79番札所天皇寺は、讃岐に配流された崇徳天皇とゆかりが深いお寺です。天皇陵と天皇寺・白峰宮の配置から、悲運のうちに亡くなった崇徳帝の魂を鎮め、成仏を願う意味が見えてきます。
レイライン的な観点から見た札所の構造
四国八十八ヶ所の札所は、由来書はもとより、様々なガイドブックや寄稿文などで、その歴史が紹介されています。そんなこともあって、すでに語り尽くされているような印象がありますが、個々の札所をその構造から分析するレイラインハンティングの観点で見直してみると、今まで語られてこなかった札所の歴史や、個々の札所に込められた古の人の思いが明らかになってきます。
今回は、五色台エリアの札所のうち、79番札所天皇寺についてご紹介します。
79番札所天皇寺(てんのうじ)
<由緒>
四国八十八ヶ所79番札所天皇寺
真言宗御室派 金華山高照院
本尊:十一面観世音菩薩
崇徳上皇を祀った白峰宮に隣接し、白峰宮が崇徳天皇社であったときの別当寺。 天平年間に行基が金山に薬師如来を本尊とした堂宇を開創し、後に、空海が荒廃していた堂舎を再興し、その霊域にあった霊木で本尊十一面観音、脇侍阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を刻造して安置、さらに薬師如来を刻んで金山薬師としたとされる。
崇徳上皇陵との位置関係が物語るもの
長寛2年(1164年)に崇徳上皇が崩御されると、その年のうちに上皇の霊を鎮めるため、二条天皇はここに崇徳上皇の霊を勧請しました。白峯の崇徳上皇陵の参道を延長すると、冬至の日が沈む尾根を越え、この天皇寺に当たります。さらには、その先の金山の頂上も重なります。
天正年間に行基が開山したときには、金山直下にあり、金山彦・金山ヒメを祀っていたとされます。金山彦・金山ヒメは鉱山の神であり、この金山が有用な鉱物資源の山地であったことを物語っています。行基は、その目印として堂宇を築き、空海も鉱物資源の探査を行っていたから、ここを重要視したものと思われます。そのことから、後に、白峯(五色台)と金山が結び付けられることになったのでしょう。
冬至の入り日は、太陽の再生とともに、生命の循環も意味しています。悲運のうちに亡くなった崇徳帝の魂を鎮め、成仏を願う意味もこのラインには込められているのでしょう。
個人で巡るお遍路さんの多くが、初めて訪れたときに、白峰宮の手前の奥まった場所にある天皇寺の本堂を見つけられず迷うといいます。また、ここが崇徳上皇ゆかりの場所であることも知らず、そもそも崇徳上皇の讃岐配流にまつわる逸話を知る人も多くはありません。天皇寺から五色台方面にかけては、崇徳上皇にまつわる史跡、とくにその葬送にまつわる史跡が多く、保元の乱という日本史上で重要な転換点の歴史を学ぶ上でも、古くからの日本独自の鎮魂の意識と作法を知る上でも、そうした歴史に触れることは大切です。
【「79番札所天皇寺」「白峰宮 」 地図】