【「逆打ち」とは】うるう年に逆打ちのいわれとされる「衛門三郎」の伝説

四国八十八ヶ所霊場を札所番号順とは逆まわりで巡礼することを「逆打ち(ぎゃくうち・さかうち)」といいます。松山市の番外霊場・文殊院が旧家といわれる「衛門三郎」の伝説が、うるう年に逆打ちをするとよいことのいわれとされます。

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文殊院本堂・大師堂

別格二十霊場第8番・文殊院本堂・大師堂

----- こちらの記事に登場する主な地名・単語
文殊院(もんじゅいん)
三坂峠(みさかとうげ)
伊豫國荏原荘(いよのくにえばらのしょう)
第10番切幡寺(だい10ばんきりはたじ) 

----- こちらの記事に登場する主な登場人物
衛門三郎(えもんさぶろう / 生没年不明) … ↓下記参照

 

 お大師さまと衛門三郎の出会い

文殊院 衛門三郎由来の図

衛門三郎(えもんさぶろう)と言う人物、伊豫國荏原荘を任される庄屋でありながらその立場を利用して、村人から財産を搾取。この地域に暮らす人々が困り果てている噂を聞いたお大師さまは、なんとか改心させようと衛門三郎の屋敷を訪ねた。
しかしながら衛門三郎はお大師さまを相手にせず、来る日も来る日も訪ねて来た大師を最後は持っていた箒を振り回し追い払った。その時に大師が手にしていた鉢に当たり、地面に落ちて八つに割れてしまった。

明くる日から大師は屋敷に来ることが無くなったが、時を同じくして衛門三郎の五男三女 8人の子どもたちが、日を追うごとに亡くなり、溺愛していた子どもたちを失った。悲しみに打ちひしがれる衛門三郎に妻は、これまでの行いが災いし仏罰が当たったのだと告げた。

 

衛門三郎の旅立ち、そして最期

文殊院 衛門三郎出立のレリーフ

衛門三郎、屋敷を出立する絵

衛門三郎はお大師さまに対する無礼な行いを謝罪するため、昨夜まで大師が宿泊していたというお堂を訪ねた。しかし、あいにく大師は出発した後だった。
それでは気が収まらない衛門三郎は身支度を整え、屋敷に妻を残し、大師を追う旅に出た。四国を時計回りに回っているという噂を聞き、衛門三郎自身もひたすら四国を回り続けたが、大師に会うことは出来なかった。

二十周したところで衛門三郎はふと考え、自身と大師はもしかしたら同じスピードで四国を回っているのではないか? それだったらいつまで経っても会えない。自分が逆に回るとどこかでバッタリ会えるのではないか。そのような仮説を立て、自身二十一周目の遍路を反時計回りに回り始めた。伝説では10番札所切幡寺から逆打ち発心、閏年のこととされる。

その後、12番札所焼山寺の登る急坂を前に、加齢・過労から 行き果てた。今まさに息を引き取る… という枕元に大師が現れ、これまでの罪を許すと共に衛門三郎の最期を看取り弔った。
※衛門三郎終焉の地「杖杉庵」に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

【杖杉庵】「焼山寺」からの下りでは、四国遍路の元祖「衛門三郎」を偲ぶ

 

旧家はその後、遍路開祖の由来から番外霊場となり、その後別格二十霊場の一つとなった。
※衛門三郎の旧家とされる別格9番札所文殊院に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

【別格9番札所文殊院】四国遍路の元祖「衛門三郎」の邸宅があったと伝わる遺跡

 

逆打ちの由来

大師の足跡を追って回る旅が四国を順に回る巡礼・四国遍路の原型となった。また、結果的に逆に回ることで大師と会うことが出来たことから、ご利益倍増。それを根拠に 「逆打ちは御利益4倍」といつしか噂されるようになり、衛門三郎が逆打ちを始めた閏年に逆打ちを行うお遍路さんが増加した。

次回の閏年は平成32年(2020)。約2年後、東京オリンピックが開催される年になります。
※ 元号は変わる可能性があります

四国遍路巡礼に
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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。