【知多四国霊場】札所が3ヶ寺あり伊勢神宮と関係が深い聖域「篠島」

愛知県の三河湾に浮かぶ「篠島」には、知多四国霊場38番札所正法禅寺、39番札所医徳院、番外札所西方寺があり、お遍路さんが船で訪れ、古くから伊勢神宮との関係がある聖域です。海産物やビーチが人気の観光スポットでもあります。

スポンサーリンク

 

三河湾に浮かぶのどかな島「篠島」

愛知県の知多半島と渥美半島に囲まれた三河湾に浮かぶ「篠島(しのじま)」「日間賀島(ひまかじま)」「佐久島(さくしま)」の3島は「三河湾三島」と呼ばれています。
その中の篠島は、愛知県南知多町に属し、知多半島の南知多町師崎港(もろざきこう)から高速船で10分、美浜町の河和港(こうわこう)から25分の定期船でアクセスできます。面積は0.94㎢、東京ドーム約20個分の広さに約1,600人の島民が暮らしています。島の周囲には小島が点在し、東海の松島と呼ばれる美しい景観を作り出しています。昭和時代中期以降の高度経済成長期に観光地として人気になりました。

篠島_篠島港

篠島の玄関口の篠島港は昔ながらの漁港の風情をのこすのんびりした雰囲気です。

篠島_高速船

知多半島から高速船で気軽にアクセスできます。

 

古くから伊勢神宮と関係が深い聖域

篠島は、三重県にある日本でももっとも有名な神社のひとつ「伊勢神宮(いせじんぐう)」と古くから関係があるといわれています。
伊勢神宮を創建したとされる倭姫命(やまとひめのみこと)が篠島を訪れた際に、島の海産物に感動し、篠島を御贄所(おにえしょ)と定めたという伝説があります。御贄所とは、神宮に供える魚介類をとる漁場のことで、塩漬けにした鯛を「おんべ鯛」として奉納する祭礼が今でも毎年3回行われています。この伝統は、1,000年以上も続いているとされています。

また、篠島にある神明神社と八王子社は、伊勢神宮と同じく20年に1度の遷宮を行う習慣があり、伊勢神宮から下賜される木材を使って社殿を建て替えます。古い社殿は島内の小さな社に受け継がれ、島全体が神聖な島として信仰をあつめています。

神明神社_社殿

伊勢神宮の御古材を使った神明神社の社殿。

篠島_神明神社_御朱印

神明神社では、季節によってデザインの違う御朱印が授与されており、御朱印集め好きに人気のスポットになっています。

島の北西にある中手島(なかてじま)には「神宮干鯛調製所」があり、伊勢神宮に供える干鯛をつくっています。年間約500尾の鯛を塩漬けにして天日干しにして「おんべ鯛」を作っています。これは、鎌倉時代から続く伝統で、伊勢神宮と篠島の歴史的な絆を象徴する文化遺産です。
中手島は、昭和47年(1972年)に篠島本島と埋め立てでつながりましたが、以前は別の島でした。神宮干鯛調製所への入口は、篠島港の防波堤沿いの道の突き当りにありますが、社領で一般の人が自由に入ることはできません。ただし、毎年10月に行われる「おんべ鯛奉納祭」のときには、調製所を見学することができます。

篠島_中手島_神宮干鯛調製所

中手島は伊勢神宮と深くつながる聖地として古くから崇められてきました。

 

日本一の漁獲量の「シラス」と神秘的な「サンサンビーチ」

篠島の海産物の名物とされているのが「シラス」です。日本一の漁獲量を誇り、島内に複数の飲食店で、生で食べたり、釜揚げや天ぷらにしたりと、様々な料理で提供され、評判になっています。中でも「シラス丼」は、手軽に食べれるメニューとして人気があり、朝早い時間帯から営業している喫茶店でも提供されているほどです。4月から12月までが旬の時期とされ、新鮮で栄養満点なので、篠島を訪れた際にはぜひお試しください。

また、篠島の東海岸の「サンサンビーチ」は観光スポットして人気があります。きめ細やかな砂浜が約800mも続き、海水は透明度が高く、魚も見えるほどです。夏は海水浴、釣りを楽しむ人は年中訪れます。夜明けや夕暮れ時は神秘的な雰囲気を味わえると話題になっていて、最近はインスタ映えスポットしても知られています。

篠島_サンサンビーチ

サンサンビーチはきめ細かな砂浜と朝日・夕日のコントラストの景色が人気です。

 

知多四国霊場の3札所

篠島には、知多四国霊場の札所が3ヶ寺あり、お遍路シーズンになるとお遍路さんの来島でもにぎわいます。
※同じく離島の札所がある日間賀島について、以下リンクの記事で紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【知多四国霊場】巡礼文化も根付くタコとフグとビーチのリゾート島「日間賀島」

 

●知多四国霊場38番札所正法禅寺

正法禅寺(しょうほうぜんじ)は、曹洞宗の寺院です。南北朝時代の貞治元年(1362年)に、説宗讃和尚によって創建され、中興は仙鱗等膳和尚と伝わっています。仙鱗等膳和尚は、駿府で今川義元(いまがわよしもと)の人質になっていた幼少期の徳川家康(とくがわいえやす)を救出して、篠島で世話したという伝説がのこる人物です。
御本尊は釈迦牟尼仏で、本堂の天井にはダイコンやカブなどの絵が描かれています。梵鐘には、篠島が伊勢神宮領だったことを示す貴重な印がのこっています。

知多四国霊場38番札所正法禅寺

徳川家康とのエピソードがのこる正法禅寺。

 

●知多四国霊場39番札所医徳院

医徳院(いとくいん)は、真言宗豊山派の寺院です。現在の南知多町大井の医王寺が鎌倉時代に焼失後、建暦2年(1212年)に篠島に移されたと伝わっています。
※医王寺に関しては、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【知多四国霊場】風光明媚な港町・南知多町にある札所群「大井の5ヶ寺」

御本尊は薬師如来で、室町時代の寛正元年(1460年)に漁師が海中から引き揚げたという伝説があります。本堂は、伊勢神宮の西方殿の御用材で造られたものとされ、篠島最古の木造建築といわれています。
徳川家康が本能寺の変の際に、伊賀越をして岡崎城に戻る途中で立ち寄り一泊したというエピソードも伝わっており、正法禅寺と同じく、徳川家康とゆかりがあります。

知多四国霊場39番札所医徳院

境内は保育園のグラウンドにもなっていて、地域の子ども集まる憩いの場でもある医徳院。

 

●知多四国霊場番外札所西方寺

西方寺(さいほうじ)は、浄土宗の寺院です。伊勢神宮の鬼門にあたる篠島に「火度見善光寺如来」を安置するように宮中から命が下ったことで、室町時代に永正13年(1516年)に創建されたと伝わっています。火度見善光寺如来は、武田信玄作ともいわれる秘仏で、拝観した者は短命になるという伝説があります。御本尊は阿弥陀如来で、真綿の帽子をかぶっており、特に安産のご利益を授かれるとされています。

知多四国霊場の番外札所になっているのは、四国霊場との所縁が深いことが理由とされています。土佐国幡多郡月灘村(現在の高知県大月町)の元月山大勢至菩薩と、伊予国南宇和郡一本松村字正木(現在の愛媛県一本松町)の元篠山大権現十一面観世音菩薩の仏像を泰安しており、この2ヶ所は四国八十八ヶ所霊場を巡礼するお遍路さんも参拝に訪れる弘法大師空海ゆかりの場所とされることから、知多四国霊場を巡礼するお遍路さんは番外札所として西方寺を参拝しており、お遍路さんには「月山篠山霊場(つきやましのやまれいじょう)」の通称でも知られています。

知多四国霊場番外札所西方寺

伊勢神宮や四国霊場と所縁が深い西方寺。

 

この3ヶ所の札所は、近い位置にかたまっているので歩いて巡礼するのも苦ではなく、入りくんだ島の道を探検するように巡礼すると楽しいと思います。

 

名古屋城築城の際に供給された石材

篠島は、「賤ヶ岳の七本槍」の一人である加藤清正(かとうきよまさ)とも関わりがあるとされています。愛知県の名城・名古屋城(なごやじょう)を加藤清正が築城する際に、篠島から石材を調達したと伝わっています。
現在の篠島の海岸に、切り出しの途中で運び出されなかったといわれる「枕石」がのこっており、石には矢穴と呼ばれる切り口が見られます。矢穴がのこった石の一部は、平成24年(2012年)に篠島から名古屋城に寄贈され、名古屋能楽堂南広場の加藤清正像の横に移設されました。篠島港には、名古屋城築城に使われるはずだった石が展示されているので、名古屋城との関係の歴史にも触れてみてください。

篠島_名古屋城矢穴石

名古屋城築城に使われるはずだった石が、現在でものこっています。

この他にも、篠島城跡や、帝の井、しま弘法など、小さい島でありながら、いろいろないわれのある史跡がたくさんのこっているので、島内をじっくりを歴史散策してみてもらいたいです。

篠島_しま弘法

しま弘法は、時化によって亡くなった漁師を弔うため設置された、島内で八十八ヶ所巡礼ができる写し霊場です。

 

篠島は、知多半島からの船のアクセスが良く、気軽に島旅気分を味わうことができる人気の観光スポットです。知多四国霊場の札所が複数あり、伊勢神宮と古くから関係している神聖な島でもあり、お遍路さんはもちろん、歴史好きにはぜひ一度訪れてみてもらいたい島です。

 

【「篠島」 地図】

四国遍路巡礼に
おすすめの納経帳

千年帳販売サイトバナー 千年帳販売サイトバナー

この記事を書いた人

知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)も楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。