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今回は、聖地にまつわる不思議な現象「龍燈」がテーマです。
「龍燈」とは、神仏に龍が灯明を捧げると信じられた発光現象で、江戸時代から明治初期にかけて、全国で見られた記録があり、讃岐の地でも龍燈にまつわる話が残されています。

 

かつては全国各地にあった龍燈伝説

私がはじめて龍燈伝説について知ったのは、福島県のいわき市で聖地の調査をしているときでした。

いわき市には、市街地から西へ10kmあまり行った閼伽井嶽の頂上近くに閼伽井嶽薬師という寺があります。ある時期になると、遠く海の方で沸き立った無数の蛍火のようなものが、川を遡ってきて、この閼伽井嶽薬師の境内にある龍燈杉に付き、樹齢1000年を越えるこの杉の巨木が、さながらクリスマスツリーのように輝くというのです。

地元の地誌には、江戸時代には遠く江戸からも見物客が押し寄せて賑わったと記されています。また明治初期には、同志社の設立者である新島襄が見物にやってきたものの、見ることができず、残念がっている様子が日記に記されています。

いろいろと調べてみると、全国各地で龍燈が見られ、比較的ポピュラーな現象であったことがわかりました。厳島神社では旧暦の元旦から1月6日頃まで、海から龍燈が立ち現れる様子が見られ、弥山の頂上から眺める人で賑わったとされます。橘南谿が著した『東遊記』には、越中国(富山県)中新川郡の眼目山(さっかさん)立山寺(りゅうせんじ)で毎年7月13日の夜、立山の頂上と眼下の富山湾の海中から龍燈が飛来して境内の松の梢に留まると記されています。

その他、天の橋立や福井県の常宮神社、島根県隠岐島にある焼火神社(たくひじんじゃ)などにも龍燈伝説が伝わっています。

ちなみに、各地の龍燈伝説については、私のブログのほうでも紹介していますので、ご参照ください。
http://obtweb.typepad.jp/obt/2018/04/dragon.html

 

そんな龍燈現象ですが、明治後期以降の地誌や紀行文にはまったく見られなくなってしまいます。そもそも「龍燈」とは、どのような発光現象だったのでしょうか? 蛍火のような光がたくさん松の大木などに取り付くということは、燐が燃える「人魂」のようなものでもないでしょうし、長い距離を渡ってくるということは、単純に無数の蛍ということでもなさそうです。

昔から船乗りたちは「セントエルモの火」という船のマストの先端などが光る現象を畏れてきました。セントエルモの火は強風を受けた船体が静電気を帯びて、それがマストの先端などからコロナ放電する現象で、激しくなると人の手や髪の毛からも放電したとされます。航空機で翼の先が放電で光る現象もまさにセントエルモの火です。こうしたコロナ放電や自然のプラズマ現象のようなものなのかもしれません。これらは、淡い光なので、文明化によって夜でも光が溢れるようになると、見えなくなってしまったのかもしれません。

 

『讃岐国名勝図会』・『讃岐国史』に記された龍燈

ところで、この龍燈伝説が、四国にもたくさんあることを聖地調査の過程で知りました。

香川県立図書館で開いた『讃岐国名勝図会』と『讃岐国史』の資料の中に、「龍燈」という項目があり、どちらもほぼ同じの内容の短い記事が記されていたのです。要約すると、「讃岐には、三ヶ所に龍燈があり、時々、そこに蛍火のような灯りが自然に灯った」というのです。

その記事にあった讃岐龍燈伝説の三ヶ所を実際に訪ねてみました。

 

菅原道真ゆかりの滝宮天満宮と龍燈院

最初に訪ねた綾川町の滝宮天満宮でした。ここは、讃岐国司であった菅原道真を祀った神社で受験の神様として有名です。この滝宮天満宮の西側に隣接した場所に小さな空き地があり、「龍燈院跡」と書かれた看板が掲げられています。

ここにはかつて僧堂があり、そこにいた空燈という僧侶が道真の遺徳を偲んで祀ったのが滝宮天満宮のはじまりとされています。さらにこの龍燈院は、空海の甥である智泉がここに官吏として住み、病身の父母に空海から教えられたうどんを捧げ、それが讃岐におけるうどんの最初で、うどん発祥の地とされているそうです。龍燈院という名の由来と、龍燈現象がどこで見られたかは定かではありませんでした。

滝宮天満宮は讃岐国国司の官舎(有岡屋形)が存在した場所といわれていて、菅原道真とゆかりがある。

滝宮天満宮の境内にある龍燈院跡。さらに隣接して瀧宮神社があるが、龍燈松あるいは龍燈杉は瀧宮神社の境内にあったのかもしれない。

【「龍燈院跡」 地図】

 

大楠がシンボルの富田神社

つぎに、さぬき市にある富田神社を訪ねました。この神社は、神奈川県にある寒川神社の分霊を勧請して祀ったと伝えられ、かつての寒川郡の名は寒川神にちなんで名付けられたようです。

ここにも龍燈伝説が残ると『讃岐国名勝図会』に記されていたのですが、やはり明治以降は龍燈の伝承が消えてしまったようで、残念ながらその痕跡も、龍燈にまつわる手がかりも見つけることはできませんでした。ここの境内には香川の保存木に指定された大楠がありますが、あるいは、これが龍燈の灯る樹だったのでしょうか。

香川の保存木に指定された富田神社の大楠。

富田神社境内にあったオブジェ。富田神社は最近パワースポットとして有名だそうで、こうしたスピリチュアルっぽいオブジェがあちこちにあります。それも、龍燈伝説の記憶がこの場所に残っているからでしょうか。

【「富田神社」 地図】

 

日本武尊命が舞い降りた白鳥神社と龍燈松

最後に東かがわ市にある白鳥神社を訪ねました。ここはその名が示すように、伊吹山で命を落とし、その魂が白鳥となって飛んだ日本武尊命がここに舞い降りたと伝えられる神社で、当然、祭神は日本武尊命です。

境内を見回しても、龍燈の痕跡はなく、諦めて帰ろうかと思ったところ、ちょうど折良く、宮司さんが社務所にいらしたので、龍燈のことを聞いてみました。すると、「龍燈の松をちょうど二日前に伐採したところなんです」とびっくりする答えが返ってきました。切り株しか残っていないけれど、それでもよければ案内しますとの言葉に甘えて、宮司さんに案内してもらいました。

白鳥神社の龍燈の松は、境内から3,400メートルほども離れた、西の参道の入り口にあったそうで、たしかに、そこには伐採されたばかりできれいな年輪を見せる直径30センチほどの切り株がありました。高松方面から来ると、この松が参道の始まりを示す目印になっていて、夜には龍燈が灯ったのだそうです。すぐ北に海が迫っていますが、かつてはそこに港があり、龍燈の松は灯台の役目も果たしていたとのことでした。

しかし、宮司さん自身もその龍燈が灯ったところは見たことはなく、ただ伝説の松がそこにあっただけだそうです。二日前に伐採したのは代を重ねてきたもので、松枯れ病で倒れそうになっていたのでやむなく切ったのだそうですが、以前の松も同じように伐採されて、その後、切り株から出たヒコバエが育って大きな松になったそうで、また何十年かすれば再生するだろうと言われていました。

伐採された龍燈松の横には由来を記した碑があります。そこに記された文を意訳すると、「あるとき、霊火海上より飛来し、毎夜、樹頭に集まって灯り、これを龍燈松と呼んだ。元久元年五月六日の暁に火が移り、焼けてしまったので、その後に植えたのがこの松である」とあります。やはり、他の地方にも伝えられる「龍燈」と同じものだったわけです。

白鳥神社の東にある龍燈松の碑。今はその傍らに新しい切り株がある。

【「白鳥神社 龍燈松石碑」 地図】

 

四国の聖地には興味深い伝説がいくつも残っており、遍路文化とも密接に関連していることがうかがえます。
讃岐以外の四国各地の龍燈伝説に関しては、以下リンクの記事に続きます。

四国霊場の龍燈伝説【大瀧寺・御厨人窟・仙遊寺・神峯寺・取星寺】

 

 

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内田一成

聖地と呼ばれる場所に秘められた意味と意図を探求する聖地研究家。アウトドア、モータースポーツのライターでもあり、ディープなフィールドワークとデジタル機器を活用した調査を真骨頂とする。自治体の観光資源として聖地を活用する 「聖地観光研究所--レイラインプロジェクト(http://www.ley-line.net/)」を主催する。