荒々しい太平洋が広がる徳島県海南町浅川で、かつて発生した海難事故によって命を落としたヨハネス・クヌッセンは、現在多くのお遍路さんが訪れているデンマークの人でした。その勇気と愛のエピソードが地域で語り継がれています。
デンマーク人お遍路さんが増加している昨今
このところ外国人のお遍路さんを見かける機会が多くなりました。四国遍路の国際化を感じることができる昨今ですが、去年今年にかけて急増しているのが国が「デンマーク/丁抹」。ヨーロッパ北部に位置する古くからの海事国家ですが、我々日本人が抱くイメージとしては、「アンデルセンの人魚像」「デニッシュブレッド」「広大なグリーンランド」、こんな感じでしょうか。どうして急に増えたのか?
自分の運営する宿屋に来られるデンマーク人お遍路さんに尋ねたところ、国営放送で有名ジャーナリストが実際に四国遍路を歩いて回ったドキュメンタリー番組が人気を博して、実際に四国遍路を歩いてみたいという人がとても多いそうです。
※デンマークで放映されたドキュメンタリー番組は、以下リンクのサイトで視聴することができます。
https://www.dr.dk/drtv/episode/bertelsen-paa-shikoku-88_54981
通常はヨーロッパからのお遍路さんといえば、キリスト教の巡礼道であるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを歩いた時に、日本の四国に古くからの巡礼道があると知りやってきた、という人が多い。それがデンマークの場合は初めての巡礼旅・初めての日本が四国という人々が多いのが特徴。
逆をいえば、日本の有名人がデンマークの歴史ある物事をナビゲートする番組を放映したとして、すぐに「よし、デンマークに行こう!」となるのは考えにくい。お国柄もあることでしょうが、四国で暮らす人間として恐縮であるとともに、とってもありがたいお話です。
海の勇者と称えられる人物
海陽町浅川(かいようちょうあさかわ)。特に何がある場所ではなく、強いていうなら台風の中継や津波注意報が発令された時に耳にする地名。そう思っておりました。
こちらの石碑に描かれている人物の名は「ヨハネス・クヌッセン/1917-1957」、デンマーク人機関長です。
昭和32年(1957)2月10日の夜。
名古屋港から神戸港へ向けて航行するクヌッセン機関長を乗せたエレン・マークス号が、海上で火災を起こして航行不能に陥っている浅川港所属の機帆船「高砂丸」を発見。救命艇を出して救助を行おうとするものの、荒れた海に阻まれてなかなか上手くいかない。そこで高砂丸に接近して縄梯子を投下する方法が試みられた。
縄梯子は高砂丸船長の手に届き、それを伝ってエレン・マークス号に救助される…と思った矢先、力尽きた高砂丸船長の手から縄梯子が離れ海に転落。それを目にした機関長のクヌッセンは即座に海中に飛び込み船長の救助を試みたが、二人とも敢え無く波に呑まれ行方がわからなくなりました。
翌日。
和歌山県日高町田杭港近くの海岸に、クヌッセン機関長の遺体が打ち上げられました。身に付けていたライフジャケットと、並んで打ち上げられた救命艇には大きな裂け目が入っていたそうです。
駆け付けた警察官から事の顛末を聞いた住民は涙し、翌昭和33年(1958)に供養の塔が立てられました。今も常に新しい花が供えられ、遠い異国の地で見知らぬ日本人を助けようとして亡くなったクヌッセン機関長の、勇気と愛に溢れる行動が語り継がれているそうです。
遭難した高砂丸の母港であった浅川でも翌々年の昭和34年(1959)に、集落の拠点となるこちらの場所にクヌッセン機関長を称える碑が立てられました。
時は流れて平成14年(2002)に行われた第17回FIFAワールドカップ。アジアで初めてのサッカーワールドカップは日韓共催となりましたが、本大会に出場したヨーロッパの国の一つ・デンマーク。そのキャンプが日本の和歌山市で行われ、クヌッセン機関長の勇気と愛に溢れる行動が再び脚光を浴びることとなりました。
遠い昔からあった日丁愛
現在、日本とデンマークは四国遍路を通じて両国の接点が生まれつつあります。この時の出来事は惜しくも命を落とすものとなりましたが、遠く離れた日本とデンマークが昔に出会っていたことを、この場所を通りがかったお遍路さん、特にデンマークからのお遍路さんには、この場所で起きた出来事を知っていただければ幸いです。
【「ヨハネス・クヌッセン碑(海陽町浅川)」 地図】