四国の愛媛に生まれ、香川にある樅ノ木峠でカラスが滑空する姿から飛行原理の着想を得て、世界で初めて動力による有人飛行を目指した「二宮忠八」をご紹介します。

樅ノ木峠(もみのきとうげ)に銅像がたつ二宮忠八(にのみやちゅうはち/1866-1936)は、この場所でカラスが滑空する様子から飛行原理を得たと伝わります。
セスナ機が掲げられた「道の駅空の夢もみの木パーク」

道の駅空の夢もみの木パークは、二宮忠八が飛行原理を着想した場所にあります。
香川県西部、国道32号を琴平町から徳島県三好市方面へ走っていると、左手丘の上にセスナ機が掲げられた「道の駅空の夢もみの木パーク」があります。本館には野菜などが販売されている売店があり、敷地内には樅ノ木峠と二宮忠八氏の関わりを紹介する二宮忠八飛行館や、二宮忠八が生前建立した飛行神社があります。
クリスマスに飾り付けが行われるのが樅ノ木(モミノキ)で、漢字では書くのも読むのも難しいことがあってか、仮名で書かれることが多い印象です。
※同じ道沿いにある標石に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【香川県琴平町】大正時代の金毘羅街道合流地点にのこされている標石
【香川県三豊市財田町】箸蔵寺を参拝した巡礼者が手がかりにしたと考えられる標石
世界で初めて動力による有人飛行を目指した「二宮忠八」

当記事に登場する道の駅空の夢もみの木パーク・二宮忠八飛行館・二宮飛行神社は全て同じ敷地内にあります。
江戸時代末期の慶応2年(1866)6月20日に愛媛県八幡浜で生まれた二宮忠八は、明治20年(1887)に徴兵され香川県の丸亀歩兵第12連隊に入隊します。明治22年(1889)11月頃に樅ノ木峠付近で行われた野外演習の休憩時に滑空しているカラスを眺めていると、翼を羽ばたかずに向かってくる風を受け止めて飛んでいることに気付きます。この出来事に着想を得て製作したのが、ゴムを動力にした無人飛行機「烏型飛行器(からすがたひこうき)」で、明治24年(1891)4月29日に10mの飛行を達成、日本初のプロペラ飛行になりました。
※ゴム動力の模型飛行機は、明治4年(1871)にフランスで製作され飛行を成功させていました。
この成功を受けて有人飛行を前提とした「玉虫型飛行器(たまむしがたひこうき)」の縮小模型を明治6年(1893年)10月に完成させます。しかしながら人を乗せた飛行機を動かす動力源については未解決かつ、そこから先の研究は多大な資金を要することが明白でした。そこで飛行器の有効性と資金援助を陸軍に上申するも、ことごとく却下されてしまいます。
そこで二宮忠八は陸軍を退役して大日本製薬(現・住友ファーマ)に就職、自己資金を蓄えて独力で飛行器の製作を継続することにしました。就職から数年は飛行器研究を進める時間や資金が無かったようで、かといって有力なスポンサーは現れず飛行器研究が停滞しているうちに、明治36年(1903)12月17日にアメリカのウィルバーライト・オーヴィルライト(ライト兄弟)が「フライヤー1号」で世界初の動力付き有人飛行を成功させます。この出来事は数年間口外されなかったため、日本をはじめ諸外国には伝わっていませんでした。
そうとは知らず二宮忠八は空を飛ぶ夢を持ち続け、現業に励み業績を挙げたことで明治39年(1906)3月に支社長に就任します。ようやく自己資金で飛行器研究を継続するための目処が立ち、未解決だった飛行器の動力源にガソリンエンジンを用いる構想を立てます。最初に購入した精米機用の2馬力のエンジンでは力不足であることが判明し、エンジンの構造を理解した二宮忠八は12馬力エンジンを自作することを構想しました。この出力は皮肉にも世界で初めて動力有人飛行を成功させたライト兄弟のフライヤー1号と同出力でした。
その矢先にライト兄弟が世界初の有人飛行を成功させていたことが情報解禁になり、二宮忠八は新聞でそれを知ることになります。世界初の有人飛行という快挙を逃した二宮忠八は大いに嘆き、飛行器の研究に関する資材や設計図の一切を破却するに至ったそうです。

ライト兄弟による有人飛行成功を受けて、日本では陸軍主導による飛行実験が明治43年(1910)頃から開始され、資料館に掲示されている、樅ノ木峠での集合写真には軍人の姿があります。
ライト兄弟より前に飛行機の完成形を描いていた二宮忠八の研究は当時忘れられた存在だったようで、研究の成果が見直され表彰という形で評価されたのは大正時代の大正11年(1922)のことでした。 もしも明治6年(1893)に玉虫型飛行器の模型を完成させた時期に、国家レベルの支援があってエンジン開発のチームが形成されていたら、二宮忠八は世界初の有人飛行を達成できていたのでしょうか。個人的には本邦の、それも四国の発明家がそれを果たせていたら素敵だっただろうなあという判官贔屓な想いがあります。
二宮忠八…個人発明家で資金や研究設備が乏しい。日本では機械が空を飛ぶことが忌避の対象だったため、孤立していた。
ライト兄弟…兄弟に加えて支援者が居る。自転車工場を活用して機体やエンジンを製作した。欧米にはライト兄弟以前にも飛行機の研究者が存在したため、資料が豊富だった。
研究環境を比較してみると、二宮忠八を贔屓目で見たとしてもライト兄弟たちの環境が優れていたことがわかります。
また、二宮忠八の飛行器はまずは有人飛行を目指していたのに対して、ライト兄弟は飛行機を空で操縦することを目指していたとも言われます。初飛行が口外されなかったのはアイデアの盗用を防ぐためと、ライト兄弟にとって初飛行は通過点であり操縦可能なレベルになってからリリースしたかったという説が存在します。
もしも二宮忠八がライト兄弟より先に動力有人飛行を成功させていたとしても、人間の意思で自由に空を飛ぶことができる飛行機の実用化は、ライト兄弟のほうが先だった。というのが、多くの専門家たちの見方のようです。
日本では江戸時代に筑波の飯塚伊賀七(いいづかいがしち/1762-1836)という人物が、自作した人力飛行機を筑波山から自宅のある谷田部まで飛ばそうと藩に飛行許可を願い出た記録が残っています。ところが「人心を惑わす」「身分が高い人物の頭上を飛ぶのは不敬」と却下されたばかりか、危険人物として投獄され発明作品が押収されたという事件がありました。
機械が空を飛ぶことに対する価値観は、二宮忠八の時代から100年ほど前の飯塚伊賀七の時代とあまり変わっていなかったのも、この国に生まれた二宮忠八にとっては不運だったといえます。

道の駅空の夢もみの木パーク敷地内の、より樅ノ木峠に近い地点に二宮忠八の銅像と神社があります。
世界初の動力有人飛行が叶わなかった二宮忠八でしたが、晩年は航空需要の増加や飛行機の戦争利用によって、世界中の空で命を落とす人間が増加していることに心を痛め、その人々の霊を弔うために京都府八幡市に飛行神社を設立し、自ら神主になっています。こちら香川県まんのう町の樅ノ木峠にある二宮飛行神社はそちらの分社です。
二宮忠八…世界で初めて飛行機を考えた人
ライト兄弟…世界で初めて飛行機を作った人
樅の木地蔵

道の駅空の夢もみの木パークやがある場所から徳島県側に進むと樅ノ木峠(標高180m)があり、ここには地蔵菩薩が祀られてます。
地蔵堂の前を走る国道32号の前身は、明治時代に大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう/1849-1891)が整備した四国新道の一部です。それ以前は阿波別街道と呼ばれていた道で、かつては別格15番札所箸蔵寺と金刀比羅宮を結んでいた道なので、昔はお遍路さんの往来が相当数あったとされます。
※大久保諶之丞に関して、以下リンクの記事で詳しく紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【琴平公園】明治時代に四国の道路整備を行った「大久保諶之丞」の銅像
現代も県境の猪鼻峠(いのはなとうげ)を越えて箸蔵寺へ向かうお遍路さんは少数存在しますが、この道ではなく満濃池そばにある別格17番札所神野寺を経由して箸蔵寺を向かうルートが一般的です。

樅ノ木峠から徳島県方向を眺めると、奥の青く見える山なみが阿讃山脈で、北側が香川県、南側が徳島県です。
樅ノ木峠前後はアップダウンがあり、信号機がないため結構なスピードで車が走ってきます。加えて近辺はカーブが多く見通しが悪いため、現代の国道32号や樅ノ木峠を歩くのはおすすめできません。
道の駅空の夢もみの木パークに自動車を停めてから樅の木地蔵へ歩いて行くにも、歩道が反対側にありこの場所に横断歩道が存在しないため、樅の木地蔵に近付いての参拝にはたいへん危険が伴います。
峠のお地蔵さまが少し残念な感じではありますが、もし参拝される人は通行する車には気を付けてお参りください。
【「樅ノ木峠」 地図】










