51番札所石手寺からすぐの「道後温泉」は日本三古湯のひとつで観光名所です。風情のある温泉街には、当然のごとく「丸型ポスト」がいて、癒しの街並み巡りをサポートしてくれます。
日本三古湯のひとつ「道後温泉」
51番札所石手寺参拝後は、私オススメの裏山「奥の院」経由遍路道を進むと、松山八社八幡の1番社「伊佐爾波(いさにわ)神社」を通ります。その丘を下ってくると、そこはたくさんの旅館が立ち並ぶ「道後温泉」です。
※石手寺と参拝後の遍路道の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
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【石手寺→道後温泉】石手寺参拝後は裏山奥の院から日本一の高さの「日中友好弘法大師像」を臨む遍路道
道後温泉は有名な温泉なのでご説明の必要もないかもしれませんが、基礎情報を簡単にご紹介します。
道後温泉の起源は、縄文時代の約3000年前(近くの「冠山」から土器・石鏃が出土しており、縄文人が入浴していた可能性が高い)からともいわれている古い歴史を持ち、足を痛めた白鷺が岩の間から流れ出る湯に足を浸していたところ、傷は癒えて、飛び立って行くのを見て、村人が手を浸すと温かく、温泉の効能を確認したことが温泉発見のきっかけになったという伝説が残っています。
その後も、日本神話の中に「大国主命」と「少彦名命」が訪れたという記述があったり、聖徳太子が病気療養したりと、時代時代で日本の重要な温泉地としての歴史を刻んできています。
万葉集には「にきたつ」(煮える湯の津の意味)という古名の記述があり、現在の「道後」という名前になったのは、飛鳥時代に現在の今治市の辺りに伊予国の国府が置かれ、京から見て国府よりも遠い地域は「道後」(他に「道前」「道中」地域があった)と呼ばれたことがきっかけのようです。
ちなみに「伊予(いよ)の國」の名前の由来は、「湯国(ゆのくに)」が転じたものという説もあるほどで、昔から道後温泉がこの地域のシンボルであったことがうかがえます。
道後温泉のシンボルでもある「道後温泉本館」は1894年(明治27年)に落成した近代和風建築の建造物で、国の重要文化財にも指定されています。
この歴史ある建物が現役の公衆浴場として利用可能なのがまたいいところで、歩き遍路途中に観光がてら疲れを癒すのには最適のスポットです。
公衆浴場といっても、そこは歴史ある道後温泉なので、支払う料金によって、休憩室利用やお茶・茶菓子付き、入浴できる浴場も違うといったランク分けがされていますので、予算に合わせて選択してください。
※道後温泉本館は2017年から耐震工事のため改修がスタートするそうです。
風情のあるアーケード温泉街を進んだ先には公衆浴場「椿の湯」
「道後温泉本館」前には、昔ながらの雰囲気を残す風情のあるアーケード温泉街があり、お土産物屋や飲食店が軒を連ねています。
愛媛県の方々は甘党が多いそうで、お土産物屋にはたくさんの魅力的なお菓子が並んでおり、松山銘菓として有名な「タルト」を売るお店が何軒もありました。
温泉街をまっすぐ進んだ先には、もうひとつの公衆浴場「椿の湯」があります。
こちらは地元の方々が日常使いでよく入浴されるそうで、観光としては「道後温泉本館」は外せませんが、地元感を味わうには「椿の湯」もよいと思います。
古湯の温泉街には当然のごとく「丸型ポスト」
こういう歴史と風情のある街には必ず「丸型ポスト」がいらっしゃるものです。
※遍路道で私が注目していた「丸型ポスト」に関しては、以下タグの記事もあわせてご覧ください。
道後温泉は遍路道中でも屈指の有名観光地で、立ち寄り湯や宿泊の絶好スポットでもありますので、ここばかりは歩き遍路から少し離れて、風情のある温泉街でゆっくりしていくのもよいのではないでしょうか。
【「道後温泉本館」 地図】