【28番札所大日寺→29番札所国分寺】伊藤萬蔵と中務茂兵衛の合作の標石

28番札所大日寺から29番札所国分寺に向かう途中の国分寺まで残り約2kmのところに中務茂兵衛標石があります。この標石は、当時の四国遍路の普及に努めた第一人者である中務茂兵衛と伊藤萬蔵の合作によって建てられたものです。

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28−29 標石

中務茂兵衛標石と古標石

 

中務茂兵衛 < 弘化2年(1845)4月30日 - 大正11年(1922)2月14日 >

周防國大嶋郡椋野村(現 山口県周防大島町)出身。
18歳の頃に周防大島を出奔。明治から大正にかけて 一度も故郷に戻ることなく、四国八十八ヶ所を繰り返し巡拝する事279回。バスや自家用車が普及している時代ではないので、殆どが徒歩。 巡拝回数は 歩き遍路最多記録 と名高く、また今後も上回ることはほぼ不可能な不滅の功績とも呼ばれる。 
明治19年(1886)、茂兵衛42歳。88度目の巡拝の頃から標石の建立を始めた。標石は四国各地で確認されているだけで243基。札所の境内、遍路道沿いに多く残されている。

—– こちらの記事に登場する主な地名・単語
標石(しるべいし)
周防國大島郡椋野村(すおうこくおおしまぐんむくのむら)
第28番大日寺(だい28ばんだいにちじ)
第29番国分寺(だい29ばんこくぶんじ)
後免駅(ごめんえき)
京浜急行電鉄(けいひんきゅうこうでんてつ)
川崎大師平間寺(かわさきだいしへいけんじ)

—– こちらの記事に登場する人物
伊藤萬蔵(いとうまんぞう / 1833~1927)… 愛知県生まれ。事業に成功して巨額の富を得、寺社を中心に広く寄進を行った。その数は1,000を超すと言われ、北海道と沖縄を除く全国の社寺でその名を見ることができる。

 

標石が立つ場所

28−29 標石近く道路

近年道路が拡幅されて景観が変わりました

この場所は、28番札所大日寺から29番札所国分寺への道中。ここまで来れば国分寺への残り距離は、全長約9kmのうち2km弱。徒歩30分くらいです。
右へ曲がると国分寺方面、左へ行くとJR・土佐くろしお鉄道の後免駅。近年道路が拡幅されて歩道ができて、安心して歩行することができます。

工事前と比べて、標石の位置は若干移動しています。

 

標石の右面に表記されている内容は

28−29 標石 巡礼160番目

160度目

大日寺
臺百六十度目為供羪
周防國大島郡椋野村
願主中務茂兵衛義教

160度目は、中務茂兵衛54歳の四国遍路です。

隣に添えられた背の低い標石は、茂兵衛さんの時代より古いものであり、道路工事を機に中務茂兵衛標石と同じようにこの場所へ移されたものと考察します。
標石が建てられる場所に多いのが、曲がり角や分かれ又等、順路を間違えやすい場所。少なくとも二つ(二名の施主)の標石がこの近辺に置かれた辺り、この場所は昔から迷いやすい場所であったのでしょう。現在も大日寺から来た時は道路を横断せず右折するので、お間違え無いように。

 

標石の正面に表記されている内容は

28−29 標石 国分寺

国分寺と施主の情報

国分寺
名古屋市塩町四丁
施主伊藤萬蔵

大切な部分がコンクリートで埋められていて実際には判別できないのですが、「名古屋」「塩町」「伊藤」の字が見えたら、この御方で間違いないでしょう。

28−29 標石 伊藤萬蔵氏の寄進

伊藤萬蔵氏の寄進

四国霊場はもちろん、全国の寺社に広く寄進を行った、ご寄進第一人者といっても過言では無い伊藤萬蔵氏。施主(=スポンサー)・伊藤萬蔵、願主(=発案者)・中務茂兵衛の合作は、この時代に四国遍路の普及に努めた人物としては、最強タッグです。
※伊藤萬蔵については、以下リンクの記事でも詳しくご紹介しています。

【伊藤萬蔵】全国の社寺に広く寄進を行った人物のおはなし

 

標石の左面に表記されている内容は

28−29 標石 明治31年

明治31年2月

明治三十一年二月吉辰

明治31年=1898年。
同年同月、京浜急行電鉄(京急)の前身である大師電気鉄道が創立されました。その名の通り、関東における初詣で有名な川崎大師こと「平間寺」への輸送に着目した路線。
開業は翌明治32年、それによって川崎大師への参詣客が大幅に増加。それまで初詣といえば近所の寺社へ参るのが通例だったものが、この鉄道の開業によって「初詣は有名寺社へ列車に乗って」という習慣が生まれました。このことが当時の私鉄界に与えた影響は大きく、現在も私鉄会社の行先に有名寺社が多いのは、このためです。

例)京急=川崎大師、ことでん=金刀比羅宮、近鉄=伊勢神宮など

 

この道の先には

28−29 標石 へんろ石まんじゅう近く

へんろ石まんじゅう近く

標石がある交差点を表示の通りに右折すると、遍路道は進路を北に変え国分寺を目指します。
そこへ行くまでの間にあるのが、有名遍路グルメ「へんろ石まんじゅう」。こちらの標石がある場所からはすぐ近く。写真では青い道路看板の先にお店があります。
※へんろ石まんじゅうと、名前の由来になったへんろ石については、以下リンクの記事でご紹介しています。

【元祖山崎へんろいし饅頭】遍路石が店名の由来、遍路道中の甘味補給にお勧めのまんじゅう

 

【「中務茂兵衛と伊藤萬蔵の合作の標石」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。