【知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺】徳川家康の母「於大の方」ゆかりの遍路道

愛知県東浦町は徳川家康の母「於大の方」ゆかりのエリアです。知多四国霊場8番札所傳宗院と9番札所明徳寺まで歩きお遍路道は、昔の街道である「師崎街道」を通り、於大の方ゆかりの「善導寺」「緒川城跡」にも立ち寄れる歴史文化を感じる良道です。

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知多半島を南北に貫く「師崎街道」

愛知県知多半島の北東部の半島付け根部分にあたる東浦町の緒川(おがわ)地区にある、知多四国霊場8番札所傳宗院(でんそういん)から9番札所明徳寺(みょうとくじ)に向かうお遍路道は、昔から「師崎街道(もろざきかいどう)」と呼ばれていた道の一部で、地域の交易と人々の暮らしを支えていた主要道路です。

戦国時代や室町時代には、すでに地域の主要道路として使われていたと考えられ、街道沿いには多くの寺院や城、武家屋敷などが立ち並び、現在でもその名残があります。知多四国霊場が開創された江戸時代後期には、知多半島の付け根に位置する東浦町から、知多半島の南端の師崎までを南北に結ぶ重要な交通路として利用され、多くのお遍路さんも行き交いました。近くを流れる「境川(さかいがわ)」の氾濫を避けるため、内陸部に整備されたといわれています。

特に8番札所傳宗院から9番札所明徳寺の区間は、戦国時代の歴史上の人物「於大の方」ゆかりの「善導寺(ぜんどうじ)」と「緒川城跡(おがわじょうし)」があり、お遍路さんはもちろん、歴史好きの人もたくさん訪れるスポットになっていますので、ご紹介しようと思います。

 

徳川家康の母「於大の方」

「於大の方(おだいのかた)」は、戦国時代を生き抜いた徳川家康の母として知られています。
戦国時代の享禄元年(1528年)に、当時知多半島の北部を支配していた水野忠政(みずのただまさ)の娘として生まれ、若くして徳川家康の父である松平広忠(まつだいらひろただ)に嫁ぎ、のちの徳川家康となる竹千代を産みますが、竹千代が幼い頃に離縁され、その後は久松俊勝(ひさまつとしかつ)と再婚しました。しかし、竹千代との母子の絆は断たれることなく、成人し武将となった徳川家康が織田信長と手を結び力をつけると、於大の方も政治に影響力をもち、息子を背後で支え続けたと伝えられています。
於大の方は、実名を「大(だい)」とも「太(たい)」とも呼ばれ、晩年は出家して「伝通院(でんづういん)」と称しました。

彼女の生涯が、NHK大河ドラマの「麒麟がくる」や「どうする家康」でもクローズアップされ、一躍注目を浴びました。徳川家康を支える母親として、また政治にも影響力がある強さと賢さを持つキャラクターとして描かれたことが、多くのファンを獲得したと理由のひとつだと思います。

 

於大の方の菩提寺「善導寺」

8番札所傳宗院を出発するところから、遍路道の順序を追いながら、於大の方ゆかりの歴史スポットをご紹介していきます。

8番札所傳宗院を出て、目の前の道を東に約50m進みます。突き当りがT路地になっていますので、右折して南方面に進みます。角には札所を示す石柱と旗がありますので、わかりやすいです。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_石柱T字路

写真の奥から進んできて、T字路を右折します。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_師崎街道

T字路を右折して進む道が「師崎街道」で、道なりに進んでいきます。

師崎街道をまっすぐ約900m進んだ先のT字路を右折すると、最初の立ち寄りスポットである於大の方ゆかりの「善導寺」があります。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_善導寺分岐点

善導寺の分岐は、電柱のお寺看板が目印です。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_善導寺への直進路

善導寺はT字路を右折してから約600m直進した先にあります。

善導寺は、室町時代の嘉吉3年(1443年)に音誉聖観によって創建されたと伝わる浄土宗の寺院です。御本尊は阿弥陀如来で、「法然上人知多二十五霊場」と「四国直伝弘法八十八ヶ所霊場」の札所になっていて、いろいろな巡拝者が訪れます。

※法然上人知多二十五霊場に関して、以下リンクのオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」のサイトの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【御朱印情報】知多四国霊場62番札所「洞雲寺」の阿弥陀如来の御朱印

※四国直伝弘法八十八ヶ所霊場に関して、以下リンクのオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」のサイトの記事ご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【御朱印情報】四国直伝弘法39番札所「全忠寺」の住職手書きのアート御朱印

 

善導寺は於大の方の菩提寺で、特に注目すべきなのは於大の方自らが菩提寺と定めたことです。
この地域は於大の方の生まれ故郷で、特に善導寺に度々参詣し、寺には彼女がたくさん寄進をしたと伝わり、現在も三尊阿弥陀如来像や柄香炉などが保管されています。また、於大の方と徳川家康の位牌も祀られており、徳川家とのゆかりを存分に感じられる歴史好きの人にはたまらないスポットです。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_善導寺

善導寺の境内は広々としていてスケールの大きいお寺です。

 

於大の方の生誕地「緒川城跡」と御城印

善導寺から9番札所明徳寺方面には、善導寺に来た道をT路地まで戻り、師崎街道を南に進みます。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_師崎街道_丁石

師崎街道には昔設置された、次の札所への距離を示す「丁石」が残っており、お遍路の歴史を感じます。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_師崎街道_緒川城跡分岐

8番札所傳宗院を起点にすると約1.3km進んだこの十路地を西に進むと、於大の方が生まれた「緒川城跡」方面です。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_緒川城跡方面分岐

師崎街道から分岐したあと、約40m進んだこの三叉路を右に進みます。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_緒川城跡分岐_最終

細道の住宅街を進み、この交差点を左折してさらに細い道を進んだ先が緒川城跡です。

室町時代の文明年間(1469年~1487年)に水野貞守(みずのさだもり)によって築城された「緒川城」は、尾張国知多郡の政治の中心地として栄えました。於大の方は、尾張の名門である水野家の娘として享禄元年(1528年)にここで生まれ、のちに徳川家康の母となり、重要な役割を果たすことになります。

江戸時代に入って、慶長7年(1606年)に廃城となった緒川城ですが、現在も曲輪や土塁の一部が残り、その歴史を今なお感じられるスポットで、地元の人々にとって大切な歴史文化遺産であり続けています。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_緒川城跡

緒川城跡は、現在は公園として整備されています。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_緒川城跡_石碑

緒川城跡には立派な石碑が立ち、歴史を伝える案内看板も設定されています。

緒川城跡では「御城印」も発行されていて、東浦町内の「東浦町郷土資料館」や「東浦町勤労福祉会館内観光協会」で、300円で購入することができますので、訪れた記念品としておすすめです。
知多半島で御城印を発行している城跡は限られるので希少で、御朱印集め好きの人はぜひチェックしてみてください。
※知多半島で購入できる御城印(大野城跡・大草城跡・坂部城跡)に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【知多四国霊場66番札所中之坊寺】伝説の巨大寺院群・金蓮寺と大野城ゆかりの寺院

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_緒川城跡_御城印

緒川城が、徳川家康の生母で於大の方の出生地であることや、現在の水野家当主さんの名前も記載されている希少な御城印です。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_於大の方ゆかりの地_地図

於大の方ゆかりの地である善導寺と緒川城跡を遍路道全体地図でみると道から少し外れていることがわかり、御城印をいただける場所は近隣にあります。

 

歴史を感じる歩き遍路道

緒川城跡から9番札所明徳寺方面へは、再度師崎街道まで戻り、南に進み、国道366号線を経由して向かいます。

知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺_国道366号線分岐

国道366号線からは、9番札所明徳寺の看板と知多四国霊場ののぼりを目印に右折して西に進みます。

知多四国霊場9番札所明徳寺_山門

細道をいくつか分岐した先に9番札所明徳寺があります。

 

8番札所傳宗院から9番札所明徳寺までの全行程は約2.2kmで、まっすぐ札所に向かえば徒歩で30分ほどの道のりです。
このエリアは住宅が密集しているのと、途中で合流する県道24号線と国道366号線は車通りが多く、危険な場所もあるので、特に交差点では左右を十分確認して通行していただければと思います。

今回ご紹介した師崎街道を進む歩き遍路道は、現代の主要道路である国道366号線から一本裏側にあたり、昔ながらの街道風情を感じる道幅の細さや屈曲があり、於大の方ゆかりの歴史スポットが点在しています。
地域の歴史文化を感じながら、ゆっくりと歩んでいただきたいおすすめの遍路道です。

 

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この記事を書いた人

知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)も楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。