【33番札所雪蹊寺】四国の転機となった「戸次川の合戦」と長宗我部信親墓所

33番札所雪蹊寺は、土佐國の戦国武将として名高い長宗我部家と由縁が深いお寺です。四国の転機であったかもしれない「戸次川の合戦」のお話と長宗我部家ゆかりの墓所が今なお引き継がれています。

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雪蹊寺入り口

四国八十八ヶ所・第33番雪蹊寺

現在は遍路道中唯一となった種崎~長浜の渡し舟を下船して20分少々歩くと、こちらの札所に到着です(順打ちの場合)。

—– 記事に登場する主な地名・単語
第33番雪蹊寺(だい33ばんせっけいじ)
高福寺(こうふくじ)
天正年間(てんしょうねんかん / 1573~1593)
嫡男(ちゃくなん)
戸次川(へつぎがわ)
九州征伐(きゅうしゅうせいばつ)
粛正(しゅくせい)
大坂冬の陣・夏の陣(おおさかふゆのじん・なつのじん)
親藩(しんぱん)
譜代大名(ふだいだいみょう)

—– 記事に登場する主な人物
長宗我部元親(ちょうそかべもとちか / 1539~1599)… 土佐の戦国大名。一時は四国全土を平定した。
長宗我部信親(ちょうそかべのぶちか / 1565~1587)… 土佐の戦国大名で、元親長男。長宗我部家の嫡男として 手塩にかけて育てられたが、遠征先の戸次川で戦死。
長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか / 1938~)… 土佐の戦国大名で、元親四男。長宗我部家最後の当主。関ヶ原の合戦の後、領地没収。再起をかけた大坂夏の陣に敗れ、その後処刑された。
仙石秀久(せんごくひでひさ / 1938~)… 豊臣秀吉恩顧の武将。九州征伐で指揮を執るが大敗。高野山追放処分となるが、その後復帰。徳川家にも重用され、関ヶ原の合戦後 信州小諸を与えられた。

 

長宗我部家ゆかりの寺院

雪蹊寺 扁額

元々の寺号が今は山号

開基は弘法大師。その時は 「少林山高福寺」 と称した。
その後幾度かの名称変更が行われたが、天正年間に長宗我部元親の庇護を受けて発展。元親が亡くなり長宗我部家の菩提寺になった際、元親の法名 「雪蹊恕三大禅定門」 から頭二文字を取り、雪蹊寺となった。

「雪蹊恕三大禅定門」 は 「せっけいにょさんたいぜんじょうもん」 と読み、生前に元親自ら命名したものと伝えられる。

 

長宗我部家嫡男・信親の墓所

雪蹊寺 本堂横 長宗我部信親公墓案内札

本堂横及び大師堂裏にある立札

「長宗我部信親公墓所へ」

の立札がある。

長宗我部信親は 元親の長男。名に時の覇者である織田信長から「信」の字を与えられているあたり、長宗我部家の嫡男として、期待の度合いを窺い知ることができる。

雪蹊寺 長宗我部信親公墓所

長宗我部元親嫡男・信親公墓所

その墓所が33番札所雪蹊寺の境内にある。

 

四国の転機に… 戸次川の合戦

雪蹊寺 長宗我部信親公の墓 解説

戸次川の合戦のこと

豊臣秀吉による四国攻めに敗れ、秀吉に臣従を誓うことで土佐一国を安堵された長宗我部家。
秀吉は次なる土地、九州征伐を目論んでいた。その時最も強敵と警戒していた島津氏は豊後に侵攻を始め大友氏を圧迫していた。そこで大友氏の救援を名目に 元親・信親親子を始め、参陣を命じられたのが四国の武将たちだった。

戸次川(現・大分市南部)を挟んで対峙する島津 vs 四国連合軍。
ここで四国勢の代表者・仙谷秀久が手柄を急ぐあまり無謀な渡河作戦を指示。まんまと島津氏の策にはまって敗走することとなり、その中で信親は孤軍奮闘の活躍を見せたが、やがて討ち取られ戦死した。

元親は、自身が手塩に掛けて育てた跡取り息子・信親を失ったショックがあまりに大きく、自害しようとしていたところを家臣に制止されたほど。
その後、国元に戻るも家督相続問題では反対派の家臣を粛正するなど、元親はすっかり変わり果てた暴君となってしまった。

 

長宗我部家の終焉

雪蹊寺 長宗我部信親公墓

信親の死によって四国が失ったものは大きい

信親の死は22歳。長宗我部家、土佐國、ひいては四国の覇者を継ぐものとして、あまりにも早い死であった。

その後、家督を継いだ四男の長宗我部盛親は関ヶ原の合戦で西軍についたために土佐一国を没収。帰国も許されず京で浪人となっていたが、大坂冬の陣・大坂夏の陣が勃発。復権を夢見て豊臣側についたが、ここでも敗退。
京都八幡で潜伏していたところを発見され、洛中引き廻しの上、六条河原で斬首となった。子らも各地に逃走したが、全て捕えられ処刑。長宗我部直系の血筋は、ここに途絶えた。

 

戸次川の合戦でもし信親が戦死しなかったら…

当時四国一の実力を誇った長宗我部家が、天下は取れないまでも、遠方の実力者として、伊達家や島津家のように徳川幕府を脅かす存在になっていたかもしれません。
徳川幕府以降の四国は、親藩である松平家、もしくは譜代大名が治める徳川王国になりました。

 

戸次川の合戦の舞台となった 大分市では、大きな犠牲を払って自分たちの土地を守ろうとしてくれた兵たちの英霊を慰めるため、毎年、合戦が行われた時期になると四国からも武将の子孫や関係者らが大分に渡り、地元と合同で慰霊祭が行われています。

 

【33番札所】  高福山 高福院 雪蹊寺(こうふくざん こうふくいん せっけいじ)
宗派: 臨済宗妙心寺派
本尊: 薬師如来
真言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
開基: 弘法大師
住所: 高知県高知市長浜857-3
電話: 088-837-2233 

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。