85番札所八栗寺は、峻険な岩場が続く「五剣山」頂上の直下に位置し、修験道の道場として典型的な地質と地形の場所であるといえます。立地する庵治半島全体が「庵治石」と呼ばれる花崗岩の岩盤で、これも聖地の要素のひとつです。
レイライン的な観点から見た札所の構造
四国八十八ヶ所の札所は、由来書はもとより、様々なガイドブックや寄稿文などで、その歴史が紹介されています。そんなこともあって、すでに語り尽くされているような印象がありますが、個々の札所をその構造から分析するレイラインハンティングの観点で見直してみると、今まで語られてこなかった札所の歴史や、個々の札所に込められた古の人の思いが明らかになってきます。
今回は、高松市エリアの85番札所八栗寺をご紹介します。
明るく伸びやかな風景が広がる東讃に点在する聖地
83番札所一宮寺から84番札所屋島寺へ向かう道は、高松の市街地を通る平坦な部分がほとんどだが、屋島の頂上にある屋島寺へは、胸突き八丁の登りとなる。さらに85番札所八栗寺へは、屋島寺からいったん急坂を下り、再び八栗寺への急登と、アップダウンを強いられる。歩き遍路にとっては、終盤に差しかかってかなり辛い道となる。
85番札所「八栗寺(やくりじ)」
<由緒>
四国八十八ヶ所85番札所「八栗寺」
真言宗御室派 五剣山観自在院
本尊: 聖観世音菩薩
寺伝では空海がここで虚空蔵求聞持法を修法していた際に、五本の剣が天から降り、蔵王権現が現れて、ここが霊地であることを告げたとされる。八栗寺の背後に聳える五剣山の名は、この故事に由来する。寺名の「八栗」は、空海が唐にいる際に、八つの栗を海に投げて漂着した所に仏法が栄えるという願をかけ、その流れ着いた先がここだったという説と、寺の奥ノ院の五剣山頂上から八つの国を見渡せ、「八国寺」と呼ばれたのが八栗寺に転じたという説がある。
修験道の色濃い構造
修験道では、険しい岩場を修行道場とすることが多いのですが、五剣山は峻険な岩場が続く岩峰ですから修験道の道場として、まさに典型的な地質と地形の場所といえます。さらに、立地する庵治半島は、半島全体が「庵治石」と呼ばれる花崗岩の岩盤で、これは聖地とされる要素を備えています。寺伝には、五剣山で修行する空海の元に修験道の神である蔵王権現が示現したとあり、古くから修験の重要な聖地に位置づけられていたことがわかります。
八栗寺は、その構造を見ると、本堂が冬至の日入りに正対する形をしていて、背後に五剣山を背負って、その方向は夏至の日出となります。本来は八栗山頂にあった奥の院が二至(夏至-冬至)を意識した太陽信仰の祭祀場で、それが構造をそのままに現在の位置に里宮あるいは拝所として設置されたものと考えられます。
本堂正面の山門の先は遮るものがないので、冬至の入日が山門を抜け、参道を辿って本堂に達する様は神秘的です。
このように、八栗寺は二至のレイラインの構造を正確に現在に残しており、古代の太陽信仰の痕跡を現代に伝えています。現在は、崩落のために五剣山山頂に登ることはできませんが、本来は奥の院が祭祀の中心であるので、頂上まで登拝できるように登山道の整備が望まれます。
【「85番札所八栗寺」 地図】