土佐北街道最大の難所「笹ヶ峰」は、標高1,000mを超える峠で、土佐と伊予を結ぶ歴史の道でもあります。現代の道路を走りながら旧街道の姿をたどります。

土佐北街道最大の難所「笹ヶ峰(ささがみね)」へは徒歩でアプローチする場合は、こちらの登山口から山へと入っていきます。
※土佐北街道の要衝であった旧立川番所に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【旧立川番所】土佐北街道の要衝の歴史を伝える「旧立川番所書院」と営業日限定の「立川そば」
近代道路と旧街道が交差する場所

高知自動車道笹ヶ峰トンネルの長さは4,307mあり、かつて人々が笹ヶ峰を越えるために峠道を一歩一歩登った場所も、現在は長大トンネルによって一気に通過することができ、時代の変化を象徴する風景のひとつです。
現代の笹ヶ峰越えは、高知自動車道に設けられた長大トンネルによって、あっという間に通過できる場所となっています。高知県側から愛媛県側へと山を貫く笹ヶ峰トンネルの延長は4,307mで、これは四国内の高速道路において最長のトンネルです。さらに一般道を含めて見ても、その長さは愛媛・高知県境に位置する寒風山トンネル(5,432m)に次ぐ規模を誇ります。
かつて「土佐北街道最大の難所」と呼ばれた笹ヶ峰は、現代においては舗装路とトンネルによって、その険しさをほとんど感じさせない存在となりました。

峠道と高速道路が交差する地点に立つと、下り(高知)方面を走る車両のドライバーと目が合う、少し不思議な感覚に包まれます。
写真の場所の一般道は高知自動車道とほぼ同じ高さに位置しています。防音壁などの遮るものがないため、ここに立つと高速道路を走る車のドライバーと、ふと目が合う瞬間があります。長いトンネルを抜けた直後、すぐ横に人が立っているとは、ドライバーも思わないでしょう。
次々と通り過ぎていく車の流れは、まさに現代の風景そのものです。一方で、私が立っている県道は驚くほど静かです。車の通行はまばらで、聞こえてくるのは川が流れる音や風の音だけで、ほんの数mの距離しかないのに、まるで時間の流れが違う世界が並んでいるように感じられます。
この場所に立つことで、高速道路がもたらす便利さと、かつての峠道が持つ静けさの対比を肌で体感することができます。
標高を上げて笹ヶ峰峠の入口へ

標高が上がるにつれて、視界の下に高知自動車道が小さく見えるようになります。
先ほどまで目線の高さにあった車の流れが、いつの間にか谷底を走る一本の線になっていきます。

車道で県境を越える場合はトンネルを通りますが、その手前で、ひっそりと旧街道の峠越え入口が姿を現し、現代の交通路とかつて人が歩いた道が、ここで交差しています。
笹ヶ峰峠の標高は1,016mで、四国の街道の中でも屈指の高さを誇ります。数字で見るだけでも、この笹ヶ峰が長く「難所」と呼ばれてきた理由が伝わってきます。
同じ山系には、標高1,859mの笹ヶ峰という別の山があります。本来この場所は「笹ヶ峰越え」になるのですが、両者を区別するため、ここでは峠と付けて「笹ヶ峰峠」と呼ばれることがあります。なお、先ほど触れた四国最長の寒風山トンネルは、こちらではない方の笹ヶ峰の近くを貫いています。
旧道の入口には「土佐北街道」の案内板が残されており、ここが単なる山道ではなく、確かに人々が往来してきた街道であったことを静かに物語っています。幕末には、坂本龍馬もこの道を歩いたと伝わっています。

今回の訪問では実際に峠道を歩いていませんが、峠まで800m/約30分と案内がありました。
バイクで走ってくると、ここがまるで登山口のように感じられます。しかし、坂本龍馬らがこの道を歩いた時代には、登り坂はこの場所から始まるのではなく、すでにふもとの集落を出たあたりから続いていました。現在残っている古道は、長い行程の末にたどり着く峠付近の一部分に過ぎないのです。
今回は歩いていませんが、いつかは自分の足でこの道を辿り、峠を越えて県境を越えてみたいと思わせるだけの歴史と重みが、この場所から感じられました。
高知愛媛県境を越える笹ヶ峰隧道

高知愛媛県境のトンネルは、これまで1.2~1.5車線ほどあった車道の幅がトンネルに差しかかると1車線となり、ぐっと狭まり、山を縫うように延びてきた道が、ここでさらに緊張感を増すように感じられます。
この笹ヶ峰隧道は、かつて人々が峠を徒歩で越えていた道を、車で通り抜けるために造られたものです。峠を越える苦労を山の中に残したまま、現代の交通はトンネルによって一気に県境を越えていきます。

笹ヶ峰隧道の扁額に記載されている隧道は「ずいどう」と読み、トンネルと同じ意味を持ちます。
この道の時系列について詳細な資料を確認したわけではありませんが、旧土佐北街道を引き継ぐこのルートが舗装整備された頃には、すでに東側では四国新道(現在の国道32号)が開通していたように思われます。
笹ヶ峰峠の前後は集落も少なく、土砂崩れや積雪によって通行止めになることも多い場所です。主要幹線としては条件の厳しいこの道が、それでも整備された背景には、単なる地域交通以上の事情があったのではないかと想像してしまいます。
四国山地一帯には、かつて鉱山が点在していたことが知られています。鉱山に関わる人や資材の往来が、この道の整備を後押しした可能性も否定できません。
確かな記録があるわけではありませんが、別の場所に近代的な主要道路が開通したことで、この道は人々が日常的に行き交う生活道路としての役目を終え、その後、産業のための道として整備・活用されたというような経緯だったのではないか、と少し思いました。

トンネルの手前で来た道を振り返ると、規格の古さを感じさせる高知県大豊町の標識が立っていました。
県境の標識は南北どちら側にもトンネル手前に設置されていますが、実際の高知県と愛媛県の県境は、笹ヶ峰隧道のほぼ中央付近に位置しています。

笹ヶ峰隧道は直線のトンネルで、入口から出口の光が見えています。
これから笹ヶ峰隧道に入ります。直線のトンネルのため、入口から出口を見通すことはできますが、内部には照明がありません。道幅は普通車1台分ほどで、記憶の限りではトンネル内に明確な退避所はなかったように思います。
通行する車両は非常に少ない場所ですが、万が一、反対側から先行車が確認できた場合は、無理に進入せず、この地点で待つのが無難です。
笹ヶ峰隧道
延長:482m 竣工:1966年
笹ヶ峰峠を越えて愛媛県側へ

笹ヶ峰隧道を出て愛媛県に入ったところには、現行規格の県境標識が設置されています。
県境の笹ヶ峰トンネルを抜けると、愛媛県四国中央市に入ります。道路は引き続き県道5号ですが、工事中のため一部に未舗装の区間が残っていました。 路面状況は高知県側と大きくは変わりませんが、笹ヶ峰の北側斜面にあたる愛媛県側は、全体的に日陰が多く、やや薄暗い印象を受けます。南北で光の入り方が変わるのも、峠道らしい特徴です。

主要な地点までの距離が記された標識に「川之江」の名を見つけて、この道の行き着く先をあらためて知ります。
太平洋側の土佐から峠を越え、やがて瀬戸内海へ、この坂を下れば、ようやく川之江かと言いたいところですが、土佐北街道の道のりはまだ続きます。海に出るまでには、まだいくつかの山を越えなければなりません。

冒頭で登場した高知自動車道・笹ヶ峰トンネルの反対側にあたる愛媛県側の入口です。
愛媛県側では、笹ヶ峰トンネル坑口付近で一般道と高速道路本線が接近する地点はあるものの、本線は一段高い位置を通っています。そのため、高知県側で感じたような、走行中のドライバーと視線が交錯するほどの近さはありません。
同じトンネルの両端でありながら、立ち位置ひとつで受ける印象がこれほど変わるのも、この場所ならではの面白さです。

旧立川番所以来の人里である道の駅霧の森は、売り切れ続出の人気大福を扱う店があることで知られる場所です。
道の駅霧の森までは川之江方面からの路線バスも、便数は多くはないものの運行されており、峠越えの先に再び人の暮らしが感じられる地点でもあります。
道の駅内にはレストランや菓子店が並び、名物の「霧の森大福」は、その人気ぶりから曜日や時間帯によっては品切れになることも珍しくありません。大量生産ができないため、購入制限が設けられているのも、この大福ならではです。また、敷地内には清らかな川が流れており、夏には水遊びを楽しむ人々の姿も見られます。山を越えてきた旅の途中で、ほっと一息つける場所です。
笹ヶ峰を越え、峠の緊張感から少しずつ解放されていく土佐北街道ですが、この先で遍路道と交差する地点には、また別の歴史と物語が待っています。
※土佐北街道を愛媛県側に進んだ先の遍路道との合流地点に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【愛媛県四国中央市】土佐街道と遍路道が交わる地点で紐解く江戸時代の旅人の動き
【「笹ヶ峰隧道」 地図】










