80番札所国分寺は、言わずと知れたかつての讃岐の中心地で、讃岐レイラインの基準線上に位置しています。伽藍跡は全国に残る国分寺跡の中でも保存状態が良く国の特別史跡に指定されています。
レイライン的な観点から見た札所の構造
四国八十八ヶ所の札所は、由来書はもとより、様々なガイドブックや寄稿文などで、その歴史が紹介されています。そんなこともあって、すでに語り尽くされているような印象がありますが、個々の札所をその構造から分析するレイラインハンティングの観点で見直してみると、今まで語られてこなかった札所の歴史や、個々の札所に込められた古の人の思いが明らかになってきます。
今回は、五色台エリアの札所のうち、80番札所国分寺についてご紹介します。
80番札所国分寺(こくぶんじ)
<由緒>
四国八十八ヶ所80番札所国分寺
真言宗御室派 白牛山千手院
本尊:十一面千手観世音菩薩
寺伝では、行基が千手観世音菩薩を本尊として開基したとされる(ただし現存する本尊像は当時のものではない)。史実としての具体的な創建年は定かでない。『続日本紀』には天平勝宝8年(756)に「讃岐国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜」との記載があり、この頃には整っていたと考えられる。
讃岐国分寺の伝統を受け継ぐ配置
讃岐国府跡推定地の東方2kmに位置し、一帯は讃岐国の中心地であり多くの遺跡が発掘されています。現在の境内は、創建当時の国分寺の伽藍と重複し、伽藍跡は全国に残る国分寺跡の中でも保存状態が良く国の特別史跡に指定されています。なお国分寺跡で特別史跡であるのは、当寺と遠江国分寺跡と常陸国分寺跡の三ヶ所のみです。
札所としての国分寺は、国分寺跡に隣接して、東西南北に仕切られた形は元の国分寺を踏襲しています。
一方、俯瞰してみると、75番札所善通寺の項で触れたように、善通寺から屋島北嶺までを結ぶ「讃岐の基準線」ともいえるレイライン上に位置し、かつその中心付近にあって、国府が置かれるだけの要衝であったことがうかがえます。
※75番札所善通寺に関連する讃岐レイラインの基準線に関して、以下リンクの記事でご紹介しています。
レイライン的な観点から見た札所の構造【香川県三豊市・善通寺市・多度津町エリア[75番札所「善通寺」]】
国分寺の南東、讃岐府中周辺は、かつての讃岐国府の所在地であった頃の雰囲気が残り、史跡も数多くあります。その中には、崇徳上皇関連の史跡も多く、手軽な散策コースとなっています。讃岐府中市街を見下ろす高台にある香川県文化財埋蔵センターでは、様々な展示のほか、市内の史跡に関するパンフレットなども配布しているので、ここに立ち寄って国分寺周辺の史跡巡りをしてみるのもいいでしょう。
【「80番札所国分寺」 地図】