83番札所一宮寺は、香川県高松市南部の平野地域に位置し、讃岐一宮である田村神社の別当寺であった歴史をもちます。田村神社と二分を結ぶ東西のレイラインの構造は、一宮寺が西方浄土の意味があることを表します。
レイライン的な観点から見た札所の構造
四国八十八ヶ所の札所は、由来書はもとより、様々なガイドブックや寄稿文などで、その歴史が紹介されています。そんなこともあって、すでに語り尽くされているような印象がありますが、個々の札所をその構造から分析するレイラインハンティングの観点で見直してみると、今まで語られてこなかった札所の歴史や、個々の札所に込められた古の人の思いが明らかになってきます。
今回は、高松市エリアの83番札所一宮寺をご紹介します。
明るく伸びやかな風景が広がる東讃に点在する聖地
83番札所一宮寺から84番札所屋島寺へ向かう道は、高松の市街地を通る平坦な部分がほとんどだが、屋島の頂上にある屋島寺へは、胸突き八丁の登りとなる。さらに85番札所八栗寺へは、屋島寺からいったん急坂を下り、再び八栗寺への急登と、アップダウンを強いられる。歩き遍路にとっては、終盤に差しかかってかなり辛い道となる。
83番札所一宮寺(いちのみやじ)
<由緒>
四国八十八ヶ所83番札所一宮寺
真言宗御室派 神毫山大宝院
本尊: 聖観世音菩薩
義淵により法相宗の寺院として大宝年間(701 - 704年)に建立され、年号にちなみ大宝院と称された。和銅年間、行基が堂宇を改修し一宮である田村神社の別当寺として「一宮寺」に改めたとされる。その後、大同年間(806 - 810年)に空海が聖観音像を刻んで安置。真言宗に改宗した。
二分を結ぶ一宮寺と田村神社
一宮寺の本堂は東面し、その先に伸びる参道は田村神社に当たります。田村神社から見ると一宮寺は西にあるわけで、春分の日と秋分の日の太陽は、田村神社から見て一宮寺の方向に没していきます。これは、一宮寺が田村神社の別当寺として改修された際に形作られたものでしょう。
西は西方浄土を意味し、春分と秋分は彼岸の中日で、この日の太陽の没する真西は、さまに西方浄土とこの世を取り結ぶ形になります。田村神社と一宮寺の関係からすれば、御神体に西方浄土を指し示し、その神威が更新されることを意味しているのでしょう。
境内には、首を入れると地獄の釜の煮えたぎる音が聞こえ、行いが悪い者は、そこから首が抜けなくなるという伝説がありますが、これも一宮寺が西方浄土=冥界を指し示すということを表しています。
現在は寺院と神社にわかれている寺社でも、このように配置や方位を意識してみると、かつての歴史を垣間見ることができます。地獄の釜のような史跡も、その意味まで考察すると、いろいろなつながりがみえてきます。
【「83番札所一宮寺」 地図】