【まんのう町】かつて存在した香川と徳島のWin-Winな関係「借耕牛」

香川県まんのう町川東地区の国道438号にかかる落合橋には親柱に当たる部分に牛が描かれています。当地でかつて盛んに行われていた「借耕牛」という習慣を現代に伝え、香川と徳島の関係性の歴史を物語ります。

スポンサーリンク

まんのう町落合橋_牛の親柱

香川県唯一の一級河川「土器川(どきがわ)」の上流部にかかる落合橋に牛が描かれています。

 

香川と徳島で行き来した「借耕牛」

まんのう町落合橋_高欄

橋の全体を見渡してみると、親柱だけでなく高欄にも牛のイラストがたくさん掲げられています。

イラストでは牛の背中には米俵が乗せられそれを人が曳いています。こちらの道路の前身は徳島と金毘羅大権現(現・金刀比羅宮)を結ぶ金毘羅街道ですが、イラストが意味するものはこんぴら詣の人々とは明らかに異なります。どういうことでしょうか。

まんのう町落合橋_借耕牛

かつて香川と徳島には「借耕牛(かりこうし。「米牛」ともいう)」という制度がありました。

かつて険しい阿讃山脈の峠を越えて徳島と香川を牛が行き来していました。それは香川県側で農業に従事する農耕牛の需要があったためです。
トラクターなどの農業機械が存在しない時代に農業の助けになるのは家畜の力で、平地が多い香川は稲作を行うことができるけれど、牛の飼料になる草資源に乏しく農繁期のためだけに牛を飼うのは非経済的です。一方で徳島は山がちで農地開墾が難しかったり、せっかく作物ができても吉野川で洪水が起きればそれらが流されてしまうなど食糧の生産や入手に難がありました。けれど牛の飼料になる牧草は豊富だったので、このような香川徳島両者のメリット・デメリットを補い合ったWin-Winな形が借耕牛でした。

借耕牛の行き来は主に年に2回あり、春から夏前にかけての田植え時期と秋の収穫時期。阿波(あわ。現在の徳島県)の山間集落で集められた牛たちは取次人や牛曳らに連れられて借耕牛の引き渡し場所へやってきます。藩政時代の往来が厳しく取り締まられていた時期は國境の峠で、明治時代になると讃岐側の峠下で取引が行われていたようです。そこへ讃岐(さぬき。現在の香川県)の借主がやってきて報酬などの契約を取り交わした後に自身の農場へ連れて帰ります。
レンタル期間は1回につき30日程度で、春は田植え前の代搔きや耕地整備、秋は収穫やその運搬に従事したのち、期間が満了すると牛は再び阿讃國境近くの引き渡し場所へ連れて行かれ国元へ帰っていきました。

制度当初の報酬は米1俵や食塩などの現物支給が多かったようですが、昭和時代になり世の中に貨幣経済が浸透し始めると現金での取引に変化していったようです。徳島県西部には無い塩干魚などを牛の角に縛って持って帰らせる「角みやげ」という習慣も見られたそうです。

※1俵(ピョウ)≒60kg。1合≒150g。1石(コク)=10斗(ト)=100升(ショウ)=1000合(ゴウ)なので、1俵≒4斗

 

借耕牛の隆盛と終焉

三頭トンネル手前の標石_正面のみの標石

借耕牛の往来を見守っていたであろう三頭峠下に立つ標石。

往時は阿讃国境の峠口のどこにも借耕牛のやり取りが存在したようで、以下の場所で行われていたという記録があります。

五名口(境目/東かがわ市) ※境目の大銀杏がある場所
清水口(清水峠/三木町) ※現国道193号
岩部口(相栗峠/高松市)
美合口(三頭越え/まんのう町) ※現国道438号
塩入口(東山峠/まんのう町)
猪鼻口(猪ノ鼻峠/三豊市) ※現国道32号
野呂内口(六地蔵越え/三豊市)
曼陀口(曼陀峠/観音寺市) ※第66番雲辺寺へ向かうルートの一つ

※三頭越えに関しては、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【まんのう町】阿讃國境の三頭トンネル手前に立つ県境越えの方向を示す標石

香川県の島嶼部でも徳島県西部と似た地形上の事情があり、それらは「島牛」として船に乗せられやってきてレンタルが行われていたようです。また五名口など香川県東部にやって来る借耕牛は稲作の他に、当地の地場産業である製糖に従事することがありました。収穫したさとうきびを絞って糖蜜を取り出す作業に大きな力が必要なためです。西部では綿花栽培に関連する作業に従事することもあったと考えられます。そのように従事する作業にも地域性が見られました。

まんのう町落合橋_美合口

借耕牛で最も隆盛を誇ったのが三頭峠を越えてくる美合口で、牛のイラストはその史実を現代に伝えています。

最盛期には香川県全体で年間のべ8,000頭の借耕牛が活躍していたようで、その時期の美合口での取引は県内最大ののべ2,000頭以上との記録があります。昭和時代になり公共交通機関の発達によってこんぴら詣の人々が通らなくなった三頭越えの主役は借耕牛でした。美合口に限らず牛の引き渡し場所では飲食店や旅籠が大いに賑わい、最盛期には遊戯場まであったそうです。
借耕牛の取引は昭和30年代まで続きましたが、農業機械の登場と普及により徐々に見られなくなり現在は全く行われなくなりました。

 

香川県まんのう町川東地区の国道438号にかかる落合橋のデザインは、かつてこの地域で盛んに行われていた借耕牛の史実を現代に伝えています。
お遍路も移動手段や目的など時代によって大きな変化をとげてきた歴史があり、産業の発達や転換により消滅してしまう地域の習慣もありますが、史跡を通して地域の文化を心に留めておきたいものです。

 

【「落合橋の借耕牛」 地図】

四国遍路巡礼に
おすすめの納経帳

千年帳販売サイトバナー 千年帳販売サイトバナー

この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。