【阿佐國境「古目峠」】國境の古道で峠を越えて土佐へ入る

かつて土佐へ入國する際に厳しい取り調べが行われていた古目番所を過ぎて、旧土佐浜街道であり阿波・土佐國境の峠である「古目峠」を目指します。古の雰囲気を残し、かつては歩きお遍路さんもよく通っていたであろう古道です。

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古目番所跡先 古目峠へ向かう道

古目番所前の三叉路を右折。奥左の建物の先が峠道の入口<0分00秒>

宍喰市街地から古目番所跡までの道のりの様子は、以下リンクの記事でご紹介しています。

【古目大師】宍喰住民による涙の別れと徳島県最南所に位置する霊場

 

土佐街道

古目番所跡先 古目峠旧道入口

峠道への入口<3分30秒>

写真の<●分●秒>の数字は、古目番所跡からの経過時間です。標準的な歩行ペースで、写真を撮るための停止程度で進行しています。

現在はどうかわかりませんが、自分が持っている黄色い歩き遍路の地図にこちらのルートは記されていません。

古目峠への古道 旧土佐浜街道道標

「旧土佐街道」とあります<3分46秒>

「土佐街道」といえば、最も往来が多かった川之江(現四国中央市)から高知へ向かう古道を指すことが多いのですが、本来の意味は「土佐へ向かう街道」の総称。

松山街道…松山から高知。高知へ向かう場合は土佐街道
土佐北街道…川之江から高知
土佐浜街道…徳島から高知。土佐東街道とも

これら全て「土佐街道」です。

今回歩いた古目峠の古道に設置されている標識などは「へんろみち保存協力会」規格ではないようです。どなたかによって道の保存や標識の設置が行われているようです。

【「古目峠古道 徳島県側入口」 地図】

 

徳島県側の山道

古目峠への古道 所々損傷

流された痕跡がある谷越え<5分20秒>

車道から分かれて少し入ったところで、谷をひとまたぎ。この時点でまだ登っていません。

この時は流れていた水は少しだけでしたが、木々がなぎ倒されて道が少し付け変わっているあたり、まとまった雨が降ると少し事情が異なるかもしれません。

古目峠への古道 徳島県側 植林帯

谷を一つ越えたところで登山開始<6分36秒>

ここはまだ徳島県ですが、ヒノキの植林に足元はシダ植物。所々に松が生えてその葉が足元に落ちていますが、自然林というよりは管理された森林の中を歩いて行く感じ。

古目峠 切通

峠らしき切通部分<15分18秒>

稜線の向こうが見えてきました。早くも峠に到着です。ここまで古目番所から通算15分18秒でした。

 

古目峠

古目峠 地蔵群

古目峠(こめとうげ/徳島県海陽町・高知県東洋町)<16分50秒>

首無しのお地蔵さまと「神社五里半」と刻まれた石が峠の右側にあります。

土佐國は廃仏毀釈運動が極めて激しかった地域なので、様々な地点で仏像の損傷をみることがあります。そこはやはり土佐だなと思える点ですが、単純に劣化により首から上が落ちてしまったものかもしれません。
台座に刻まれている「安永」は、西暦1772年から1781年の間の元号。「明和→安永→天明」と元号が推移した時代ですが、安永への改元理由は第118代後桃園天皇(ごももぞのてんのう/1758-1779)の即位と、「明和九年」に発生した江戸三大火事の一つ・明和の大火が発生したことにより「めいわくねん(迷惑年)」と嫌われてのことという説があります。

「神社へ五里半」
これがどちらを指すのでしょう。この辺りで目標物になるような神社はパッと出てくるところでは「佐喜浜八幡宮」ですが、それだと甲浦から距離約20km。「五里半」の距離とバッチリ合います。
しかしながら必ずしも南方向を指したものとは限りません。北へ約20km進むと牟岐(むぎ)市街地。ここもキリ良く距離が合います。

また、この石がどの時代のものかが分からないのですが、室戸岬東岸の道は断崖絶壁などが連続するため整備が遅れ、野根から先の道路が開通したのは昭和以降。今のように易々と佐喜浜集落まで行くことはできません。
かつてこの区間を往来する多くの人々は「淀ヶ磯(よどがいそ)」や「ゴロゴロ石」など海沿いの難所を避けて、室戸岬の半島を東西に横断して山越えを行う「野根山街道」を経由していました。それでいくと野根山街道沿いに目標物となるような神社があるのかなとも思います。現存していない神社であったり、必ずしも大きな神社を指す標石じゃない可能性もあります。
ここで楽しいのは答えを見つけることではなくて、様々な仮説を立てることだと思いました。

古目峠 徳島高知県境道標

私設のものですが、見つけると嬉しい県境を示す表示<17分34秒>

公式の標識等が存在するわけではありませんが、頂上左側にある手作りのへんろ道しるべにて、峠の前後で県が変わることを実感しました。

【「古目峠」 地図】

 

高知県側の山道

古目峠 高知県側から振り返り

古目峠を後にします<18分02秒>

あれこれ思案しながら越えた峠を振り返ったところ。

古目峠古道 高知県側下り道

高知県に入りこれから下り道が始まります<18分06秒>

県境の峠を越えた時、森林の様子が変わることがよくあります。
古目峠では徳島県側が植林なのに対して、峠を越えて高知県に入ると自然林に植生が変わりました。北側(徳島)と南側(高知)で太陽の当たり方が違うことがありますが、やはり自然林の方がどことなく明るく好ましい雰囲気です。

古目峠古道 高知県側 人工建造物

少々荒れがちな高知県側の道<23分48秒>

従来の道が流され、左右に迂回して進む箇所がいくつかありました。

徳島県側は植林で整備されているけれど、人口建造物は見当たらない。
高知県側は自然林であまり整備されていないけれど、人口建造物の跡らしきものをみることができる。

地権者の考えやそれぞれの風習によるものでしょうが、県境峠の興味深い点です。

古目峠古道 高知県側 木々の間から見える甲浦集落

間もなく下山。甲浦の内港が見える<25分36秒>

古目峠は山塊としては小さいもの。ここまでの所要時間を見てもそうですし、距離も短い。降雨時や気温が高い時期は国道55号の水床トンネル(みとことんねる)へ行った方が良いですが、気候が良い時期は峠道の方が楽しめるように思います。
何より「國境の峠」を越える達成感。その醍醐味を味わうことができます。

 

古目番所と対になる東股番所

甲浦 海沿いの家々

峠の下りから見えた集落に下りてきたところ<28分52秒>

牟岐から甲浦(かんのうら)にかけてのエリアは甲浦だけ高知県に属していますが、文化や商圏などは一体のもの。軒を連ねるように立つ家並みなど、徳島県側の浅川や鞆の地域でみられる造りと似ています。

ここから本格的に高知県に入るわけですが、それならばとやはり存在するのが、

甲浦東股番所跡

甲浦東股番所跡(かんのうらひがしまたばんしょあと/高知県東洋町甲浦)<29分06秒>

土佐國側の番所はこの地点にありました。阿波國側の古目番所と役割は同じですが、こちらは領民が勝手に他國へ行かないようその監視に目を光らせていたようです。

【「甲浦東股番所跡」 地図】

 

港に迷い込んだ南方系の魚

甲浦 オニカマス

英名バラクーダ。獰猛果敢な性格の持ち主<30分37秒>

この部分の海は内陸部に掘り込まれた内港ですが、水の中に目をやると一匹の魚が漂っていました。

和名「オニカマス」
英語名「Barracuda(バラクーダ)」

カマスの仲間では最も大きい口と鋭い歯を持ち、獰猛な性格から英米などでは戦艦や潜水艦など兵器の名前やニックネームに採用されています。四国の沿岸で見かける機会はそれほど多くありませんが、さすが黒潮の流れに近い高知県の海といったところです。

カマスは「カマスの焼き食い一升飯」といわれるほど非常に美味な魚ですが、こちらのオニカマスは身に毒を持つ個体もいて、食用には向きません。

 

下山とコースタイム

甲浦 県境の古目峠を振り返る

越えて来た古目峠の山なみを眺めたところ<31分49秒>

国道55号の水床トンネルを経由して甲浦の街中を通る道と合流して、これにて下山です。

峠から下山に要した時間は16分31秒。「古目番所跡-東股番所跡」まで全体のコースタイムは31分49秒、距離は約1.6kmでした。この所要時間は立ち止まって写真を撮りながらのものなので、きびきび歩くのであればもう少し早く峠を越えて下りて来ることができると思います。

通常旧道や山越えは車道経由より短くなるものですが、この場所に関しては古目峠に相当する部分がトンネルで直線なので、距離にそれほど差がありません。時間と労力は、やはり国道とトンネルを経由する方が短縮されます。

 

DMV運行に向けて工事中の甲浦駅

阿佐海岸鉄道 甲浦駅

甲浦駅(かんのうらえき/高知県東洋町)

列車を利用して宍喰駅に停めてある自動車を取りに戻るため、街外れに位置している甲浦駅へやってきました。

今でこそ終着駅になっている甲浦駅ですが、元々は国鉄阿佐線の構想の上では中間駅。住民の利便性があまり考慮されていない駅立地は、室戸方面への延伸を考えてのものと思われます。

阿佐海岸鉄道 甲浦駅 インターチェンジ予定工事中

再開された工事は鉄道延伸工事ではなくDMV運行に向けてのもの

高架にある駅は終端が突然切れる形で終わっていましたが、現在その先にスロープを設ける工事が行われています。

こちらは阿佐海岸鉄道でこれから運行が始まる「DMV(Dual Mode Vehicle)」が線路から道路へ下りるためのインターチェンジ。鉄道路線はここで途切れて開通することはありませんでしたが、阿佐線の構想は世界初のDMV運行に形を変えて、鉄道史に残る一歩を踏み出そうとしています。
※阿佐海岸鉄道やDMVに関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介しています。阿佐海岸鉄道の公式ホームページもご参照ください。

【阿佐海岸鉄道「DMV(Dual Mode Vehicle)」】四国最小の鉄道事業者に間もなく登場する世界初の乗物

阿佐海岸鉄道ホームページ→お知らせ「2020年2月1日◆ DMV(デュアル・モード・ビークル)を知っていますか?」
http://asatetu.com/archives/1979

 

國境にはその時代の情勢や國による考え方の違いなどの歴史が土地に刻まれています。阿佐國境にはまた新しい歴史が刻まれようとしています。

 

【「阿佐海岸鉄道 甲浦駅」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。