82番札所根香寺は、二至を結ぶレイラインの構造をもち、古来の修験道やさらに遡った太陽信仰の祭祀場であった可能性が高いといえます。奥の院の鷲峰寺も古代の石材産業と結びつく聖地の要素を備えます。
レイライン的な観点から見た札所の構造
四国八十八ヶ所の札所は、由来書はもとより、様々なガイドブックや寄稿文などで、その歴史が紹介されています。そんなこともあって、すでに語り尽くされているような印象がありますが、個々の札所をその構造から分析するレイラインハンティングの観点で見直してみると、今まで語られてこなかった札所の歴史や、個々の札所に込められた古の人の思いが明らかになってきます。
今回は、五色台エリアの札所のうち、82番札所根香寺についてご紹介します。

丸亀平野ののどかな遍路道から一転、きつい傾斜の五色台を登り、山岳霊場に入っていく、79番から82番への遍路道。
82番札所根香寺(ねごろじ)
<由緒>
四国八十八ヶ所82番札所根香寺
天台宗単立 青峰山千手院
本尊:千手観世音菩薩
弘仁年間(810 - 824年)、空海がこの地を訪れ五つの峰に五智如来を感得し、その一つである青峰に堂宇を建立したのが始まりとされる。その後、円珍が蓮花谷の霊木で千手観音を彫ったところ芳香を放ったところから、「根香寺」と呼ばれるようになったとされる。
青峰山頂と二至の位置関係
根香寺の由来は、空海が青峰山頂に堂を建立したことにはじまるとされますが、青峰の山頂から根香寺の方向は夏至の日出に当たり、反対は冬至の入日で、二至を結ぶラインを構成しているのがわかります。このことから、空海が開山する以前には、すでに聖地として認知されていて、古来の修験道やさらに遡った太陽信仰の祭祀場であった可能性が高いといえます。
讃岐に配流された崇徳上皇は都へ帰ることがかなわず、せめて都の方面を望めるこの青峰への埋葬を望みましたが、葬送の列が青峰に来ると、根香寺の僧がこれを戻し、結局白峯に埋葬されることになったとも伝えられています。

青峰直下の蓮花谷上に位置する根香寺。

山門をくぐってから、一度石段をおり、再度石段をのぼる特徴的な参道。紅葉の名所でもある。

青峰近くに設置された遍路小屋。崇徳上皇が好んだ、京の都の方向を見渡せる場所が、この近くにあった。

不登校児の更生支援施設も運営する喝破道場が運営している。子どもたちのお接待がお遍路に好評。
82番奥の院鷲峰寺
根香寺の奥の院は、南に7.5kmほど下った鷲ノ山の中腹に位置する鷲峰寺と伝えられています。鷲ノ山は古墳時代に各地で石棺に使われた鷲ノ山石の産地で、古代から聖地とされてきました。五色台はサヌカイトの産地として知られていますが、ともに貴重な石材の産地であることから、深い結び付きがあったのかもしれません。

鷲ノ山中腹にある鷲峰寺は、根香寺の奥の院と伝えられている。

鷲ノ山に産する鷲ノ山石は、瀬戸内海沿岸から広く西日本各地で、石棺の材料として使われた。
このように、レイライン的観点で札所をみていくと、古代の祭祀遺跡の痕跡や修験道場のなごり、地域産品の歴史などにもつながる発見があります。
【「82番札所根香寺」 地図】
【「82番札所奥の院鷲峰寺」 地図】