倉寺の見どころのひとつ

松を囲う石柱があるあたりただならぬ存在であることが分かりますが、

金倉寺 乃木将軍妻返し松 石碑

「乃木将軍妻返しの松」の石板

こちらは乃木将軍(のぎしょうぐん)こと「乃木希典(のぎまれすけ/1849-1912)」という軍人が、日清戦争後に善通寺市に新設された「陸軍第11師団」の初代師団長として赴任していた【明治31年(1898)10月から明治34年(1901)5月】の間に起きた出来事に由来します。

 

軍都・善通寺

善通寺偕行社

旧善通寺偕行社(きゅうぜんつうじかいこうしゃ)

四国八十八ヶ所随一の広大な寺域を構える第75番善通寺(ぜんつうじ)を擁する香川県善通寺市。市名に寺が付いている辺り寺院を中心とする穏やかな街と思いきや、明治以降の近代史としては四国における陸軍の拠点という軍都として発展してきました。
かつて多くの僧坊を有していた善通寺は、明治初年の神仏判然令のあおりを受けて寺領地など多くの財産が没収されました。ここに新たにやってきたのが「陸軍第11師団」です。これは広大な旧寺域が軍用地に適している面があった事はもちろんですが、廃仏毀釈運動(はいぶつきしゃくうんどう)によって失職した寺院等の従業員らの緊急雇用対策の面もあったのではないかと推察します。同時期、屯田兵として北海道に渡った者も多いようです。

この時代に、初代師団長として赴任してきたのが前述の乃木希典。在任期間は2年9ヶ月と決して長かったわけではありませんが、後に勃発した日露戦争においては司令官として第3軍を率いて従軍。日露両軍が多大な犠牲を払いながら攻略に成功した「旅順攻囲戦(りょじゅんこういせん/1904年8月19日-1905年1月1日)」等でその名を上げました。

昭和25年(1950)…警察予備隊
昭和27年(1952)…保安隊
昭和29年(1954)…陸上自衛隊

戦後陸軍は解体されますが、代わって設立された警察予備隊が何度かの改称を経て、現在は陸上自衛隊第14旅団司令部として駐屯しています。

「偕行社(かいこうしゃ)」とは、陸軍将校の親睦や学術研究の場として明治10年(1877)に設立されたもので、善通寺のものは陸軍の設置に伴って明治36年(1903)5月に竣工したもの。
戦後は進駐した連合国軍の社交場として使用された時期や、善通寺市役所、公民館などを経て、現在は貸し空間として一般に開放されています。

旧善通寺偕行社ホームページ(善通寺市ホームページ内) https://www.city.zentsuji.kagawa.jp/soshiki/50/kaikousya.html

 

乃木将軍妻返しの松

金倉寺 乃木将軍妻返し松 説明

乃木将軍妻返しの松(のぎしょうぐんつまがえしのまつ/香川県善通寺市・金倉寺境内)

乃木希典は善通寺の第11師団に赴任中は金倉寺の堂宇を住まい(寮)として、司令部へは自転車で通っていたと伝わります。
ある日、この寺に妻である静子が夫の身を案じて訪ねて来た。しかしながら乃木は職務中であるから私情を挟むわけにはいかない、と妻と面会することを拒絶した。途方に暮れる静子夫人。その横にあったのがこちらの松だったそうです。

その後休職を経て復職した日露戦争において、乃木は第3軍の司令官として従軍。旅順攻囲戦における大激戦の末の勝利や、降伏したロシア兵に対して同じ武人として紳士的に振る舞ったことは、日本はもちろん世界的に報道され称賛を浴びた。しかしながら日露戦争で多くの部下はもちろん、自身の子を2人失っている。

凱旋帰国した乃木希典は、当時軍施設が点在し多くの軍人らが暮らす東京赤坂に居住。明治40年(1907)1月には学習院長に命じられる。これは明治天皇の皇孫にあたる迪宮裕仁親王(みちのみやひろひとしんのう)こと後の「第124代天皇・昭和天皇」が同年4月に学習院に入学することに伴い、乃木に絶大な信頼を置いていた明治天皇の意向もあって、彼がその養育係を務めることになったことに起因する。

しかしながらそのヒーローの最期は自刃という形で訪れる。明治天皇崩御を受けて夫婦は自宅で殉死。思わぬ形でこの世を去った。
英雄の死を多くの国民が悲しみ、乃木殉死のニュースは世界中を駆け巡った。葬儀の当日、乃木夫妻の自宅から葬儀場までの道に約20万人もの一般市民が押し寄せ、その中には外国人も多く含まれていたことから、その様子は世界葬とも報じられたという。
乃木邸は乃木希典の遺志によって東京市に寄贈され「乃木公園」の一部として保存。乃木将軍を祀る神社として「乃木神社」を建立。それらに続く道が赤坂区議会によって直ちに「乃木坂(のぎざか)」に改名。様々な形で英雄の死を悼んだ。

 

「乃木」の名を継ぐもの

乃木坂46 乃木坂駅

晩年の乃木将軍ゆかりの地から出たアイドルグループ

改名された「乃木坂」は通り(坂道)の名称になり、昭和47年(1972)10月に営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線の駅として「乃木坂駅」が開業すると、地域名として認識されるようになりました。

今日、「乃木坂46」という女性アイドルグループが人気を博していますが、その冠名「乃木坂」は同グループをプロデュースしたレコード会社が乃木坂駅の近くにあったことに由来。メンバーが成人した際は、その成人式が一つのイベントとして乃木神社で行われています。

蚶満寺山門 元讃岐藩主生駒家

讃岐から配流された生駒家の末裔が寄進したとされる山門(秋田県にかほ市象潟・蚶満寺)

また、これは乃木希典とは話が少しずれますが、同アイドルグループは当初「生駒里奈(いこまりな)」さんという秋田県南部の由利本荘市出身のメンバーがグループを引っ張っていました。

「生駒(いこま)」とはなかなか珍しい名字であるように思いますが、歴史上の人物でいえば讃岐国高松藩17万1800石の第4代藩主であった「生駒高俊(いこまたかとし/1611-1659)」が同じ姓を名乗っています。17万石の所領地といえば全国的に見てもなかなかの石高を誇りますが、高俊公は自身の代で不祥事により所領を没収(=生駒騒動)。出羽國由利郡(でわのくにゆりぐん)に流罪になりました。
そこで堪忍料として与えられた1万石で開かれたのが矢島藩(やしまはん)。現在の秋田県由利本荘市矢島町(あきたけんゆりほんじょうしやしままち)に当たります。全く想像でのことですが、生駒里奈さんがその生駒氏の末裔ということであれば、これまた讃岐國に由来する歴史ロマンが存在するということになります。

<関連情報>
秀峰と田んぼに浮かぶ島々。旅犬が訪ねる俳人の聖地・後編<蚶満寺/秋田県にかほ市象潟> http://soraumi-doggie.com/uramatsushimaback/

 

日本近代史の転換点に成り得た下地

金倉寺 本堂青空 コントレイル

金倉寺本堂の上は電線が無く、空を広く感じることができる

乃木将軍は師団長として善通寺町(現・善通寺市)に新設された陸軍第11師団に赴任。第76番金倉寺を寮として司令部に通勤し、鍛錬にあたりました。その後ほどなくして同隊を離れますが、日露戦争に招聘され第3軍を指揮。同部隊の主力は第11師団、すなわち善通寺赴任時代の教え子たちが多く含まれていたと考えることができます。

もしこの善通寺に赴任することがなければ。優秀な教え子たちの活躍がなければ。日本の歴史が変わっていたかもしれません。そうなると東京赤坂が乃木希典ゆかりの地にならなかったかもしれません。乃木坂という名前の坂道は誕生しなかったことでしょう。アイドルグループ誕生まではともかく…

大げさかもしれませんが、現在一般的に語られる「日露戦争勝利」という日本史・世界史共に画期的な出来事となったその1ページは、このような一つ一つの積み重ねをもって成し得たといえるのではないかと、個人的に考えています。

 

【76番札所】  鶏足山 宝幢院 金倉寺(けいそくざん ほうどういん こんぞうじ)
宗派: 天台寺門宗
本尊: 薬師如来
真言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
開基: 和気道善
住所: 香川県善通寺市金蔵寺町1160
電話: 0877-62-0845

 

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野瀬 照山

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。