87番札所長尾寺に向かう手前の遍路道には、昔の遍路の様子が垣間見える貴重な史跡が多数あります。広瀬橋近くの墓地には多数の遍路墓が安置されていて、昔の遍路と地域の関わり方を垣間見ることができます。
87番札所長尾寺手前の広瀬橋近くの遍路墓
結願ももう目の前に迫ってきた87番札所長尾寺に向かう手前の遍路道沿いには、昔の遍路の様子を色濃く残す史跡があります。
86番札所志度寺から南に向かって進んできて、鴨部川にかかる広瀬橋の交差点を川沿いに西方向に進むのが歩き遍路道で、そのすぐ近くに遍路墓が残されています。
上の写真で見えているお墓はどこにでも見られる一般的な現代のお墓ですが、道から一段下がった墓地に下りてみると、道からは見えない位置に貴重な史跡があるのです。
この多数の遍路墓は、江戸時代から明治時代にかけてこのあたりで行き倒れになったお遍路さんのお墓で残っていたものをここ一カ所に集めて安置しているようで、墓石に刻まれた出身地は「摂州」「紀州」「藝州」「播州」など四国外の人がほとんどで、この地域の方々が遠方から訪れていた人をこの地で手厚く葬っていた歴史をうかがわせます。
このような文化・風習は現代ではもう起こりえないことになっていますが、昔の遍路の過酷さや地域との関わり、「お接待」の原点ともいえる慣習を垣間見る貴重な史跡です。
昔はこのような遍路墓が遍路道沿いに多くあったようですが、現代の道路開発で撤去されたり、遍路道自体が使われなくなって行方不明になっているものもあるようです。
この広瀬地区の遍路墓も普通に遍路道を歩いていると気がつかない位置に集約されてはいますが、地域で遍路文化の史跡を残してくださっているのに感謝です。
結願間近で先を急ぐかもしれませんが、ぜひ足を止めて、隠れた貴重な遍路史跡をご覧になってみてください。
※同じ地域の「遍路石」に関しても以下リンクの記事でご紹介していますので、ぜひご覧ください。
【87番札所長尾寺手前の旧遍路道】遍路石の「指さし」と「手のひら」の違いとは?
【「広瀬公民館隣接 遍路墓」 地図】