71番札所弥谷寺から別格18番札所海岸寺に向かう遍路道は、室町時代に築かれた山城「天霧城」の跡を進む登山道です。四国を代表する難攻不落の城の跡だけあって、通り抜けるのにはかなり苦労しました。
71番札所弥谷寺境内から「天霧城」を目指す
71番札所弥谷寺は、お大師さまが幼少期に勉学に励まれた「獅子之岩屋」が残っており、古くから仏の住む世界への入口とされる霊山として信仰されてきました。
現在の境内は標高382mの「弥谷山」の中腹にあり、山門をくぐってから、境内にある長い階段を登って本堂に向かう必要があり、四国霊場の中でも屈指の難所寺でもあります。
そんなお寺の入口で、以下のような看板を発見しました。
71番札所弥谷寺から別格18番札所海岸寺を目指す歩き遍路さんは、弥谷寺境内から天霧城跡を通る登山道を進むそうで、この道を実際に歩いてみましたので、ご紹介したいと思います。
木をかきわけ岩場を進むワイルドな遍路道
登山道の入口の時点で本格的な山道である雰囲気は感じていたのですが、実際に歩き出してみると、引き返したくなるような悪路と恐ろしさすら感じる雰囲気でした。
歩き遍路道に慣れている人や登山経験がある人であれば、自然豊かな登山道として楽しみながら歩くことができるかもしれませんが、経験の少ない人には危険な道だと思います。
さらにお化け屋敷嫌いの人には、雰囲気的にも厳しい道のりなのではないでしょうか。
私はここまで来て引き返すわけにはいかないという意地だけで、さらに前進することを決意しました。
難攻不落の「天霧城」本丸へ
さらに進んでいくと、道標がある分岐点がありました。
「天霧城」は、室町時代の讃岐國守護「細川氏」の配下「香川氏」によって築かれた、標高381mの「天霧山」の山頂に本丸を構える山城です。
「弥谷山」との間に数ヶ所の山と谷があり、その自然断崖地形を利用し、縄張り形式という堅固な要害を構え、四国でも屈指の難攻不落の城として知られていたそうです。
昔の兵士も進むのに苦労した城だけあって、ここを制覇するのは簡単ではありませんでした。
隠砦に限らず、あまり人が立ち入らないからなのか、山中には大きなクモがたくさんいて、道もクモの巣だらけです。
油断していると頭にクモの巣の帽子ができてしまうぐらいの勢いでした。
私がたくさんからめとったので、もし後から進む人がおられたら、多少はましだったと思います。
隠砦から進んだ先にはこんな看板がありました。
空堀や犬返しの方向には進まず、本丸を目指したのですが、その先はかなり傾斜がある崖道で、崩落もあったようで道幅が狭く、先の道が判別できなかったため、本丸制覇をあきらめて引き返しました。
冒頭に写真でご紹介した天霧城の案内看板をよくよく見てみると、天霧城本丸にたどり着くにはかなりの危険を伴うことがしっかり書かれていますが、出発時点では全然気がついていませんでした。
さすがの難攻不落の天霧城でした。
自然地形を利用した昔の人の知恵を体感することになりました。
とはいえ天霧城が最終目的地ではなく、別格18番札所海岸寺を目指すのが今回の目的です。
分岐点まで引き返して、遍路道を進むことにしますが、ここから先の様子は以下記事に続きます。
※別格18番札所海岸寺への道のり後半の様子は、以下リンク記事もぜひご覧ください。
【71番札所弥谷寺→別格18番札所海岸寺・後編】悪路急坂の先には「砂防ダム」とお大師さま修行の「虚空蔵寺」
【「天霧山」 地図】