【旧立川番所】土佐北街道の要衝の歴史を伝える「旧立川番所書院」と営業日限定の「立川そば」

高知県大豊町の山深い場所にある「立川」は、かつて土佐國と伊予國を結ぶ街道の要衝でした。藩政時代には番所が置かれ、人と物の往来を静かに見守ってきた場所であることを伝える「旧立川番所書院」が残されていて、営業日限定で「立川そば」が提供されています。

スポンサーリンク

旧立川番所_道路標示

今回目指す立川は「たじかわ」と読み、標識の上に示される愛媛県・川之江の地名が、この道がかつて土佐國と他國を結んでいた街道であったことを今に伝えています。

※土佐國と他國を結んでいた土佐北街道に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【29番札所国分寺→30番札所善楽寺】交通の要衝「岡豊」に建てられた中務茂兵衛標石

 

立川へ向かう道のり

旧立川番所_集落への交差点

主要道路から山側へ入るこの交差点が、旧立川番所がある立川という集落への入口となります。

旧立川番所へ向かう道は、高知県内でも特に山深いエリアを進んでいきます。 ただし、ここまでのアクセスは意外なほど難しくありません。高知自動車道・大豊インターチェンジから近く、大豊町の名所である「杉の大杉」からもそれほど離れていないため、この交差点までは比較的スムーズにたどり着くことができます。
※杉の大杉に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【杉の大杉】高知県山中に受け継がれる多くの人々に大切にされてきた巨木

【美空ひばり音楽碑】杉の大杉に刻まれた伝説の歌手「美空ひばり」の祈りと歌声

旧立川番所_立川集落への道

かつての土佐北街道は、現在では愛媛県道・高知県道5号川之江大豊線として整備されています。

この周辺では「川之江(かわのえ)」という地名を頻繁に目にします。川之江は、現在の愛媛県四国中央市東部にあたる地域です。この表記からも、立川が土佐國の山中にありながら、他國とつながる交通の要所であったことがわかります。
立川へ向かうこの道は、土佐國と他國を結ぶ旧土佐北街道の一部で、「笹ヶ峰越え」とも呼ばれていました。いくつもの山を越え、瀬戸内海側へ抜ける険しくも重要なルートです。 現在では高速道路や国道の整備により移動は格段に容易になりましたが、かつてはこの道こそが、土佐と伊予を結ぶ現実的な通路でした。
その往来を管理し、人や物の動きを見守っていた場所が「立川番所」です。 旧立川番所周辺までであれば道路状況は極端に厳しくなく、大豊町側からのアクセスは比較的安心して走行できます。一方、そこから先の県境区間は道幅が狭く、土砂崩れや冬期には積雪の影響を受けやすい区間で、標識上の距離だけを見ると近く感じますが、実際には県境付近は様相が一変するため、目的に応じたルート選択が重要な道路です。

 

立川という場所

旧立川番所_集落入口

立川集落の中心地へはこの地点を右折し、坂道を上っていきます。

この写真の地点を右折せずに直進すると、道は愛媛県へと続いていきます。山の斜面に沿って延びるその道は、現代でも天候や季節の影響を受けやすく、かつてこの峠越えが容易ではなかったことを実感させます。立川番所がここに設けられた理由も自然と理解できます。

旧立川番所_立川の歴史案内板

立川の歴史を伝える現地案内板には、土佐と伊予を結んだ山道の要衝であったことが記されています。

集落内に入ると、立川の歴史を解説する案内板が設置されています。ここが単なる山中の集落ではなく、土佐國と伊予國を結ぶ街道の要所として機能してきたことが、簡潔にまとめられています。 険しい地形ゆえ通行は容易ではなく、それだけに人や物の往来を管理・監視する拠点が必要とされました。その役割を担っていたのが立川番所です。

旧立川番所_建造物位置関係

旧立川番所は、駐車場が道路左手にあり、右手に茶屋、旧立川番所書院は丘の上という位置関係です。

この場所が、立川を訪れた際の観光拠点となります。道路左手が駐車場で、そこに車を停めて徒歩で散策する形です。正面奥、少し高くなった丘の上に見える建物が旧立川番所書院です。 駐車場に近い位置に建っているのが茶屋で、番所見学とあわせて立ち寄ることができます。藩政時代から続く建物ではないにせよ、立川が「人が足を止める場所」であり続けてきた役割を、今に受け継いでいるように感じられます。

 

旧立川番所書院

旧立川番所_旧立川番所書院

高知県の山あいにひっそりと佇む旧立川番所書院は、県境の要衝に置かれた番所の面影が今も残ります。

立川番所は、岩佐口番所・池川口番所と並ぶ「土佐三大番所」の一つにも数えられています。 土佐國と他國との接点となる場所であったことから、幕末には坂本龍馬と水戸浪士がこの周辺で会見した、という言い伝えも残されています。

旧立川番所にある写真の大型の木造建造物が「旧立川番所書院」で、山あいの集落にしては意外なほど存在感がありますが、派手さはなく、どこか控えめな佇まいです。近づいてみると、建物の内部から漂う空気や木の匂いから、この場所に長く存在してきた建物であることが静かに伝わってきます。

高知県は全体的に降雨量が多く、立川のような山間部では特に湿度が高い環境です。木造建造物にとっては決して条件の良い土地とはいえません。それでも、この建物は現在まで丁寧に保存され、傷みを感じさせない姿を保っています。長い年月を経てなお、この状態が維持されていること自体が、地域にとってこの建物が大切に扱われてきた証です。

旧立川番所書院_近景

山あいの集落に静かに佇む旧立川番所書院の素朴な佇まいの奥に、かつて街道を行き交う人々を見守ってきた役割が刻まれています。

 

立川が果たしてきた役割

旧立川番所_案内板

立川の歴史と土佐と他國を結ぶ土佐北街道の役割が簡潔にまとめられた案内板が設置されています。

旧立川番所敷地内には、立川の歴史と街道の役割を解説した案内板が設置されています。そこには、立川が単なる山間の集落ではなく、古くから土佐國と伊予國を結ぶ交通の要所として機能してきたことがわかりやすく記されています。

立川下名口番所(立川関)の歴史は古く、平安時代初期に編纂された日本後紀に「丹川(たじかわ)」の名で記される延暦16年(797)の記述が初出とされています。この地は、中世の街道整備以前も国府へ通じる官道として利用されていたと考えられています。
藩政期に入ると、土佐藩6代藩主・山内豊隆(やまうち とよたか/1673–1720)が、それまで海路中心だった移動体系を見直し、享保3年(1718)から参勤交代において陸路を重視する方針へ転換しました。立川から先、愛媛県との県境にあたる区間は「笹ヶ峰越え」と呼ばれる難所ですが、高知城下から瀬戸内海側へ抜けるための現実的かつ最短のルートでもありました。

道が険しければ険しいほど、通行を管理・監視する番所の役割は重くなります。こうして立川は立川番所として整備され、岩佐口番所、池川口番所と並び「土佐三大番所」の一つに数えられるようになります。その中でも立川番所は筆頭とされ、同時に土佐路における最後の宿所として、きわめて重要な位置を占めていきました。

現在残る立川番所跡の建物は、寛政年間(1789〜1800)に、立川口番所役人を務めていた川井家10代・川井惣左右衛門勝忠によって建てられたものです。
明治時代になると、この建物はいったん個人の所有となり、旅人宿として利用されるようになります。その過程で、一部改築が施されたと案内板には記されています。土佐藩による街道管理が終わった後も、この道を行き交う人々は途絶えず、民間レベルでは往来や宿泊の需要が続いていたことがうかがえます。

その後、昭和48年(1973)に大豊町が建物を譲り受け、翌昭和49年(1974)には旧立川番所書院として国の重要文化財に指定されました。およそ200年以上にわたり、時代ごとに役割を変えながらも使われ続けてきたこの建物の歩みを、現地の案内板から読み取ることができます。 なお、書院内部については撮影可否がわからなかったため、今回は写真を掲載していません。訪問時に内部の撮影を希望される場合は、現地でご確認ください。

落ち着いた空気の中に、かつて藩主が滞在した場所ならではの気品を感じられる空間です。文章や写真では伝えきれない雰囲気こそ、ぜひ現地で体感してほしいと思います。

 

日曜日・祝日だけの開館

旧立川番所_旧立川番所書院営業案内

旧立川番所書院は、日曜日と祝日のみの公開で、常時開館ではないことが、この場所の特別さを際立たせています。

旧立川番所書院の開館日は、基本的に日曜日と祝日のみです。常時公開されているわけではなく、その限られた開館日が、この場所の希少性をより強く印象づけています。

 

幻の立川そば

旧立川番所_立川御殿茶屋_立川そば

立川名物「立川そば」は、極太の麺に地元の山菜を添えた、素朴で力強い田舎そばです。

旧立川番所の敷地内には、限られた日曜日を中心に営業している「立川御殿茶屋」があり、名物の立川そばを味わうことができます。旧立川番所書院と同様、こちらも営業日が限定されていて、「来たい日に必ず出会えるとは限らない」という点では共通しています。

立川そばは、 極太の麺で噛み応えがあり、山の恵みを感じさせる地元の山菜とともに、素朴ながら印象に残る一杯として語られています。かつて街道を行き交った人々も、ここで腹を満たしていたのかもしれません。

旧立川番所_立川御殿茶屋_営業案内

立川御殿茶屋の営業日は基本的に日曜日のみなので、訪問前の確認が欠かせません。

立川集落から先は高知・愛媛の県境区間に入り、道路状況によっては通行が難しくなるため、四輪車では来た道を引き返して大豊インター付近へ戻ったほうが無難です。

実は今回私が訪問した際には、立川御殿茶屋が営業中のタイミングだったにも関わらず、立川そばを食べませんでした。二輪車で愛媛県へ抜ける計画を立てて訪れていたのですが、この場所に食事を提供する店があることを知らず、立川に入る前の段階で食事を済ませてしまっていたからです。結果として「準備が良すぎた」ことが、この一杯を逃すことになりました。 私にとって立川そばは、営業日と訪問計画が重なった人だけが出会える「幻のそば」になりました。

※土佐北街道の高知愛媛県境・笹ヶ峰に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【高知愛媛県境】現代道路と旧街道が交差する土佐北街道最大の難所「笹ヶ峰」

 

【「旧立川番所」 地図】

四国遍路巡礼に
おすすめの納経帳

千年帳販売サイトバナー 千年帳販売サイトバナー

この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。