現在の香川県まんのう町と三豊市の境に、ひっそりと一基の標石が立っています。この石は、かつての仲多度郡と三豊郡の境を示す「郡界石」で、刻まれた文字と行き先を手がかりに、大正時代の人々が見ていた地理と道の記憶をたどってみました。

現在の香川県まんのう町と三豊市の境に立つ標石は、かつての「郡」という行政区分が刻まれている「郡界石」です。
標石が立っている場所

こちらの郡界石は、現在の香川県まんのう町と三豊市の市町境界に設置されていて、一見すると単なる市町境界標のようですが、この場所には「郡」という行政区分を強く意識していた痕跡を見ることができます。
一般に「郡(ぐん)」と聞くと、自治体が町や村である場合に、都道府県名と町村名の間に付く地名、という認識を持たれている人が多いかもしれません。しかし本来の郡は、単なる住所表記ではなく、府県で扱うには小さく、町村単独では処理しきれない行政案件を担うために設けられた中間的な行政自治団体に由来します。
そのため、かつて全国各地には行政機関としての「郡役所」が置かれ、そこでは「郡会」と呼ばれる議会が開かれ、「郡参事」と呼ばれる長が居て行政を担っていました。
※ただし、香川県は諸々の問題で郡会が開かれなかった三府四県(東京・大阪・京都・神奈川・岡山・広島・香川)のひとつです。
この標石が設置されている地点は、
・香川県仲多度郡まんのう町
・香川県三豊郡財田町(現・三豊市)
の境界にあたります。
市町村の境界であると同時に、郡の異なる地域同士の境界でもあったこの場所に郡界石が設けられたことから、当時の住民、あるいは設置者が、それぞれの所属する「郡」を強く意識していた様子をうかがい知ることができます。
標石の正面に表記されている内容

こちらの郡界石は中務茂兵衛標石と比べると背丈の高さが1.5倍ほどあります。
<正面>
界郡
十
仲多度郡十郷村
三豊郡財田村
七箇村界マテ 十八丁 仲多度郡
阿波國界マテ 三里十二丁 三豊郡
茂兵衛さんの標石より胴回りがスリムに見えますが、実測したわけではないため、背の高さによる錯覚かもしれません。
現在、郡界石は十字路交差点の北西に位置していますが、写真右隅に少し写っている北へ向かう道は、旧仲南西小学校へ向かう道で、その先は行き止まりです。こうした状況から、この地点は元来標石が建てられることの多い三叉路であった可能性が考えられます。
情報量の多い石なので、各面を上下にわけながら、順に観察していくことにします。

「界郡」の文字と境界を示す十字の刻み、独特のフォントが印象的です。
<正面上部>
界郡 ※郡界と読む
十 ※境界を表す十字の切り込み
仲多度郡十郷村
三豊郡財田村
仲多度郡十郷村(そごうむら)
→現在の香川県仲多度郡まんのう町
※旧仲多度郡十郷村にある樅ノ木峠(もみのきとうげ)と当地ゆかりの二宮忠八に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【香川県まんのう町】世界で初めて飛行機の完成形を描いていた「二宮忠八」ゆかりの「樅ノ木峠」
三豊郡財田村(さいたむら)
→現在の香川県三豊市
※旧三豊郡財田村にある讃岐財田駅に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
近年駅舎が更新された讃岐財田駅(さぬきさいだえき)ですが、こちらの駅が開業した当時(1923年5月)の自治体名が三豊郡財田村です。

村界・郡界・阿波国境までの距離が刻まれた正面下部は、案内標としての性格が強い部分です。
<正面下部>
七箇村界マテ 十八丁 仲多度郡
阿波國界マテ 三里十二丁 三豊郡
※「マテ」は「まで」を意味する
七箇村(しちかむら)
→ 現在の香川県仲多度郡まんのう町 七箇村は、現在のまんのう町にあたる地名で、塩入駅がある付近と考えられます。
阿波國界まで 三里十二丁 現在の三豊市財田地区は、猪鼻峠を挟んで徳島県(旧・阿國)と接しています。正面に記された「三里十二丁」は、およそ約13kmに相当し、国境までの距離を示したものです。 この郡界石は、札所への案内だけでなく、村界・郡界・国境までの距離を知らせる役割も担っていたことがわかります。
※阿讃國境方面に設置されている標石に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【香川県三豊市財田町】箸蔵寺を参拝した巡礼者が手がかりにしたと考えられる標石
標石の右面に表記されている内容

三豊郡側の行先と距離を示す右面には、観音寺・本山寺方面への案内が刻まれています。
<右面>
郡界是ヨリ三豊郡
財田大野村長瀬マテ 二里二十一丁
觀音寺琴弾公園入口マテ 四里三十一丁
本山村本山寺マテ 三里三十三丁
西(奥)
南(左) 郡界石
東(手前)
のような位置関係です。

写真中央奥の白い倉庫のような建物の向こうに国道32号が通っています。
<右面上部>
郡界是ヨリ三豊郡
※ヨリは横書き
この郡界石の正面は左右をわける構成になっており、2つの郡名と、その境界であることが示されています。一方で、右面・左面に刻まれた文字は、この郡界石より先へ進むと郡が変わることを旅人に知らせる役割を持っています。
すなわち、この郡界石は単なる距離標ではなく、行政区分の切り替わりを明確に示すための案内標として機能していたと考えられます。

右面下部には、三豊・観音寺の主たる地点への距離が刻まれています。
<右面下部>
財田大野村長瀬マテ 二里二十一丁
觀音寺琴弾公園入口マテ 四里三十一丁
本山村本山寺マテ 三里三十三丁
※「マテ」は「まで」を意味する
財田大野村長瀬(さいたおおのむらながせ)
→現在の香川県三豊市 財田大野村長瀬は、現在の三豊市山本町財田西付近にあたる地名です。 国道377号と県道5号が東西南北に交差する交通の要衝で、近くには「長瀬橋」と呼ばれる橋もあります。古くから人や物の往来があった場所と考えられ、標石の行先に表示されていても不思議ではありません。
觀音寺琴弾公園(かんおんじ ことひきこうえん)
→現在の香川県観音寺市 こちらの公園は、海岸に「寛永通宝」と描かれた巨大な砂絵があることで知られています。
本山村本山寺(もとやまむらもとやまじ)
→ 現在の香川県三豊市 本山寺は、70番札所本山寺を指すものと考えられます。現在の四国八十八ヶ所霊場の情報と直接関係しているのは、この部分のみです。こちらの標石は、左右で郡が異なる境界点に設置され、地理的な区分を示す役割を持っていたと考えられます。そのため、四国遍路に関する情報が刻まれているのは、結果的・偶然的な側面がありそうです。
ただし、本山寺付近で確認できる中務茂兵衛標石の特徴として、金刀比羅宮や別格15番札所箸蔵寺の情報が記されているものが見られます。このことから、こんぴら参詣へ向かう場合、本山寺付近が分岐点の一つであった可能性を読み取ることができそうです。
※本山寺エリアで金刀比羅宮や別格15番札所箸蔵寺の情報が記されている標石に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【70番札所本山寺→71番札所弥谷寺】伊予水軍ゆかりの姓が記された中務茂兵衛標石
【70番札所本山寺→71番札所弥谷寺】戦後間もなくの時代の道路標識と中務茂兵衛標石
【70番札所本山寺→71番札所弥谷寺】現在とは異なる東京の姿が浮かぶ中務茂兵衛標石
標石の左面に表記されている内容

仲多度郡側の行先を示す左面には、琴平や七箇村春日への距離が記されています。
<左面>
郡界是ヨリ仲多度郡
琴平町マテ 一里二十一丁
七箇村春日マテ 一里三丁
一方で、右面と情報の上で対になっている左面には、この郡界石より先へ進むと郡が変わることが刻まれており、進行方向に応じた行政区分の切り替わりを旅人に知らせています。

香川県の郡名は、明治時代に複数の郡が合併して現在の名称になっているものが多いのが特徴で、以下はその代表的な例です。
<左面上部>
郡界是ヨリ仲多度郡
※ヨリは横書き
-
大川郡
→ 大内(おおち)郡・寒川(さんがわ)郡
※現存しない -
木田郡
→ 三木郡・山田郡
※三木町のみが存続 -
香川郡
※現在の高松市域
※直島町のみが存続 -
綾歌郡
→ 阿野(あや)郡・鵜足(うた)郡
※綾川町・宇多津町 -
仲多度郡
→ 那珂(なか)郡・多度(たど)郡
※多度津町・琴平町・まんのう町 -
三豊郡
→ 三野郡・豊田郡
※現存しない
金比羅船船歌に、
♪回れば四国は讃州那珂の郡
♪象頭山金毘羅大権現(いちどまわれば)
という一節があります。
この中で歌われる「讃州那珂の郡(さんしゅうなかのごおり)」とは、香川県那珂郡(現在の仲多度郡)を指しています。標石や郡界石に刻まれた地名は、このような民謡や信仰とも深く結びついており、当時の人々の地理認識を今に伝えてくれています。

こちらの左面下部には、こんぴらさんまでの方角と距離が示されています。
<左面下部>
琴平町マテ 一里二十一丁
七箇村春日マテ 一里三丁
※「マテ」は「まで」を意味する
琴平町
→ 現在の香川県琴平町 この郡界石の左面に記された方角へ進むよりも、右面で示された方角へ進むと、ほどなくして国道32号(阿波別街道・四国新道)に出ることができます。その道を経由すれば、こんぴらさんへ向かうにははるかに近道です。 しかし、この郡界石では、あえて遠回りとなる道順が示されています。 これは、道路が整備された現代の感覚で見た場合の話です。右面で示された近道ルートには、樅ノ木峠という山坂が存在します。飛脚など仕事として往来していた人々は屈強でしょうから、この峠を難なく越えていたのでしょう。一方で、一般の民衆にとっては、多少距離が延びたとしても勾配の緩やかな道を選ぶ方が現実的だったと考えられます。 この樅ノ木峠を避けるルートは、後世の鉄道敷設にも反映されています。琴平を出た土讃線は、樅ノ木峠を越える直線的なルートを取らず、これを迂回して勾配を回避するルートを採っています。鉄道は勾配に弱いためです。地図を見るとそのように選択された理由がよくわかります。
七箇村春日(しちかむらかすが)
→現在の香川県まんのう町 旧七箇村の南部にあたる地域が「春日」です。塩入温泉(※記事制作当時は休館中)へ向かう途中に「春日」という交差点があり、現在でも小字名として残っています。春日は周辺各地へ分岐する地点でもありました。
-
東方面
満濃池の裏手を経由し、三頭峠方面へ -
西方面
三豊市・観音寺市方面
※本標石が立つ地点は、春日交差点から西に進んだ地点になります -
南方面
塩入温泉を経て、東山峠を越え徳島県へ -
北方面
琴平・多度津・丸亀方面へ
このように旧七箇村春日は、山・海・信仰地・他国を結ぶ分岐点として機能していた場所であったことをうかがい知ることができます。
標石の裏面に表記されている内容

裏面には「大正六年七月建設」と刻まれていて、設置年代が明確にわかります。
<裏面>
大正六年七月建設
大正6年は西暦1917年、標石と同年同月25日に日本光学株式会社が設立されました。カメラの世界的メーカーである現在のニコン株式会社です。
大正6年7月という同じ時代に生まれたものが、かたや人の往来を導く石、かたや世界へ広がる光学技術です。こちらの郡界石は、100年以上前の人々の暮らしと移動の記憶を、今も静かに伝え続けています。
※同じ交差点の斜め向かいにある自然石標石に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【香川県まんのう町】まんのう町と三豊市の境に立つかつての人の往来の痕跡を感じる自然石の標石
標石メモ
発見し易さ ★★☆☆☆
文字の判別 ★★★★☆
状態 ★★★★☆
総評:
四国八十八ヶ所霊場の札所同士を結ぶ旧遍路道沿いではないため、通常の四国八十八ヶ所霊場巡礼では通らない場所です。別格15番札所箸蔵寺と別格16番札所神野寺を行き来する際には、通行する可能性があります。字のフォントがはっきりしており、文字の判別がしやすい点が特徴です。風化も少なく、全体として状態の良い標石です。
※個人的な感想で標石の優劣を表すものではありません
【「まんのう町三豊市郡界石」 地図】










