現在の香川県まんのう町と三豊市の境に一基の標石が立っています。標石に刻まれた「郡」という表記から当時の道と人々の世界観を読み解きます。

この地域では郡界石や標石を複数見ることができますが、こちらで記された「山脇」という集落の人々が建てた物のようです。
※この地域にある郡界石・標石に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【香川県三豊市財田町】周辺の主要地点への距離が示されている仲多度郡と三豊郡をわけた「郡界石」
【香川県まんのう町】まんのう町と三豊市の境に立つかつての人の往来の痕跡を感じる自然石の標石
標石が立っている場所

現在の香川県まんのう町と三豊市の境の郡界石がある場所は、写真手前がまんのう町、奥が三豊市で、かつての仲多度郡十郷村と三豊郡財田村の境にあたります。
先の記事でご紹介したJR黒川駅近くの郡界石と同じく、こちらの郡界石も現在の香川県まんのう町と三豊市の境界に立っています。写真では石より手前がまんのう町、奥が三豊市です。郡界石が建てられた当時は、仲多度郡十郷村と三豊郡財田村の境にあたりました。
地図で見ると、まんのう町山脇地区は仲多度郡の集落には接しておらず、むしろ三豊郡の集落に近接しています。最寄り駅は讃岐財田駅で、石の位置からもほど近い場所にあります。
※讃岐財田駅に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
標石の正面に表記されている内容

郡界石の正面は、仲多度郡十郷村と三豊郡財田村の境を示し、七箇村界や伊豫國界までの距離も刻まれています。
<正面>
界郡
十
仲多度郡十郷村
三豊郡財田村
七箇村界マテ 一里三丁 仲多度郡
伊豫國界マテ 六里二十八丁 三豊郡
正面には「界郡」と刻まれ、仲多度郡十郷村と三豊郡財田村の境が示されています。
また、七箇村界まで一里三丁、伊豫國界まで六里二十八丁と距離表記も刻まれており、当時の旅人に向けた案内の役割を果たしていました。石のデザインやサイズは、JR黒川駅近くにある郡界石とほぼ同じように見受けられます。

郡界石正面上部には、「界郡」と十字の刻み、仲多度郡十郷村と三豊郡財田村を示していて、JR黒川駅近くの石と同じデザインです。
<正面上部>
界郡 ※郡界と読む
十 ※境界を表す十字の切り込み
仲多度郡十郷村
三豊郡財田村
正面上部には「界郡」と刻まれ、十字の切り込みが境界を表しています。また、仲多度郡十郷村と三豊郡財田村の名称も刻まれ、このデザインはJR黒川駅近くの郡界石と全く同じです。

郡界石正面下部には「七箇村界マテ 一里三丁」「伊豫國界マテ 六里二十八丁」と刻まれています。
<正面下部>
七箇村界マテ 一里三丁 仲多度郡
伊豫國界マテ 六里二十八丁 三豊郡
※「マテ」は「まで」を意味する
正面下部には、七箇村界までの距離(一里三丁)と伊豫國界までの距離(六里二十八丁)が刻まれています。
JR黒川駅近くの郡界石より三豊市財田地区に近いため、まんのう町七箇地区までの距離は長くなり、また阿波國と刻まれていた部分は伊豫國(現在の愛媛県)に変わっています。
標石の右面に表記されている内容

郡界石右面には「郡界是ヨリ三豊郡」と刻まれ、その先の財田大野村長瀬・観音寺琴弾公園入口・大野原村までの距離が示されています。
<右面>
郡界是ヨリ三豊郡
財田大野村長瀬マテ 二里十一丁
觀音寺琴弾公園入口マテ 四里二十九丁
大野原村マテ 四里二十一丁
右面には「郡界是ヨリ三豊郡」と刻まれ、ここから先の三豊郡内の主要地点までの距離が示されています。財田大野村長瀬まで二里十一丁、觀音寺琴弾公園入口まで四里二十九丁、大野原村まで四里二十一丁と案内され、旅人に進行方向の目安を提供していました。

郡界石右面上部には「郡界是ヨリ三豊郡」と横書きで刻まれ、JR黒川駅近くの石と同じデザインです。
<右面上部>
郡界是ヨリ三豊郡
※ヨリは横書き
右面上部には「郡界是ヨリ三豊郡」と横書きで刻まれており、正面の構成と同様に黒川駅近くの郡界石と全く同じデザインになっています。

郡界石右面下部には、大野原や観音寺方面への距離が刻まれています。
<右面下部>
財田大野村長瀬マテ 二里十丁
觀音寺琴弾公園入口マテ 四里二十九丁
大野原村マテ 四里二十一丁
※「マテ」は「まで」を意味する
右面下部には「財田大野村長瀬マテ 二里十丁」「觀音寺琴弾公園入口マテ 四里二十九丁」「大野原村マテ 四里二十一丁」と刻まれています。
こちらに登場する大野原は観音寺市西部の地区で、雲辺寺ロープウェイの山麓駅もあるため、多くのお遍路さんが訪れる土地です。右面の大野原や正面の伊豫國の表記から、こちらの郡界石は愛媛県方面への道筋を示している印象を受けます。
※雲辺寺ロープウェイに関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【66番札所雲辺寺への遍路道】雲辺寺ロープウェイから見ることができる景色
標石の左面に表記されている内容

郡界石左面には、仲多度郡側の行先と距離が刻まれ、琴平町と十郷村山脇への案内を示しています。
<左面>
郡界是ヨリ仲多度郡
琴平町マテ 二里二十八丁
十郷村山脇マテ 三丁
左面には「郡界是ヨリ仲多度郡」と刻まれ、郡界を越えて仲多度郡側へ進んだ先の行先と距離が示されています。琴平町まで二里二十八丁、十郷村山脇まではわずか三丁とあり、この地点が山脇地区に位置していることがわかります。

左面上部に刻まれた「郡界是ヨリ仲多度郡」は、三豊郡から仲多度郡へ入る地点であることを示しています。
<左面上部>
郡界是ヨリ仲多度郡
※ヨリは横書き
左面上部には「郡界是ヨリ仲多度郡」と刻まれています。三豊市(旧・三豊郡)側からこの地点に到達すると、ここが仲多度郡への入口であることを告げる表記といえます。

左面下部には、琴平町と十郷村山脇までの距離が刻まれていて、仲多度郡の主要地点である琴平への距離を推し量ることができます。
<左面下部>
琴平町マテ 二里二十八丁
十郷村山脇マテ 三丁
※「マテ」は「まで」を意味する
左面下部には、琴平町まで二里二十八丁(約11km)、十郷村山脇まで三丁と刻まれています。「三丁」はおよそ320メートルに相当し、山脇地区がこの郡界石のすぐ近くにあることがわかります。
標石の裏面に表記されている内容

大正6年7月建立で、JR黒川駅近くの郡界石と同時期に建てられたことがわかります。
<裏面>
大正六年七月建設
裏面には「大正六年七月建設」と刻まれています。
大正6年(1917年)は、第一次世界大戦(1914〜1918年)の最中にあたります。郡界石が建てられた翌年からはスペイン風邪が世界的に流行し、各国が戦闘継続が困難となったことで、戦争は終結へと向かいました。
この郡界石は、世界が大きな転換点を迎えていた時代に建てられた、貴重な地域史の証人でもあります。
標石メモ
発見し易さ ★★☆☆☆
文字の判別 ★★★★☆
状態 ★★★★☆
総評:
四国八十八ヶ所霊場の札所同士を結ぶ旧遍路道沿いではないため、一般的な四国八十八ヶ所霊場巡礼では通らない場所にあります。別格15番札所箸蔵寺と別格16番札所神野寺を行き来する際に通行する可能性はありますが、当郡界石が道路より一段低い位置にあるため、気付かずに通り過ぎてしまうことが多いでしょう。文字のフォントが明瞭で判読しやすく、風化も少ないのが特徴です。全体として保存状態の良い標石といえます。
※個人的な感想で標石の優劣を表すものではありません
【「仲多度郡三豊郡郡界石」 地図】










